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ほしとり #1

              

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 ほしとり #1


 この国で60年ぶりに彼が飛んだ数日後、国中の過熱がピークを迎えたその日は親族とごく限られた関係者以外の弔問は許されなかった。そこで私は父の助言を守り、朝から一日中自分の心の在処を意識して、出来る限りその正面から彼を弔うようにしていた。誰にも言わずにそのような一日を学校で過ごした私のことをどこかで聞きつけたらしいマスコミ関係者が複数いて、下校時の通学路で捕まってしまった。私は初めて大人から敬語で話し掛けられた。腕章をした腕でマイクを突き出す若い女は痛ましそうな表情で、若い男は悲嘆にくれながら、彼らは私の目を見た。私を囲む大人の輪のなかでカメラのレンズは絞られた。月が替わった程度では去りゆく気配すらない残暑の中、私よりもずっと背の高い大人たちに囲まれてしまい、緊張したこともあり急に汗をかきのぼせそうだった。もちろんそれだけが理由だったわけではなく矢継ぎ早の問いかけに私は答えられなかった。しかし一言だけ口を開いたのだった。

「誰よりも星を数えるのが得意でした。たぶん死んじゃうくらい寂しかったから」

私は自分の言葉で初めてそのことに気が付いた。


 当時、仕事を探していた父と一緒に私は夜7時のニュース番組でその映像を観た。ここ何日かと同様に今夜も彼のことをトップで扱い、どう見ても私である子供の顔にはモザイクが掛けられて映っていた。

「ちゃんと録れたかな?」とつい口を滑らし、本体内蔵の録画機能を再生させようとする父の尻を強く蹴とばした母は、彼に対してそれなりの想いがあったのだ。

母は幼い私を優しく抱きしめてくれて、遠くにある透明な涙と離れようのない怒りに震えたまま真っ赤な目を閉じた。

 仕事を探せず毎日ウダウダしているか、高額なガソリンを買うことができなくてまったく乗れずにいたショベルヘッドを磨いているだけの父が、いつものように開き直らず、むしろ逆切れもせず、とはいえ反省する気配もなく(今になってみると父の気遣いがよく理解できる)、それはそうだとだけ言い、あのころ部屋の中によく落ちていた求人案内の用紙で紙飛行機を折り出した。そしてお前も折ってみるか? と無言で誘った……


 彼と私はちょうど今の息子と同じような年齢のときからの繋がりだった。病弱であったりいささか素行の悪い小学生を対象にする、区役所主催の夏休みサマーキャンプに我々は毎年参加していたのだ。

 私は喘息もちだった。彼は特に持病もなく素行に問題があったわけではなかったが、裕福な家庭にままありがちな家庭環境による理由で自ら参加を望み、有力者であった親のコネクションとある意味でのわずらわしさも加味され、欠くことのない常連者だった。

 毎年キャンプは八月に入ってからすぐの一週間、某高原で開催された。もちろんたくさんのレクリエーションが行われ(追い立てられるような気さえした)るが、なかでも一番の退屈さと、非日常すぎる昂揚感でもっとも盛り上がる、という不思議な企画があった。星を数える<ほしとり>がそれだ。

 もともとは、はるか昔にどこかの砂漠の戦地で、見栄やはったりなどでは到底隠せない生命の危機感に興奮して眠れない兵士を(見張り番以外)どう寝かせつければいいのかを考えた隊の少佐がいて、試しに星を数えさせたことに始まるとされる。するとその退屈さが功を奏し兵士たちは短時間であれぐっすりと寝つき、よって体力の回復を各々が実感した。当然睡眠は心のありようも回復させたというのだ。

 <ほしとり>を行った隊は戦場での最低限のルールなり規律を他の隊より厳守したという。つまり虐待にレイプや略奪、娯楽的な放火がずっと減ったらしい……

本当の話なのかどうかなど私には今もってわからないが、これが<ほしとり>の由来であると毎年聞かされていた。

 そこでサマーキャンプの初期の引率者が、ものは試しに応用してみようとなり、まったく寝付かない子供たちへ半ば強制的に行った。すると寝つき云々よりもむしろ普段の問題ある素行(昔はそういう子供たちが主だった)に変化をもたらした。星を数えさせられた子供たちは、キャンプを終え帰宅すると徐々に生活態度を改めはじめたというのだ。鉄兜を枕に砂漠で寝ていた青年たちではない、小さな彼らは、数えられない星を数えていたわけではなかった。瞼閉じる限界まで、視界のすべてを範囲に明滅する、切りのない小さな光を眺めていたのだ。それは誰でもない自分を見つめる行為に等しかった。そしてそれはまた自分自身の存在に対し、おそらくこれだけの数があればきっとそのうちぼくを(わたしを)必要としてくれる誰かがどこかにはいるんじゃないのかな? と思わせたのだろう……


 しかし私たちが参加していたころの<ほしとり>は丸っきり主旨が変わっていた。時代とともに子供たちはよりタフになっていたので仕方ないといえばそれまでなのだが、私たちは最終的に誰が一番遅くまで起きていられるのかを競い、主催者側もたんなる恒例行事として捕えていた。

高原の開けた場所に広がる夏草の上で、しっかりした本格的な登山用寝袋に包まる私たちは、翌朝いつの間にか寝入ってしまっていたことを悔しがり、どうでもいい当てずっぽうの数字を用紙に書いて提出する。正解に一番近い数を(偶然にも)書いた者が最終日のキャンプファイヤーへ点火する係りになれるのだ。さすがにちょっとした名誉である。

 同じ時期に、同じ高原でサマーキャンプは行われるのだから、もちろん毎年の正解は違っていなければならない。そこで主催者たちは、当時すでに年代物になっていた宇宙船用の旧式ビームを使い、年ごとに違った方角と範囲を定めた。空が白むまで青い楕円で夜空を区切り続けるそれをノートパソコンに読ませて正確な数字を用意した。青い楕円は自転の速度に合わせてちゃんと移動した。

 夏の高原でも一週間あれば一晩くらは必ず晴れるもので、そんな夜に開催日が未定な<ほしとり>は急遽行われる。

 屋根のない場所で寝る機会など、幸いにして私にはなかったことだからとても刺激的だった。持ってきてはいけないポータブルゲームをこっそりしたり、押し入れの中で花札のルールを学んだり歯を磨いた後、布団に潜ってお菓子を食べたりするどんな夜よりもワクワクしたものだ。そのうちたまらなく退屈になることを知っていたにもかかわらずに。



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