楽園の主 “モルフェ”
泉の水は美味しかった。
これに比べれば水道水どころか市販の飲料水すら味気ない。
体の奥底から元気が滲み出してくるようだ。
今は彼女に促され花畑に胡坐で腰を下ろしている。
花を潰して良いのかと思ったが、モルフェが花々を動かしてスペースを空けてくれたため問題は無い。
「どう? 気分は良くなった?」
心配するかのように体の周りを飛び回るモルフェ。
「あ、ああ。大分良くなったよ」
「そう? なら良かった!」
喜びを全身で表すかのように曲芸飛行を始めた。
その光景は微笑ましくもあるが、素直に笑う事ができなかった。
……この状況は不味いな。
内心では焦っていた。
モルフェの存在が良くも悪くも予想以上であったからだ。
……自分で“名”を定義できる程の存在なんてな。
情報存在は核に情報が肉付いて生まれる。
肉付く情報というのは、大衆の思念や想像。
つまりは方向性が無い。
大体こうだろうなー。というふわっふわで曖昧な情報の集まりだ。
故に外部からの情報によって性質がコロコロとまるで雲の形の様に変質する。
そのかわり、大衆からの情報がある限り不滅と言える。
そして自身に“名”つまり個を定義するというのは大衆の思想というある種の無限のエネルギーから独立するという負の面がある。
しかし、個に不必要な情報を切り捨て、更には自身で情報を生み出しそれを糧とする循環が生まれる。
……『モルフェ』という一つの生命体に成るわけだ。人と同じく経験・学習を繰り返し“成長”する存在に……。
無名と名有りの違い、それは現実世界への干渉度だ。
名が無ければ、世界にさほど影響は無い。
構成する情報の性質が重なる事で、心霊写真のように写り込んだりして干渉する事がある。
大体一刻も経たずに情報の変質で露と消えるので、殆んどが錯覚と勘違いしてしまう程度だ。
それが名を持つ事によって一つの生命存在と成る。
自身の核にまつわる特異な能力を持ったままに。
今では神話や伝承に残る存在が“名”を持った情報存在ではないかと言われている。
……不幸中の幸いかモルフェは“妖精”らしく天真爛漫で“友好的”な存在みたいだな。
本性を見せていない可能性もあるため安心はまだできないが。
「大分良くなったし、そろそろお暇させて貰うよ。気遣ってくれてありがとね……っと、あれ?」
立ち上がろうとするが足が動かない、どうやら腰を抜かしてしまったようだ。
……少なくとも死ぬ心配が減って気が抜けたからかな?
どう足掻いても立つ事はできそうに無い。
モルフェも察したのか。
「んー。お兄さんもう少し休んだほうがいいよ。そんな状態で森の中を歩くのは危ないよ?」
「そうだね、お言葉に甘えてもう少し休ませて貰うことにするよ」
「そうそう無理は禁物って“ベリー”がいつも言ってるしね」
「“ベリー”?」
ちょっと嫌な予感がする。
「うん! 私の家族!」
的中してしまったようだ。
「あっそうだ! お兄さんもただ座っているのは暇でしょ? 私の家族を紹介するよ!」
「へっ? あ、ちょ――」
制止の声掛け虚しくモルフェは花畑に消えた。
「家族って……まさか、ね」
願わくばこの予感が的中しませんように。
そう神に願ったが、神は既に死んでしまっていたようだ。