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ご病気の調査役  作者: 新庄知慧
58/64

B29の空

58



隣の車は左ハンドルの年代ものの車だった。


ここには、これまた見覚えのある顔があった。


こちらは、最近見た顔であり、記憶は確かだった。天然パーマの髪、おちついた表情の丸顔。


「浜田さん…」調査役はそう言い、窓を開けた。


カプセルホテルにいた、あの、冷静な御仁。死んだ叔父である浜田義雄さんにそっくりの人。


助手席には、女性が乗っていた。これは…。調査役は、考えた。


これは、あの痴漢されたと言って、騒いでいた、ガラガラ声の女性ではないか。


調査役は車の外に向かって、声をあげた、


「浜田さん、あんた、浜田さんでしょ?生き返ったんですか?しかし、それにしちゃあ年が若いなあ」


車内の刑事二人は緊張の面持ちになった。助手席の女は、きょとんとした表情をした。


浜田氏は、窓を開けて、にっこり笑って言った。「はじめまして」


調査役は言った。ひどく懐かしい気持ちだった。


「昨日、会ったじゃないですか。僕は忘れていた。あなたが、浜田のおじさんだということを…」


浜田氏は言った。「忘れてはいけませんね。僕の隣の女性のことも、忘れたんじゃないでしょうね?」


調査役は、答えにつまった。


「だめだよ、君。吉野のおばさんだよ。君のお父さんも、おじさんも、お世話になったんだよ。おばあさんが、お嬢さん育ちで、何もできない人だったからね。お母さん代わりになって、よく、面倒をみてくれたんだ」


「そうか。知らなかった」調査役は言った。


浜田氏の乗る車の助手席にいる、そのおばさんは、照れくさそうに、口に手をあてた。


調査役は、茫然として言った。


「僕は、会ったこともないし。写真でしか見たことがなかったんです…・」


「どういう知り合いなんだ」隣の刑事が、調査役に聞いた。


「親戚です。それと近所の人…」


「へえ。とんだところで出会ったな」若い刑事は、そう言いつつも、用心を怠らない、という様子だった。調査役を救出に来た賊の一味とでも思っているらしい。


隣の車の浜田氏は、また、にっこり笑った。


「大事にしなさいよ。もうすぐ、大変なことになりますから」


そう浜田氏は言って、指で上を指した。


空から何かやってくるのか?そう思う間もなく、浜田氏はまた笑い、手を振って、車はスピードを上げて、調査役たちの乗った車を追い越していった。


「あ、行っちまいやがった」若い刑事が、ほっとしたように言った。


調査役は、窓から身を乗り出した。


「おい、後ろの連中は、何者なんだ。また、親戚か?」若い刑事が怒鳴った。


調査役は、刑事の声には耳を貸さず、空を見上げた。


「上じゃないわよ。後ろよ」食事療法士の叱責するような声がした。かまわず、調査役は空を見上げる。


夕暮れにはまだ時間がある。


空は青く、雲が多かった。もう少し雲が多くなったら、晴れではなく曇りということになる、境目の天気だった。


その空のかなたから、音がかすかに聞こえた。


「何してんの、あんた」女が怒鳴った。


「救助部隊が、空からやってくるのか?」若い刑事の声がする。


年かさの刑事が、異変を察知したように言った。「うるさいな…。なんの音だろう?」


調査役は空を見上げつづけた


。空のかなたから聞こえる音は、次第に大きくなり、ごうごうと響き出した。


「飛行機ですよ。もうすぐ羽田空港です」若い刑事は言った。「しかし、しつこいな、後ろの車。ミラーで見てるんですが、あの運転してる男、人相から言って、あいつじゃないかと思うんです。例の、丸の内線の拳銃発射事件の容疑者です」


「ふん。そうか。似てるな」ミラーを見て年かさの刑事はうなずき、応援をたのめ、と若い刑事に支持した。若い刑事は無線で本署と連絡をとりはじめた。


「どうも、やっぱり、おまえさんの仲間らしいな」


年かさの刑事は、調査役に言った。


「地下鉄の中で、あんたヤクの取り引きをしようとしただろう。そのときの、売人を撃った奴だよ。裏切り者を撃った奴さ。


われわれのことを警察だと知らないで、向こうから近づいてきたよ。手間が省けたかもしれない。


署につく前に、取り調べさせてもらおうか…」


調査役は、それには答えず、空を見続けた。轟音が次第に大きくなる。


年かさの刑事が大きな声で言った。


「おい、いつまで空を見ているんだね。うるさいし、寒いじゃないか。いい加減で、窓を閉めろよ」



そのとき、奇妙な笑い声がした。


おもちゃの人形のが笑い声、とでも形容したくなるような、変な声だった。年かさの刑事は驚いて、びくりと体を震わせた。


「なあに?いやな声…」助手席の女の声がした。


それは、調査役のひざの上にいる、生物の笑い声らしかった。


得体の知れないその生物は、ぴくぴくと体を震わせて、口を開け、目を細くして笑っていた。


「気味の悪い奴だな…」


年かさの刑事は、吐き捨てるようにして言い、調査役の肩を叩いた。


「おい、こら、窓を閉めんか!」


窓の外からは、飛行機の轟音が空から響いてくるのが聞こえた。


それは、ジェット機の音ではない。昔なつかしいプロペラ機の音だった。


それも一機や二機ではない。沢山の飛行機が飛んでいるらしく思える。


年かさの刑事も、さすがにおかしく思って、自分の横の窓を開けて、空を見た。


「何だありゃあ?!」


空を見上げた刑事は、大声を上げた。


「何が見えるの?」


助手席の彼女も興味を示して、窓を開けて空を見上げた。


「どうしたんですか、一体、みんな、何が空にあるんです?」


運転手の若い刑事は、自分が空を確認できず、苛立って言った。


「飛行機だよ…」


 年かさの刑事が、ひからびた声で報告した。


 「ずっと高い上空だが。飛行機の大編隊だ。あれは、まるで、B29だ…・・」


・・・・つづく









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