休日の尾行者
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休日に外出することなど滅多にない調査役は、ろくな普段着も持っていなかった。
青いデニムのズボンに灰色のポロシャツ、ビニール地の登山用ヤッケみたいなもの、と、ありあわせの服を着て外に出た。
午後の2時半。外は、青空で空気が軽く、陽射しは柔らかい。風が少し吹いている。
自宅前の通りから、JR山手駅を横目に見て、商店街のある通りへと歩いた。
駅前の蕎麦屋にでも入るつもりだったが、歩き出すと、天気がよいせいか足がひとりでに動き、いつのまにか商店街を通り抜けてしまい、4車線のバス道路に出てしまった。
そのバス通りを歩いた。
バス通りには、休日なのに車が意外と多かった。
渋滞こそしていなかったが、横浜観光に来たらしい、他府県ナンバーの車が目についた。
調査役は、ふと思いつき、後ろを振りむいて見た。数人通行人が、まばらに歩いていただけだった。さっきの、電信柱の影にいた中年男はいなかった。
調査役の散歩は進んだ。
元町方面へと続くトンネルを抜けて、元町の入口まで来てしまった。
このまま行くと、中華街まで歩きかねない。いや、いっそのこと、中華街まで行って、おいしい広東そばでも食べようか…
そんな風に考えていたとき、見かけたことのないレストランが舗道沿いに見えた。
地中海料理の店らしかった。タバスコやバジリコの匂いが感じられて、空腹感を刺激され、その店に反射的に入った。
キノコが何とかしたという冠言葉のつけられたスパゲティを注文した。
調査役が座ったのは、窓に面した席で、通りの様子が良く見えた。
元町商店街の入り口のあたりは、休日にはいつもそうなのだが、人混みで、ごったがえしていた。
しかし、今日はいつもよりも人手が多いようだ。季節になると行われるバーゲンセールでも行われているのかもしれない。
注文の品が来た。
調査役はフォークを手にすると、一気に、そのスパゲティをかき込んだ。うまかった。空腹は最高のソースである。
食べ終わって、水を飲み、煙草を吸った。やっと人になった気がした。
調査役は再び外を見た。
すると、あの男がいた。
別に、こちらの様子をうかがっている風ではない。人混みの中を、元町の入り口へ向かって歩いていた。
調査役は、不快な気分になった。また嫌な予感がする。
尾行されているのだろうか。
しかし、そんなはずはない。それなりに、後ろに注意しながら、歩いてきた。
あの中年男がいた気配はなかった。あの男は、偶然、歩く方向が同じで、調査役に少し遅れて歩き始め、今、ここにたどり着いた。そういうことなのだろう…
しかし、少し不安もあった。ためしに、そこらを歩きまわってみようか…
調査役はそう思い、店を出た。
石川町駅へ向かって歩く。
駅へと続く道もまた、人で混雑している。通常の商店で服や靴や宝石を売っているし、街頭にはパラソルに御座を敷いた即席の店舗で、シャツやアクセサリーを販売していたりもする。
そこを大勢の人が歩いている。人の波をぬって歩き、駅の改札口に着いた。
切符を買い、ホームへの階段を上る。踊り場にあったトイレに入り、少し間をおいて外に出て、なにげなく階段の下に目をやる。
大勢の人がいる。
素早く目だけ動かして見回すが、そこに中年の男は見当たらなかった。
東京行きの電車に乗った。通勤電車ほどではないが、混雑していて座れなかった。
吊革につかまり、また何気なく車内を素早く見るが、尾行者の影はなかった。やはり気のせいだったのか。
桜木町駅で急に電車から降りた。電車が去り、ホームに人影が少なくなったころ、ホームを見渡した。
あの中年男は発見できない。ホームの向こうに青い空があり、ランドマークタワーが、ねぼけたように、のっそり建っていたのが見えただけだった。
しかし、ホームの隅々まで点検し終わらないうちに次の電車が来た。
もし、どこかに尾行者がいたとして、その尾行に感づいたことを相手に悟られないほうがよい、という気がして、あたかも降りる駅を間違ったという風に装い、調査役は電車に乗った。
横浜駅で人が多く乗り降りしたとき、目の前の席があいたので、座った。
電車には、日が差し込み、ぽかぽかと暖かかった。調査役は目を閉じた。
尾行者がいたとして、それは複数かもしれない。中年男だけをマークしてもはじまらないのかもしれない…。と調査役は考えた。
しかし、調査役を尾行するのは何者か?
刑事か。痴漢事件の関係か、それとも、地下鉄の中で起きた発砲事件が原因か。
それとも、歌舞伎町のセブンマイルの発砲事件?
あの件は、警察には知らせてない。
どうかして、警察が嗅ぎつけたとも思えるが、それなら尾行などしないで尋問に出ればよいはずだ。
すると、警察ではない誰か。とすると、セブンマイルの関係者。
店の人間を射殺した、隣の部屋にいた男か、その関係者だろうか。奴等は調査役を尾行して、何の得があるのだろう。
色々考えるうちに、暖かい陽射しに包まれた電車の中で、調査役はうたた寝した。
目が覚めると、電車は、品川駅に着いたところだった。
電車の扉が開き、駅の看板に「しながわ」の字が見えた。こんなところまで、来てしまったのか。
そして開いた扉の、すぐ脇に座っている男が目に入った。
それは、あの中年男だった。
調査役は驚いた。
やはり、こいつは、俺を追っているのか。
・・・・つづく




