背中の銃弾。記憶の光。
18
崩れ落ちた若い男は、背中に黒い穴があいていた。
体の下に、みるみる血だまりがひろがって行った。男はぴくりとも動かなかった。
調査役の回りから、乗客たちが逃げ去った。
電車のその車両には、調査役と倒れた若い男が、さびしく取り残された。
しかし暫くすると、ぽつりぽつりと人が寄ってきて、やがて黒山の人だかりになった。
緊急事態のため、電車はその駅の停車時間を延長した。
駅の職員が血相を変えてやってきて、すぐ引き返し、調査役が呆然としている間に、白衣の屈強な男たちが現れ、制服の警官が現われ、大声で怒鳴りあいながら、立ち回った。
気がつくと、倒れた若い男の姿は目の前の床から消えていた。
調査役を含め、乗客の何人かは駅の事務室へ連れていかれた。
私服刑事らしい中年男と制服の警官が現れた。
中年の刑事は、調査役に矢つぎばやに質問を浴びせた。
「少し頭がいかれていたんだと思います。爆撃がどうとか、言ってました。私も気分がすぐれなくて。無視しようとして書類を見たりしてました」
調査役は、憔悴しきった様子で質問に答えた。
刑事はメモをとりながらうなずき、調査役に険しい視線を投げた。
「撃った男のことは目にはいりませんでしたか」
「はい」
「そうですか。いや、どうもありがとう」事務的に言い、すぐに刑事は別の、学生風の乗客に質問した。
「犯人を見ましたか」
学生風の男は眼鏡を指で押し上げながら答えた。
「黒シャツの奴だったです。若い奴で、ズボンも黒かった。リーゼントだったです。いかにもって感じの、ありゃあ、歌舞伎町あたりで見かける感じだな。痩せ型で、映画に出てくるギャングみたいな奴。日本人じゃないかもしれません。眉も髪の毛も黒くて太くてね」
記憶の良さそうな男だった。調査役に顔を向けて、刑事に言った。
「被害者は、こちらの方に、知りあいみたいに言い寄ってました。何か言って、撃たれたんです」
調査役は慌てて刑事に言った。
「知り合いだなんて、とんでもない。初対面ですよ」
学生風の男が謝った。「すみません。僕も知り合いとは思いません。大変、ご迷惑なさってましたよね。そう見えただけです。あの人、誰でも良かったんでしょう。知り合いみたいに話したかったんでしょう」
刑事が調査役に再び質問した。「被害者は、あなたに、何を言ったんです」
「陰謀で、爆撃が開始されると。それで、俺に見覚えはないか、と。変なことを言いました」
そういえば、今日の自分の行動のことも言っていたな、と調査役は思い出し、ぎくりとした。そのことを言おうかと思ったとき、別の、年配の乗客が口をはさんだ。
「その方も被害者ですよ、刑事さん。一歩間違ってたら、その方に弾が当たってかもしれない」
「ああ。確かに」刑事は言って、調査役に頭を下げた。
「ご無事でなによりでした。ショックでしょう。おかげんも、すぐれないようです。お顔の色が悪い。こんなときに、いろいろお聞きして申し訳ないですが、仕事です。ご容赦下さい」
「いえ。とんでもない」調査役は手をふって答えた。
刑事は、さらに別の何人かの乗客に質問した。
調査役は、その問答を虚ろな頭で聞いていた。撃たれた若い男の言ったことを反芻し、思い出した。
小一時間もして、とりあえず質問は終わった。後日の捜査に備え、めいめいの連絡先を再度確認された後、乗客たちは開放された。
もう午後の1時に近い。調査役は再度会社に電話を入れて事情を説明した。
「それは、とんだこと、でした」
電話口に、相変わらず無機質な上司の声が聞こえた。
「で、どうです。出られますか」
「はい。もちろん」
そう言って、携帯電話を切り、調査役は気分を変えるために地上に出た。
タクシーをひろおうとしたが、昼どきの通りは混雑していて、なかなか空車が見つからなかった。調査役は舌うちをして、舗道をしばらく歩いた。
いったい今日は、どういう日なんだろう。忙しい午前中だった…
しかし、その午後は、午前にも増して忙しかった。
会社にある不正事実が発覚し、その揉み消し工作に七転八倒した。
おかしな午前中には、過酷な午後がついてくる。
不運と試練はいつも連れ立ってやってくる。
奇怪な午前には危機的な午後が、そして苦難の夜が続く。色々の言葉が調査役の頭で回転し、吐き気がした。
めまぐるしく動きまわり、打ち合わせ、粉飾資料の山を作った。
会社には簿外の債務が山積していて、取締役がその事実を隠匿していた。政治家との関連もあった。
最近はこの手の話は珍しくなかったが、今回のは額も大きく、事案の関係も複雑だった。
どう料理して、どう虚構を創作すべきか。調査役の脳髄と肉体は酷使された。そして、あっという間に時間は過ぎた。
…………
会社を出たのが午前12時を少しまわっていた。
会社玄関の横には、深夜客めあての、個人タクシーが、列を作っている。その列へ向かって、調査役はゆらゆらと、幽霊みたいにして歩いていった。頭の中は疲れきって空っぽだった。
先頭のタクシーのすぐ近くに来たとき、ヘッドライトがついた。
その瞬間、調査役の頭の中にも、何かが光った。
記憶の光である。その光に照らされて、男の顔が浮かびあがった。あの、地下鉄で撃たれた男の顔だった。
・・・・つづく




