愛、愛って、うるさいな
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「そうですか…」
調査役は息苦しくなってきた。
相変わらずこの目は美しい、そして、なんで「あてずっぽう」で、自分と妻のことをこんなに言われなければならないのか、
不信でたまらない。
その両方で、息が苦しい。
「あなただって、恋愛は素敵と思うでしょう?」彼女の目は真剣味をおびてきた。
「…・・」調査役は、また首をかしげた。
「女性に、魅力を感じたことはありません?」そう言って、彼女は誘惑するような目で調査役を見つめた。
体をななめに崩し、セクシーなポーズをとった。
「そりゃあ、まあ」乾いた声で、調査役は言いかけた。
すると、また唐突に彼女は言った。
「あなた、さっきから、私を抱きたくて仕方ないでしょう?」彼女はウインクした。
挑発だ。
調査役は身構えた。彼女が言ったことが図星なだけに、調査役は脂汗をかいた。
少し間があって、彼女が言った。
「愛はみんな破壊しますよ。本当の愛は、みんな壊してしまいます」
彼女は、ゆっくり、説得力の ある言い方で言った。
そしてまた沈黙した。それから、ぽつりと言った。
「私、好きな人ができて、夫を捨てたの」
何が言いたいんだ。
言ってることは、愛は愛でも、ただの性愛のことじゃないのか、と内心で調査役は思った。
そうか、夫を捨てたのか。
さっきからこの人が言ってたことは、この人自身の体験的恋愛至上主義論であったのか…
調査役は納得した。そして声をかけた。
「お若いのに、いろいろと、苦労なさってるんですね」
「ええ」彼女はうつむいた。
「私は愛人と逃げましたから、今、その愛人を愛してますから、あなたが私にいくら色目を使っても、だめです」
「色目なんか使いませんよ」
「そう?」それは残念ね、とも聞こえるような、奇妙な声で返事した。
調査役は答えをはぐらかした。
「好きな人といっしょなら、何よりじゃありませんか。とっても、いいことですよ」
「そう?」また奇妙な声色。
「本当にそう?愛の逃避行をした方はいいけど、捨てられた夫の気持ちはどうなの?無視していいの?」
「え?」また、何が言いいたいんだと、調査役はあきれた。
「あなた、どう思うんですか?私の夫も、あなたみたいに、血液の濁り切った人になってるんじゃないかしら。いいのかし
ら、私…」
「純愛は、すべてを破壊する、ということを、さっきあなた、おっしゃったじゃないですか。血液ぐらい、濁り切ってしまうで
しょう?」
「そうかしら。それでいいのかしら…」彼女は辛そうに言った。
いつまでこんな女とつきあうのか。
この女がこれほどセクシーでなかったら、とっくの昔にこの部屋を出ていただろう、と調査役は思った。
「いいんじゃないですか。私は知りません。変に同情される方が、捨てられた方にとっても迷惑なんじゃないですか?プ
ライドってものもあるし…」
「そう?そうよね」急に、彼女はふっ切れたように明るい声を出した。「そよね、そうよね」
そう言って、朗らかに笑いさえした。目は少し涙ぐんでいた。
調査役は、彼女を慰めるようにして言った。
「私の例で言えば…。お察しのとおり、私の妻は行方不明ですが、妻の不在を嘆くひまもないです。
なんでいなくなったのか、あなたのように、愛人と逃避行したのかどうかわからないけど、仕事に忙殺されて、それどころじゃない。
体も、こんな風に痛みきってる。でも、これは妻の不在が原因ではありません。
私は、むしろ妻が心配です。どこかで事故にでもあったんじゃないかと。
そろそろ捜索願いを出さなくてはと、思ってます」
すると、彼女がぶっきらぼうに言った。
「あなた、まだわかってないのね」
「え?」
「愛人と逃避行したのよ。奥さん」
「何?」
「ああ、あてずっぽうだけど。愛人と逃げたのよ」確信げに言った。
調査役は、どう答えたらいいか理解に苦しんだ。彼女は続けて言った。
「でも、愛を貫くと、その代償が要る…。代償が要るわ。私たちの場合、私の愛人が、まず支払った…・。さっきの献立で
すけど」
「え?」
「あなたの食事療法シート… その、そこにでてくる、エンブリとかボンブとかは、代償にされた愛人や愛です」
「…・・?」
「それを食べるのが、あなたにとって、最良の食事療法と思ったんです」
「…・・あなたの愛人を私が食べる?」
気が変なのか、この彼女?
「私たち、十分、代償を払って、愛を貫いてます。もうすぐ、この私も、エンブリやボンブか、それともほかのものに変えら
れてしまうでしょう。でも、私は愛を貫きます。そうまでして愛を維持できるか、やってみます」
調査役はまったくわからなかった。ますます、ご病気になりそうだった。彼女は言った。
「愛の罰を受けた私は、ひょっとしたら、あなたに食べられてしまうのかもしれません…・」
・・・・
どこかで、大音響がした。
鉄の扉が閉まるような音だった。
調査役はぎょっとして背筋を伸ばした。
続いて近くで激しい音が連打された。
ドアを激しくノックする音だった。
・・・つづく




