キャンディ・マミ発見
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彼女は、別に美人ではないが、田舎出身だけあって色が白くて、目が真っ黒に光っていて、雰囲気が清潔だった。
調査役はそのとき、こんなことを言ったと思う。
「夢や希望がかなって、その通り生きられる人なんて、ほとんどいない。ほとんどの人が、夢とかけなれた仕事について、かけはなれた生活を強いられて、でも生活していく。
そして病気になるくらい辛いだろう。でも生活する。仕方ない。生活のために金がいるから、仕事する。
愛でも結婚でも、すべて、きっとそうだ。(調査役には、このとき彼女がおらず、その後10年も彼女がいなかった)
でも、だからなんだって言うんだ。僕は負けない。きっと、みんな、ひっくりかえしてみせる。僕はがんばるんだ。夢や希望なんていらないんだ。
僕自信が、夢や希望なんだから」
…少し違ったかも知れない。
いずれにしろ、実にくだらない虚勢を威勢よくはっていた。それしか手がなかったのだ。
相手の女の子は、そうよ、がんばってね、と賛同・応援してくれた。輝く笑顔だった。
調査役は自分の言っていることが、すべて大嘘だっただけに、その応援は涙がでるほど嬉しかった。そして、願わくは、この子の夢がかなってほしいと本当に思った。
いやらしい利己主義でしか生きられない調査役にとって、そんなことを考えたのは、後にも先にも、あのときだけだったと思う。
そのとき、彼女だって、いくら若いとは言っても、調査役が夢破れた普通のサラリーマン生活を開始して、落ち込んでいたことはわかっていたはずであり、それをそうとは感じさせずに、あんなに輝くことで、調査役を励ましてくれたのだから、本当にすごいことだった。
あれから、もう、10年以上過ぎた。
虚勢と詐欺で、うまく自分を励ましつつ、がんばりつづけ、惨めな会社にあっては、一番忙しいエリート職?について、血液が真っ黒に濁って、ご病気になり、やっとのことで結婚した妻にも逃げられた。
それで人生半分おしまい。いや、もう、あと半分もないかもしれない。
調査役は煙草を出して吸った。頭がくらくらするが、吸わずにはいられなかった。
その後、あの子が、どこかの舞台に立ったとか、映画に出たとかいう話はまったく聞かない。
やっぱり、だめだったのだろう。彼女は、もう30歳をとうに過ぎているはずだな。
彼女の、その後のことを思うと、なんだかとても悲しくなった。調査役はまた煙草を吸った。
そして思った。今の私は、虚勢もなくなった。
ただ生活のために、どうやら生きている。
でも、私・・・いや、僕は、そんな風にして、はたから惨めと思われようが、動物以下だといわれようが、一生懸命生きている人に、感銘する。
挫折や絶望をした人はもとより、挫折や絶望なんていうものも、もとから知らず、いやな人に言わせたら、「社会の底辺」だろうが、ただ生きているだけじゃないか、といわれようが、馬鹿にされようが、それに絶え、あるいはそんな自覚もなくても、生き続けている人々に、感銘・共鳴する。
10年前の僕には、そんなことを言う資格はなかった。
なぜなら、僕はまだ惨めな苦労をしてなかったから。
僕は人生の入り口にいて、偉そうな評論をする若造にすぎなかった。
僕は今、そういう惨めな生活者になった。僕自身がそうなった。
かっこわるい、不運で、無能な生活者。
なにより、僕は歳をくった。歳をくったのだ。どんなに偉大な青春も、夢も、希望も、歳をくってからでなきゃ、わからない。
僕は、昔は、教育のない、頭の悪い、顔も悪い、たとえば最低の肉体労働しかできないような人とか、
僕のように、最悪の頭脳労働しかできない人のことを、あからさまに軽蔑すべきではないと、
虚飾・偽善に満ちたことを言ったり、心の浅瀬で思ったりしながら、本当にはそういう人のことを何も知らず、
そして、心の底ではぼんやりと軽蔑・非難・唾棄したり、
自分だけはそうなりたくない、「ひっくりかえしてやる」などと言っていた阿呆だった。
しかし今は違う。
僕は自分自身が、そんな人になったし、そんな人に実際なってみなければ、わかりはしないのだ。
僕はちゃんと惨めだ。ちゃんと、ご病気だ。
しかし僕は生きてきた。
とにかく生きてきた。
……うまく言えない。
調査役は、煙草を揉み消した。そして、喫茶店の方に歩いた。
ここに、10年前に来たのだ。少しよろめきながら、歩いた。
その喫茶店の入り口の横に、ポスターが貼ってあった。
調査役は動悸がした。ひょっとして、あの子が出演する演劇…・・
いやにけばけばしいポスターだった。昔のアングラ芝居のそれに似ていた。しかし演劇ではない。
それは、ストリップショーのポスターだった。大きく、
「キャンディ・マミ来たる!」と書いてあり、女性の顔写真がアップで出ていた。
調査役は「あっ」と言った。
その女性…それは、昨日カプセルホテルのテレビモニターに現れた、あの汚れた白いドレスの女性だったのだ!
・・・・・つづく




