私に会いたい人
9
診察室を出て、廊下を歩いた。ドアを開け、別の部屋に案内された。
「ここで、少しお待ち下さいね」
女医はにっこり笑い、歌うように言って、部屋から去ろうとした。思わず調査役は言った。
「一体だれなんですか。私に会いたがってる人っていうのは」
「誰だか楽しみですか?」
ドアの隙間から女医は笑顔を見せていた。「すぐ来ます。すぐにわかります」
そう言って、ドアが閉じられた。
調査役は、部屋を見回した。
がらんとした、白い部屋。
真ん中に薄いブラウン色の椅子とテーブル。
隅に白い医療用の機械がいくつか置かれている。窓はない。
キュッと音をたててドアが開いた。
ドアの向こうに、男が立っていた。
男と調査役の目があった。男は言った。
「いや、失礼。部屋を間違えた…」
ドアは静かに閉じられた。ドアの向こうで、「まだ、早すぎる…」という声がした。
調査役は、首をかしげた。
今の男、見覚えがある。誰だったか…
考えた。思い出せないでいらいらした。
疲れて、椅子に座った。すると廊下を誰かが走る足音がした。
足音に伴奏するように、くぐもった笑い声が響いた。
女の笑い声だ。追いかけっこでもしているといった感じだった。
調査役に会いたがっているという人…
調査役には、思いあたらなかった。
女医は、その人がすぐに来ると行っていたが、なかなか来ない。
手持ち無沙汰になり、病院の中の部屋であるにもかかわらず、たばこを出して吸おうとした。
これがいけないのだ。
調査役は自分を責めた。
たばこが体にいけないのは、よく、わかっている。しかし、やめられない。
こいつのせいで、また頭がくらくらし、脳細胞が死滅し、血管に悪性コレステロールが溜まって、ビタミンも破壊される。毎日、40本。
しかし、ニコチンの禁断症状がでた。吸わないことが、かえって健康に害にでもなっているような感じがする。
いらいらし、肺や脊髄がむずむずし、鈍い疲労感で、目がしょぼしょぼする。
調査役は、灰皿を探した。
病院の部屋に、そんなものが、あるわけがない。
しかし探しまわって、部屋の隅に、そら豆みたいな形の銀色の皿を見つけた。メスなどの医療道具をのせる皿だ。それを灰皿がわりにして、た
ばこを吸い始めた。
紫の煙が、真っ白い四角い部屋にたなびいた。頭がスーっとした。
そのとき、部屋の外で、笑い声ではなく、悲鳴に似た女の声がしたように思った。
もう一度聞こうとして、耳を澄ませた。
しかし、もう聞こえない。調査役は部屋の外を見ようとして、ドアのところに行き、ノブに手をかけた。とたんに、ひとりで勝手にドアが開いた。
「あら。こんにちは」
ハスキーな女の声だった。さっきの、おわらい系の女医の声とは大きく違った。
「まあ、大胆ですわね。わたしを待ちながら、たばこですか。ここ、病院の一室ですよ」
そう言いながら、女性が入ってきた。その女性に押し戻されるようにして、調査役は部屋の中へと、あとずさった。
「すみません。つい…」
そう言いつつ、調査役は女性を観察した。
20代なかばの、妖艶な女性だった。
背は調査役よりも高く、すらりとしていたが、胸は大きく豊かで、ヒップも形よく大きい。
病院の制服らしい水色のスーツを着て、小脇にルーズリーフの帳面を2冊かかえていた。スカートは超ミニだった。
奇麗な足がセクシーで、思わず目をやってしまった。
慌てて女性の顔に向きなおると、肩まで伸びた黒い髪が美しく、髪の間から、美しい顔の切れ長の目が微笑み、少し厚ぼったい唇がなまめ
かしく動いた。
「お待たせしたのがいけなかったんですわ」
「いえ、そんな。ここでたばこを吸う、私が非常識なんです」調査役は銀の皿でたばこの火を消した。
「まあ、おかけになって」女性は席をすすめた。
「今日こそ、たばこはやめよう、と、たばこの害毒をずっと考えてたんですが」心にもないことを調査役は言った。それには答えず、女性は再び言った。
「さあ、どうそ、おかけになって…」
部屋の中ほどにあったテーブルをはさみ、2人して向かいあって席についた。
「…あなたが、私に会いたいと、おっしゃる方ですか?」調査役は言った。
「はい」
「どこかで、お会いしましたっけ」
「いいえ」女性は笑い、「先生に、あなたの症状を、おうかがいまして」
「先生って、あの女医さん…」
「ええ。先生は、私があなたのことを聞いたら、きっと、あなたに会いたくなるに違いないと、見抜いてて…、それで、そのとおり、私、あなたに会
いたくて、やってきましたの」
調査役は、女性が何を言っているのかよくわからなかった。「あなたも、お医者さんですか?」
「いいえ。私は、栄養指導です」
「栄養…」
「食事療法をアドバイスしたくて来ました」
「栄養士さん」調査役は、間の抜けた声をあげた。「緑黄色野菜を多くとるとか、酒やたばこの量の制限するとかの話」
「関心おありですか」そのセクシーな栄養士は、下を向いてノートを机の上にひろげた。
「テレビや雑誌で、少しは知識を得てます・・・」
・・・つづく