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ご病気の調査役  作者: 新庄知慧
59/64

新宿大空襲

59


調査役は目をみはった。


限りなく曇りに近い青空に、100機以上はあろうかという大型の飛行機が飛んでいる。まさにテレビや雑誌で見たことのあるB29爆撃機にそっくりだった。


「何、あれ?」助手席の彼女が叫ぶ。


「アメリカの爆撃機だよ…」年かさの刑事がつぶやいた。


若い刑事が言った。「信じられないなあ」


「本当だよ。本当に飛んでいるよ。旧式の爆撃機が。アメリカ軍の演習かな。そんなことが許されるかね。今の日本の東京の空で。しかも、あんな旧式の飛行機を飛ばして」


「航空ショーなんじゃない?」女が窓から首を出すのをやめて言った。


「映画の宣伝じゃないですか」若い刑事が言った。「ハリウッド映画ですよ、きっと。爆撃の映画を作るんじゃないですか。昔、真珠湾奇襲の映画があったけど、その映画に使うために、本当に空を飛ぶ、本物の戦闘機を作って飛ばしてましたよ」


「おい、あんた、もう首をひっこめたら?」年かさの刑事が調査役に言った。


すると、また生物の笑い声がする。


「いやな声。絞め殺しちゃいたいくらい。あんた、なんとかしてよ」彼女が後ろを向いて、調査役に憎らしげに言った。


車は品川近くの分岐を過ぎて、新宿への道へ入った。


調査役は空を見続けた。


不思議だった。こういう光景に見覚えがあった。多くの爆撃機が空を飛んでいる。


この光景は、写真でもなければ映画でもテレビでも見たことがない。現実に、調査役の眼球が、過去に見た光景に思えた。


車は、地下トンネルに入った。闇とオレンジ色のランプに視界が支配される。


「おい、危ないぞ。首を引っ込めろ!」若い刑事が調査役に向かって怒鳴った。


調査役の耳に轟音が響いた。何の音だろう。


隣を走る、大型トレーラーの走る音だろうか。違う気がする。


調査役は、目を閉じた。瞼の裏に、女性の顔が浮かんだ。


必死で調査役を見つめている。白痴の顔。キャンディ・マミの顔。


彼女は一体、誰だ。なぜ、調査役の妻と同じ名前なのだろうか。


調査役は、ふと思った。マミは、ずっと昔、調査役といっしょにいたことはなかったか。


過去のアルバムに、マミの顔はあったか。そんなはずはない。しかし、本当にそうか、と言われると自信がなくなる。


調査役が、ご病気のせいか。記憶が、こんなにも不確かだ。過去が、こんなにもわからない。


過去ほど、あやふやなものはない。記憶なんて、いかようにも作りかえられる。


トンネルを出た。車の流れはスムースになった。


「ちぇっ。あの車、まだ後ろからついてきやがる」ミラーを見た若い刑事が舌打ちした。


そのとき、空の上から、夕立のような、ざー、という音がした。


車の走行する音に紛れて、はじめは聞き取りにくかったが、すぐに大きな音になった。


耳をつんざくような音になった。そして、高速道路わきのビルが、火を噴いた。恐ろしい爆音がした。


「何だ?」若い刑事が叫んだ。


続いて、あちらのビル、こちらのビルが火花をあげて爆発した。続けざまに轟音が響き、車が激しく振動した。


助手席の彼女が悲鳴をあげた。年かさの刑事が目をむいた。


調査役は慌てて窓から首をひっこめた。


フロントグラスの向こうには、新宿副都心の高層ビル群が見え、その上空には、爆撃機の編隊がひしめいていた。


先ほどよりも高度を下げたように見える。そして、それらの飛行機から、黒い点が、次から次へと、雨のように降り注いだ。


と、見る間もなくビルのそこかしこが火花をあげ、地上にも次々に火柱があがった。


「なによこれ。何の花火大会よ」助手席の彼女の声は、半分、泣き声だった。


本当に、夕立雨のように、空から爆弾が降り注いでいたのだ。


爆弾の雨は降り注ぎ、地上の街にぶつかって、爆発し、火災を次々に引き起こしていた。


見る見るうちに黒煙が空に舞いあがり、地獄の底の天蓋みたいに、あたりを覆った。


間断なく続く爆音で、耳の鼓膜が完全に破れたように思った。


爆弾が、ついに高速道路にも落ちた。


調査役たちの乗った車の、前方100メートルくらいのところだ。


道路に亀裂が入った。そして、ずり落ちた。高速道路は、落下して、急な下り坂になってゆく。


運転する刑事は大声をあげた。恐怖で顔が歪んでいた。必死でブレーキを踏んだ。しかし、もう遅かった。


車は猛スピードで高速道路の急スロープを滑走し、下の一般道路めがけて落ちていった。


一般道路には、落下した高速道路によって潰されたトラックから、黒煙があがっている。


そうする間にも、爆発音があちこちに聞こえ、火の手が上がっている。


窓から首をひっこめた調査役は、膝の上の生物を抱きしめた。


「大丈夫だ、生きるぞ!」


なぜか調査役は、そんな言葉を叫んでいた。




・・・・・つづく





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