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ご病気の調査役  作者: 新庄知慧
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平和な昼下がり・・・・そして妻は・・・

63


ボーリングが終わったあと、父と調査役は、マリンタワーへ行った。


マリンタワーは頭でっかちの塔で、その展望室は、風に吹かれて少し揺れるのが体感される。そのことを、このとき初めて調査役は知り、恐かったのを覚えている。


父に抱っこされて、望遠鏡を見せてもらった。


望遠鏡を見たのも初めてだったのかどうか、よく覚えていない。


調査役は望遠鏡で、山下公園の様子を見て、それから肉眼で同じ公園を見て、二つの風景を比べたりした。


それから、空を見た。青かった。空は青く、どこまでも続いていた。またなんとなく切ない気持ちになった。


「父ちゃんも、見なよ」少し口を尖らせて、調査役は言った。


父はサンキュー、と言って調査役を降ろし、自分も望遠鏡を見た。調査役は、床の上に立って、大きなガラスの窓ごしに、空を見た。


大空がひろがっていて、すごかった。


床が揺れるのが感じられて少し恐かったが、大空に圧倒されて、その怖さも忘れた。


そして、また変な気持ちになった。ここにいる、この父ちゃんも、いつか死んじゃうんだ、という気持ちである。


前日に、人が死ぬテレビ番組でも見たのかもしれない。


死ということが、調査役の脳裏にあったのだ。


そして無性に悲しくなった。お父ちゃん、いつまでも、元気でいてね、僕はいい子でいるから…と、そんな殊勝なことを、このとき調査役は考えた。そういう思いで、再び、父を見た。


父は望遠鏡に、食い入るようにしてしがみついていた。


少し様子が違った。何かを発見したみたいだった。


「よう!」


知らない大人が、そう言って父の肩をたたいた。


父は望遠鏡から目を離し、肩をたたいた大人を見た。


その大人は、調査役の頭をなでて、元気に微笑んで、喋った。


「大きくなったなあ、坊や」


父はだまって、その大人を見ていた。非常に驚いていた。大人は、また言った。


「望遠鏡で、何が見えた?」


父は驚いた表情で、声も出なかったが、やっと、言った。


「父さんがいたよ。山下公園に」そう言って、しばらく言葉を区切り、また言った。


「…・兄さん、幽霊かい…。今日は変な日だ。兄さんは、とっくの昔に死んだのに」


「ちょっと、帰ってきただけさ」大人は照れ笑いをしながら言った。


「今日は、変な日だな。さっき、マミさんを見た。ものすごく太って、かわいそうなくらいだった。子供をつれてたな」


「石本の子かもしれない」


「そうなのか」


「わからないがね」


「そうだな…。誰とでも寝たから」


「うん。かわいそうだった」


「でも、必死で子供を育ててたみたいだ。子供も、空襲から母を守るんだ、なんて言って、くっついて歩いてたよ。


頭が少し足りないらしい。


かわいそうだった。それより、この望遠鏡の向こうに、父さんがいる。山下公園を散歩してる。僕は驚いた」


「うん。知ってる。父さんも、ちょっと帰ってきたんだ」


「変な日だな。お彼岸でもない、こんなに天気のいい昼に…」


「うちの奥さんもいただろう。公園の中を見てごらん」


「何だって」


父は望遠鏡を見た。


「いいや…。あれ、うちの奥さんがいるぞ…」


大人は言った。「そうだったか。うちの奴は、どこ行ったかな」


「どういうんだろう、今日は」


調査役は、あたりを見回した。


周囲には、望遠鏡が等間隔に設置されていて、どれにも、人が食い入るように見入っていた。


みんな、父と同じような体験をしているように見えた。


「仕事、大変だろう」


父の兄と称する大人が言った。


「うん」父は言った。


「がんばったよな、おまえ」父の兄は言った。


「うん」望遠鏡から目を離し、父は目を潤ませて言った。


「がんばれよな」


「ああ。トシちゃん、死ぬのが早すぎたよな」


トシちゃん、というのは、父の兄の名前である。


「ごめん」


「謝ることないさ。仕方ないさ。結核だったんだ。トシちゃんが謝ることないさ」


父は、まるで子供に帰ったみたいな顔をして泣いていた。


「だめだよ、泣いたりしちゃあ、子供に馬鹿にされるぜ。なあ、僕」


父の兄は調査役に、また笑顔を投げた。


「ああ…」


父は袖で涙をぬぐった。


「この子は、大人になって、今、大変なんだ。


大人になったら、俺とそっくりの姿になるんだけどな、仕事と家庭の問題で病気になって、世界の悪霊につきまとわれてなあ…


お人好しだから。そこは、父親に似てしまったんだな…


それで、空襲にあって、マミの、死んだ子供に頭をピストルで撃たれたところだ」


父は、唖然とした顔をしていた。


「変なことを言うなあ。予言者みたいな。この子はそんな、苦労をするのか…」


「ああ。でも、しっかり、育てなきゃだめだよ。


俺に似て、あくまでがんばる子になる。いい子になる。


そして、この子も、いい子の父になる」


そう言って、トシちゃんは、調査役を抱きかかえた。


そして、望遠鏡を覗かせてくれた。


「ほら、もう一遍、見てご覧」


父が、調査役に言った。


「ほら、死んだ、おじいちゃんが見えるよ…・」


 すると、父の兄は言った。


「違うんだな、これが」


「何だって?」


 父は口を尖らせた。


 「何がみえるんだい?」


父の兄は、いたずらっぽい表情をして笑っていた。


調査役は、望遠鏡を覗き込んだ。


今日は、本当に平和で、おかしな、追憶の日だ。


 きっといつか、この日のことを思い出すだろうなあ。


 調査役は、そんなことを考えていた。


 それが、思い出なのか、現実の今のことなのか、さっぱりわからなくなった。


 青空のもと、少し揺れる床の、ちょっと恐いマリンタワーの展望室から、その昼さがり、調査役は、今は亡き父と、さらに大昔に死んでしまった父の兄に囲まれて、平和な山下公園を散歩する人々を、望遠鏡で見た。


父の兄の声がした。


「ほら、見えるだろう?」


「何が見えるの?」


弟の声になった父の声が聞こえる。


「ずうっと、ずうっと、続いてくものさ。そして、いつもいつものことさ。俺やおまえや、あらゆる人間が、ずうっと、ずうっと、続いてくってことや、過去は未来で、未来は過去だってことや、いつもいつも、みんな一人じゃないってこと…・心の中に、誰かが必ず生きてるし、誰かのなかに人はいつも生きてるってこと…」


調査役は望遠鏡を見た。


そして山下公園に発見した。


 妻を発見した。


 暖かい昼さがり、山下公園を散歩する、妻を発見したのだった。



・・・・・つづく

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