Living Music
ジョセフ・シュトラウスは、先日の『ワイバーン』討伐で友人となったC級冒険者パーティ『赤い斧』の五人に連れられてきた先に頬を引きつらせた。何せ、『迷宮都市』の西側に広がるスラムのど真ん中だったのだから。
「ほ、本当に大丈夫なのだろうな!?」
ジョセフは元は男爵家の三男坊で、厄介払いで家を追い出されてからは、真面目に冒険者稼業に励んできた男だ。稀に娼館に行くことはあっても、このようなスラムのど真ん中に来たことは無い。
「B級のあんちゃんを害せる奴はこんなとこにいねえよ」
『赤い斧』のリーダーであるドルフはそう笑ったが、聞いたのはそういうことでは無い。目の前の薄汚い宿屋で出される食事が大丈夫か、ということだ。
『赤い斧』曰く、この店で夕方やって来る少女の使うものが何か教えて欲しく、ついでにその少女が『魔法』を使っていないか調べて欲しい、とのことなのだが、その前に食事で死ねそうだ。
東の空は暗くなり始め、スラムの道は不気味な影に覆われてきたので、店に入るのは大賛成だった。だが、店に入った途端、目に飛び込んできたものに目を疑った。
「ピアノ……?」
何故こんな所に、というのがジョセフの正直な気持ちだ。ピアノは、普通はそこそこ余裕のある貴族が持つような楽器で、ジョセフの実家のような貧乏貴族では持てないものだった。それが、スラムの薄汚れた店にある。それが、ジョセフの頭に猛烈な違和感となってこびりついた。
「流石あんちゃん! あれ『ピアノ』って言うのか!」
一方の『赤い斧』の面々だが、彼らが何か知りたかった物体をピアノと知れて騒ぎながら、かなり埋まっている店内の適当な席を取った。そこは、幸運にもピアノから一番近い席だった。
「……で、少女が魔法を使うって話だが、どういうことなんだ?」
『赤い斧』の話が与太話ではないかもしれないと思い始めたジョセフは、そう尋ねた。
「ああ、それなんだけどな。その少女の指の動きがおかしいんだ」
「おかしい?」
「ああ。『ケンバン』? とかいうのを操作しているらしいんだが、あり得ない程速いんだ」
それを聞いてジョセフは分からなくなった。ピアノで弾くような曲はゆったりしたものだ。まあ、それは貴族の間で好まれる曲全てに言えることなのだが。
そうしている間に注文した不味いエールと焦げている肉の串焼きが来たので、つまみながら時間を潰していると、程なく常連と思われる客達が歓声を上げた。『赤い斧』の連中もだ。その声の先には、黄色いドレスを来た、ぱっとしない顔形の少女がいた。いや、少女と言うにはあまりに幼く、幼女と言うには大きい。さしずめ、童女、と言ったところか。
その茶色い髪の童女は、茶色い目で店内を見回し、ぺこりと頭を下げた。
「皆さん、来てくれてありがとう!」
外見に似合わず綺麗な声だ、とジョセフは思った。常連達は「待ってたぞー!」「ナイちゃん早く!」などと楽しげに騒ぐ。なるほど、この子が『ナイ』と呼ばれていることと、常連達が楽しみにしていることは良く分かった。だが、市民曰く「堅苦しい」「つまらない」などと言われるピアノを、音楽を、スラムの連中が楽しみにする理由が分からなかった。
「じゃあ、待ちきれない人もいるみたいだし、今日も早速早速弾いていくね!」
そう言いながら少女はピアノに歩いて行き、ピアノの前の椅子に座る。コン、と鍵盤の蓋が開く音がした瞬間、店内は静まり返る。その不思議な緊張感に唾を飲み込んだ瞬間。
店内は音の波に飲まれた。
信じられない位速い曲調は軽快でドキドキする。エールの酔いが急にまわったのか体温が上がる。鍵盤を叩く指は氷の上を滑るように滑らかで、まるで魔法のようだった。
そして、童女が口を開いた途端、それが単なる『前奏』に過ぎないことに気付いてジョセフは愕然とした。ジョセフの知っている音楽とは異なり過ぎた。ばかりか、吟遊詩人の歌ともかけ離れていた。これは、何なのだ!?
ピアノに変わって主役を張り出した歌声は、人生が予定通りに行かないことに妥協している現状を、それが当然、という様に高らかに歌う。そんなものはもっと隠すように歌うものだ。だと言うのに、その詩はすとん、と心に落ちた。
かと思うと、ピアノが再び目立ち、歌声と融合して愛を、恥ずかしくなるほどの恋心を歌う。こんなものは聞いたことが無い。恋心とは秘めるべきものだ。だが、あまりの情念に飲まれ、鼓動が速くなる。
その余韻を残したまま歌声が止み、ピアノが情熱を奏でる。これで終わりか、とほっとした瞬間、再び歌声が人生を、それも教会の説法で語るようなことを奏でたかと思うも、ピアノがそれを否定し、歌声もそれに納得していないことを伝える。ジョセフは、音に揉まれるばかりだった。
再び恋心を高らかに歌った後、ピアノがそのエネルギーを発する。ジョセフは、これが小休止に過ぎないと気付きつつ、胸に宿った『熱』に、目が熱くなってきた。
熱を抑えたような声で、予定を立てた過去の自分に予定通りに行っていないことと愛を童女が語り、ピアノが激しく鳴ると共に、熱が爆ぜた。
もう、この愛は聞いていて恥ずかしくなかった。爽快だった。その爽快感を消さないよう、ピアノが名残を惜しむように締めくくる。
「うおおおおおおお!!」
「最っ高ー!」
気付けば、ジョセフは店の皆と共に立ち上がり手を叩いていた。自分が涙を流していることには気が付いていたが、今のジョセフにとってそれは些事であった。
童女は大きく息を吐き、額の汗もそのままに立ち上がり、話し出した。
「只今演奏しましたのは『******』の『******』という曲でした!」
聞いたことが無い詩人と曲名だったが、ジョセフにそんなことを気にする余裕は無かった。
「いやはや、この曲にあるように、人生は予定通りには行きませんね。私も娼婦の生まれということで娼館暮らしですし。でも、そんな人生でも、愛する人と出会えたら、その予定なんかよりも幸せな人生が送れるのではないかな、とナイはおねーさん達の話を聞いていて思うのです」
語られる内容は、童女らしい無邪気で希望に溢れたものだった。だが、そうでないとこんな『魔法』は使えないのだろう。
そうだ、これは『魔法』だ。ピアノと歌声で紡がれる魔術だ。ジョセフは、その魔法にかけられたことに感謝し。
「では、愛繋がりで、常連のザンギさんからのリクエスト、同じアーティストさんから、『******』を演奏しようと思います」
その『魔法』がまだ終わらないことに歓喜した。
この日から、B級冒険者ジョセフ・シュトラウスは、『ゴミ溜めの歌姫』ナイのファンとなった。