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捕まらないとは言っていない

「流石に暑いな……」

 まだ中身の残る水筒を背嚢にしまう。

 額から流れてくる汗を首に巻いた手ぬぐいで拭く。

「この時期でも歩きっぱなしはキツイ」

 今、自分が居るのは山の中腹。

 冬明けでまだ肌寒い時期ではあるが、起伏に富んだ道なき道ばかりを歩き続ければ汗もかくし息も上がる。

 普段から室内でぬくぬくと過ごす身には、僅か30分にも満たない野外調査(フィールドワーク)が大冒険に早変わりだ。

 成人男性の体とはいえ文明の利器に依存しきった身体能力は、下手をすれば中学生にも劣るだろう。

 そんな自分が何故こんな過酷な冒険をしているのかと言うと。

「山中にある池と花畑……やっと、見つけた」

 起伏に富み、木々が乱立する中そこは在った。

 木々も無く一面が均された広場。

 そこに咲き乱れる花々。

 その隣には底が透けて見えるほど透明度の高い水が沸く小さな泉。

 まるで“楽園”だ、そしてこの場所こそが目的地。

 逸る気持ちを抑え、踏み入る事はしない。

 “楽園”から少し離れた木々に隠れ様子を窺う。

「……情報だとこの辺りに居る筈なんだけれど」

 背嚢から双眼鏡を取り出し観察する。

 見れば見るほど不思議だ。

 山の中にぽつんと存在する“楽園”。

 聞いた話によれば、時期に関係なく様々な花が咲き乱れているとの事。

 それに、この“楽園”の土地は花畑と泉を合わせて綺麗な円を描いている。

 花と泉、自然の象徴の筈なのに周囲の木々との違和感が酷い。

 その浮きっぷりから、突如出現したと言われたほうがしっくりくる程だ。

 どんなに資料を調べても“楽園”を作った工事や手入れの記録は無い。

 そもそも地形を考えれば重機の搬入は厳しい、仮に道具が持ち込めても人の手では厳しすぎる。

 それでも、この“楽園”は自然に出来たものではない。

 ならば、誰が作ったのか。

 それは――

「“妖精”は何処だ?」

 妖しい精と書いて“妖精”。

 元は西洋のfairy(フェアリー)の訳語である。

 有名な物の一つにシェイクスピアの『夏の夜の夢』がある。

 絵画や文学では“小人”として描かれる事が多い。

 最近では幼い少女の様な姿が一般的か?

「科学が不可思議を証明するとは……一昔前だと考えられんな」

 隆盛を続けた科学力は新たな段階を迎えた。

 それは、情報存在の発見。

 物質に依存しない存在。

 概念という人類の未開地に生きる彼らとの交流を可能としたのだ。

 世に存在する伝承、伝説、お伽噺は彼らと触れ合った記録。

 それは幽霊や妖怪といった魑魅魍魎の存在の証明へと繋がった。

「慎重に……気を抜くな。卒論のために命を落とすとか洒落にもなんないぞ、俺」

 心なしか心臓の鼓動が大きく聞こえる。

 じんわりと心を侵す恐怖のためだ。

 情報存在。

 一口に言うには彼らは多種多様だ。

 気安く友人の様に付き合う事ができる者、融通が利かずロボットの様に条件を遵守する者。

 それは彼らを構成する情報によるもの。

 核となるものに肉付けされた情報次第だ。

「そう。友好的ならともかく、度を越えた悪戯好きとかだったら命が幾つあっても足りない」

 その在り方については、今回の目的である“妖精”は特に顕著だ。

 “妖精”の一言で思い浮かべるものは何なのか。

 ある物語では友好的であり人と結ばれる事もあるが、ある絵画では邪悪で悪意を持つ者と描かれている。

 ある伝承では聖剣を渡す貴婦人であり、ある戯曲では悪戯で取り替え子(チェンジリング)を行う。

 相反し、矛盾するようで実はしていない。

 人と恋に落ちる一面も、面白半分で命を奪う一面も。

 全ては“妖精”という情報の核に人々の思念や想像という情報が肉付いたものである。

 だから今この場に現れる妖精が、花も恥らう淑女たる存在であっても、好奇心の赴くまま恐怖と絶望を与える悪鬼羅刹たる存在であっても可笑しくは無い。

 核に付随する情報によっては人には手に負えない、伝説たる存在にすら成りえる。

 だからこそ、“妖精”を学ぶ者が耳にタコができる程に聴かされる言葉がある。

 “妖精に捕まってはならない”。

 良くも悪くも、絵本に載るような可愛らしい存在ではない。

「ま、そんな存在に成れる程、この山に情報は無いけどな」

 人が少ないほど、現実に干渉する程の情報量を得るのが難しいというのが今の常識だ。

 というかそんな存在がポンポン生まれているのならば、人類はもっと早くこの事実に辿り付く事ができただろう。

 人と関わりの薄い山の中では生まれたとしても一体か二体が精々だ。

 それも存在強度の弱いもの。

 大声を浴びせれば陽炎の様に消えてしまうぐらい儚い弱さ。

 とはいえ、惑わす能力は大なり小なり脅威なので慎重になるのは間違いではない。

「せめて写真を一枚でも撮れたらな……お?」

 見つけた。

 先程まで静かに揺れていた水面に波紋が幾つも広がる。

 それはリズム。

 蝶の様に綺麗な羽をはためかせ、泉を舞台として踊っている手のひらサイズの少女。

 聞こえぬ曲に合わせ飛び跳ねる度に、金の長髪が舞い、水面に波紋が広がる。

 その舞は正にこの世のものとは思えないほど、

「……凄い」

 美しかった。

 気が付けば写真を撮っていた。

 もしもの時のために買っておいた望遠レンズが今、その仕事を全うしていた。

「……もう写真はいいか。“妖精の舞踊(フェアリーダンス)”の記録は少ないからな、これは貴重な資料になるぞ」

 “妖精の舞踊”はただの踊りではない。

 妖精が踊る時、それは何かしらの儀式か主張である。

 基本的に、“妖精の舞踊”が行われた土地は豊かになり、田畑があるのなら豊作間違いなしと言われる。

 だが、妖精に悪意や害を成した者に行う場合がある。

 復讐だ。

 対象は少なくとも怨嗟と苦痛と絶望の海に沈む事になる。

 人目につかないよう秘密裏に行われる“妖精の舞踊”はそれこそ神秘の塊だ。

 卒論に使うには申し分ない資料だ。

「さて、気付かれていない内に帰るとするか。資料は十分に揃ったし……っとその前に」

 写真の確認を行う。

 今ではすっかり主流になったデジタル式のカメラなので写真の確認が可能だ。

「肝心の被写体が写ってないってなったら骨折り損だからな」

 情報存在も撮る事が可能なのがウリであり高かった。

 が、写真を確認する限り、その値段に見合う仕事をしてくれていた。

「よし、バッチリだ。それじゃあ下りるとしま――」

「わぁ、綺麗に撮れてるねー」

 思わず息が止まった。

 それでも指は止まらず、次々と写真を表示していく。

「おっ、この角度! 分かってるねー」

 心臓が早鐘を打つ音が鼓膜を直撃する。

「そう! この瞬間! このポーズは決まったって私感じたもん」

 いつの間にか自身の肩に腰掛けた存在。

「ん? どうしたのお兄さん? 顔色悪いよ?」

 赤い瞳で顔色を窺うように飛翔する少女。

「お水飲んで休んだほうがいいよ。今祝福したばっかりだから泉の水を飲めば直ぐに元気になるよ!」

 触れれば折れてしまいそうな細い腕に引かれ、体は意思を無視して動き出す。

「そういえば、ニンゲンは知らない相手に着いて行っちゃ駄目なんだっけ?」

 それは――

「なら。私、モルフェ! ホラ、これで知らない相手じゃないでしょ?」

 先程まで、踊っていた――

「ここで生まれてからニンゲンって始めて見たよ! おっきいねー」

 “妖精”であった。

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