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ご病気の調査役  作者: 新庄知慧
61/64

臨終

61


遠くで、また爆発音がする。


ガソリンタンクに引火して自動車が吹っ飛んだらしい。


そして、男の大声が聞こえた。


悲鳴である。


誰かが爆風を受けて、空を飛んで地面にたたきつけられたのだと思った。


彼女の後方10メートルぐらいのところで、瓦礫がガラガラいう音がした。煙で見えないのだが、たたきつけられた男がそこで蠢いているらしかった。


「ここも危ない。とにかく、どこかへ行きましょう」


調査役はマミを促した。マミは生物を抱いたまま、目を閉じて涙を流していた。


後方の煙の中から、怒声が聞こえた。


「俺の女房と、またいちゃついてるな!」


太い、地の底から響くような、怒りに満ちた声だった。


「また、性懲りもなく、俺の妻と、乳繰り合ってるな…・」


怒りに満ちているが、辛そうな声だった。体を負傷して、息もたえだえになりながら、必死で絞り出している声だった。


「石本さん…」


煙の中から現れた、その怒りの声の主を見て、調査役は驚きの声をあげた。


また石本が現れたのだ。着ているものはずたずたに破れ、黒く焦げて、半分、裸だった。


額や頬から血を流し、もうすぐ死にそうな感じだった。


石本は、マミが放心したように必死で抱いている生物を見て、うめくように言った。


「それか。それが、おまえらの赤ん坊か」


調査役は驚いた。「おまえらの赤ん坊?」


「あまえらが乳繰り合って、できた赤ん坊だな」


「待って下さい。違います。赤ん坊じゃない。得体の知れない生き物です。


…あの。こちらは、石本さんの奥さんですか。知らなかった。とにかく、何かの間違いです」


調査役は焦った。


よろよろと歩く石本は、しかし、その生物が赤ん坊であって、自分の妻…?であるマミと調査役との間にできた、不倫の子であると主張していた。


もうすぐ死にそうなくせに、足取りはいやに確実で、迫力があり、調査役は金縛りに会ったように、そこから動けなかった。


すると、また別の声が煙のかなたから聞こえた。


「ほっとけよ。そいつは、麻薬のせいで、頭がいかれてる。それで痴漢したり、あんたを陥れようとしたりしたんだ。


大蔵の役人の地位を利用してね。


麻薬をやりすぎて、自分の妻にまで麻薬をやらせて、妻は気が狂って家出しちまったんだ。


そうやって、あんたに、大変なご迷惑をかけたんだ。


麻薬をやりすぎて、時間も空間も飛び越えるトリップをしてね、


テレビに現れたり、過去の人たちに迷惑をかけたり、過去の人々をここに引っ張り出したりしたんだ」


その声は、セブンマイルで聞いた声だった。


セブンマイルで、調査役が入った部屋の隣から聞こえた声。調査役は聞いた。


「なんだって?あんたは、誰ですか…」


「もう、わかってるだろう。あんたの思ってる人間だよ。新しい子宮から生まれようと思ってる人間だよ。


しかしなあ。その石本も、考えたら気の毒な男だよ。でも、撃ち殺しちまおうかなあ…」


調査役はちぢみあがった。「銃を持ってるんですか」


声は答えた。「ぶっぱなすかね。そう脅えるなよ。あんたを助けるために、われわれはやってきたようなもんなんだぜ」


「われわれ?」調査役は聞いた。


「そうだよ」


「われわれってのは…・」


「われわれは、あんたの中に生きている。あんたも、いつかわれわれの中で生きていたのかもしんないんだよ」


調査役は、頭を抱えた。爆風と煙の中で、きっと頭がいかれてしまったんだ。


声はさらに続けた。


「昔、あんたと、寸分同じ遺伝子を持った男が、そのマミという女を連れて、戦火の東京、空襲の中を、安全な場所を求めて逃げた。


そのとき、彼女は頭がいかれてた。もともと、白痴だったんだ。


しかし、あんたそっくりの男は、彼女を救出し、そして彼女は生まれ変わった。


その彼女のもとの亭主が、この石本とそっくりの男だったんだ。


その過去の生物の記憶が、爆風とともに、あんたや石本の中に、時間を超えて飛んできたんだ」


調査役は、また苦しくなった。肩の痛みがしてきた。どこかの小説で読んだようなことを言ってるなあ、と、漠然と思った。


目の前の石本は、ぜいぜい息をしながら、地に膝をつき、手をつき、そこにひれ伏していった。


その様子が、まるでスローモーションビデオでも見るように、調査役の目に焼きついた。


「あなたは、一体、誰?」


「俺は、もう死んでしまった人間だ。だから、新しい子宮から、生まれなくてはいけない人間なんだ」


「だから、誰?」調査役は、じれったくなった。


横では、マミが相変わらず、生物を抱いて、泣くように肩を震わせていた。


「俺は、その生物がうらやましい。きっと、その生物みたいに、新しい子宮から、やってくるつもりだ。


しかし、今は借り物の体で生きている。俺は本当は、1歳で死んでしまった。50年以上も前にね。俺が誰かわかるかい」


「だから、わからないってば」調査役の肩は激しく痛んだ。


また、ご病気がぶりかえした。激しくぶりかえしていた。


「あんたと、そっくりの遺伝子を持った男は、あんたと本当にそっくりだった。そして、マミを救った。


二人で逃げた。怒り狂う、石本そっくりの男から逃れて。逃れて、バラックみたいな小屋にひそんで、暮らした。


やがて彼女は妊娠した。誰が父親かはわからない。白痴はしょせん、白痴だから、誰とでも寝たんだ。


あんたそっくりの男と寝たのかもしれない。全然違う人かもしれない。しかし、生まれてすぐに死んだ。1歳で」


「1歳で…?」調査役は、声の言った言葉を繰り返した。


「俺は、その生物がうらやましい。新しい生物が、うらやましい」


声は近くなり、煙の中に足音が響いた。足音もだんだんと近くにせまってくる。


声は質問する。「その生物は、マミとあんたの子だと思うか?」


「違うよ…・」調査役は痛みにうめきつつ、辛そうに言った。


「違う…。あんたは、その昔のマミが孕んだ嬰児の生まれ変わりなのか…。さまよえる霊かい…。


それが、やくざの肉体に宿って、私の近くに現れたというのかい」


「霊。それでもいい。さっき、俺は遺伝子といった。あんたにわかる言葉なら、なんでもいい。俺は、あんたの中にもいる。


あんたも、俺の中に入ってくるかもしれない。われわれは、あんたを助けにきた…」


調査役の頭部の横に、冷たい金属の筒が当てられた。


調査役は、びっくりして目を開けた。


マミが生物を抱きしめて、自分の乳を与えようとしている姿が見えた。


貴い聖なるものに見えた。


そして頭部に当てられたピストルが、火を噴いた。



・・・・・つづく


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