現行犯逮捕・・・って
3
調査役は窓の外に目をやる。
電車の窓の向こう、みすぼらしい民家やすすけたビルの向こうに青空が見え、ときどき、人々の顔が見え隠れした。
本当にそこにいた人の顔もあったが、実際にはそこにいない人の顔もあった。
それは、実家で昨晩みた古いアルバムにあった、最近死んだ父。
終戦直後に結核で死んだという父の兄、また、戦争中に満州で亡くなったという母方の叔父・・・・
そして軽い脳腫瘍をわずらって、実家のベッドに横たわっていた母の顔などだった。
「あやまれ!」
さっきの女の声が叫び、調査役の背中が、強い力で押された。
女が人垣の向こうで暴れ、その影響で人々が押されて、その圧力が調査役にまで影響したのだ。
「おい、もう、いい加減にしろよ」
「次の駅で降りて、白黒つければいいじゃん」
方々で迷惑そうな声があがった。情勢は女に不利だった。
「痴漢なんだよ。あたしは痴漢されたんだよ。あたしに同情したらどうだ!」
女が怒声をあげた。男みたいに勇ましい、だみ声だった。
ぷっ、と吹き出す声がどこかで聞こえた。違うところで、「しつこいね、ちかごろの婆さんは…」とか小声で話しあっていた。
急に電車がゆれた。
緩いカーブにさしかかっただけだったのだが、運転が下手だった。
人の波がうねった。
調査役は、ガラスが割れてしまいそうなほど、窓に強く押しつけられた。
若い女の悲鳴が聞こえた。
バランスをとろうとして叫ぶ、どよめきが聞こえた。
そして、電車は止まった。
続いて「停止信号のため停車しました、安全確認の後、発車します、というアナウンスがあった。
乗客の、ちぇっ、という声がした。
電車の中は、まったくなすすべもない人々が、身動きもできず立ったままでいた。
抵抗も何もできずに、ただ待っていた。
あたりを静寂が支配した。
それから、しくしく泣く、女の声がしてきた。ガラガラ声の泣き声だった。
痴漢だと騒いだのに、まわりに相手にされず、それどころか非難さえされて、さっきの女が泣き出したらしい。
車内の人混は、その泣き声を無視して、静寂を続けた。
すると、男の声が。
「現行犯で逮捕する!」
車内がいっせいに、その男の声のするほうに注目した。
調査役も、体をよじって、そちらを振り向いた。
騒然とした感じ。人と人の間から、銀色に光るものが見えた。手錠らしい。
「おお!」
さきほど、女と口論していた若い男の声がした。
見ると、つかまったのは、その若い男ではない。
手錠をはめられたのは、背の高い、やせた中年男だった。
どぶねずみ色の背広姿の背中が少し見えた。
「助けてください」 その背広は、力なく言った。
「でき心です」
・・・つづく