第二章 アクシデントが多すぎる、銀行強盗も多すぎる 2
そのころ、さくらたちは銀行のすぐ裏にあるマンガ喫茶『サボール』にいた。
もともと友愛一番高校の生徒でもっているこの店は、放課後こそにぎわうが昼間は空いていることが多い。それでも普段の日は授業をサボってくる生徒がいないでもないらしいが、さすがに試験期間中にそんなやついるわけもない。他に客といえば、オープン席でやはり仕事をサボっているらしい営業マン風の男が、コーヒーを飲みながらマンガを読んでいるくらいだ。個室のボックスは全部あいているらしい。
マスターは白髪頭の初老の男で、生徒がサボってここに来ても、学校にチクることはない。大事な収入源だからとうぜんだ。
ここは時間料金制で、さくらたちは数人用のボックス席を陣取っている。そこは座敷のようになっていて、クッションを背にくつろぐような恰好だ。ボックスの中には、パソコンとテレビ、それにDVDプレーヤーが設置されている。
飲み物はセルフサービスで無料だが、コーヒーやお茶、ジュースなど簡単なものしかなく、ちょっと凝ったものが欲しければ、近くにあるふつうの喫茶店から出前することも可能になっている。つい先ほど、そこのウエイトレスが注文の品を置いていったばかりだ。
「みんなわかってる? あと数時間後には勝負がかかってるんだからね。気を抜いちゃだめよ」
つばめがチョコパフェを頬張りながらリーダー風を吹かす。
ええ~い、かっこつけるか、パフェ食うかどっちかにしろ。台詞と行動がぜんぜんあってな~い。
さくらはそういいたいのを我慢してアイスティーを啜る。
「わかってるよ」
涼子はクールにそういって、ブラックコーヒーを口に流し込んだ。
「うん」
正彦はプリンアラモードフルーツスペシャルをうまそうに食いながら肯いた。
だあああ。おまえも男の癖に一番軟弱なものを食うなぁ。男ならキリマンジャロをストレートでとかいって、ブラックで飲まんかい?
「さくら、あんたひとりだけが落ち着いてないわよ、まったく」
つばめはさくらの心を見透かしたかのようにいう。
あったりまえだあ。あたしの役割が一番危険なんだぁ。
まわりに誰もいなければそう叫んでいたかもしれない。
「まあいいわ。最終確認するわよ。みんなスマホは持ってるわね」
つばめの問いかけに、全員がうなずく。
「ちゃんと充電してる?」
「もちろん」
ぬかりはない。ついでにこのへんが圏外でないのも確認済み。
「さくらは変装用の衣装持ってきてるわね」
「あたりまえじゃない」
それを忘れるほど馬鹿じゃない。
「正彦くん、煙幕装置は?」
「この鞄の中に入ってる」
「警察デジタル無線を盗聴するのに必要なものは?」
「それもあるよ。ノートパソコンに受信機、専用の回路、全部そろってる」
「OKね。それじゃあ、最後に手順を確認しておくわ」
つばめはチョコパフェを食べる手を休め、真面目な顔になった。
「もう少ししたら、涼子ちゃんが銀行に行って、煙幕装置を仕掛けてくる。仕掛け終わったら、涼子ちゃんはあたしたちが行くまで中に残って、誰かが発煙装置に気づかないかどうか見張ってる。あたしたちが行ったら入れ違いに外に出てそのまま外を見張る。すれ違うさいにはお互いの顔を見たりしないで他人のふりをする」
「わかってる」
結局、正彦は極力事件に巻き込まみたくないと涼子がいい張ったので、発煙装置を仕掛けるのは涼子の仕事になった。さくらにしてもそのほうがありがたい。
発煙装置は小さな箱に収められ、ぜんぶでみっつだ。もちろん中も外も、指紋はたんねんに拭き取ってあるから、そこから足がつく心配はない。
「十二時十五分になったら、あたしとさくらが中に入る。それ以後、情報はスマホでやり取りするわ。正彦くんは警察の無線、涼子ちゃんは外の様子を逐一報告すること。ただしあたしとさくらは銀行員に声を聞かれるわけにいかないから返事はしない。一方的に情報を聞くだけよ。正彦くんはパソコンを設置する関係上、外に出ないでここで情報収集すること。いい?」
「わかってるよ」
「逃げ切ったら、連絡を入れるから持ち場を離れていいわ」
「OK」
「それじゃあ、そろそろ涼子ちゃんには現場に行ってもらうけど、少しは変装した方がいいわね」
そういって、つばめは鞄から金縁の細長い眼鏡を取り出した。
「これかけて」
それを涼子に渡す。涼子はきょうは、はじめから黒のワンピースに白のジャケットと大人の服装を身にまとい、さらに髪は後ろでアップにまとめている。女子高生と悟られないためだ。普段から大人びている涼子はそういう格好をすればまさに大人の女に見える。ただでさえ色っぽい唇に真っ赤なルージュを塗っているせいかもしれない。
「わおっ、社長秘書ってとこかしら?」
つばめがいうように、それだけで色気に知性が加わる。
「じゃあ行って。発煙装置の設置場所はこの三個所ね?」
最後に図面上で設置個所の確認をすると、涼子は銀行に向かう。
さくらはそれを見届けると、急に緊張してきた。
もうすぐ、もうすぐはじまる。一世一代の賭けが。
「緊張してきたよ」
さくらは思わず本音を漏らした。
失敗したらどうしよう?
思わず中学最後の舞台のことを思い出す。それまでさくらはたいしたつまづきもせずに全国中学演劇大会の舞台に立った。都大会では観客の拍手に酔った。あの快感が忘れられず、プロの女優になりたいと思った。
あの舞台のときも緊張した。今と同じ感じだ。
そして大失敗した。さくらの失敗が舞台の失敗に繋がった。
それがいまだに尾をひいている。高校に入って、役を外された現実に、憤りつつも内心ほっとしていたんじゃないだろうか? こんな犯罪に首を突っ込んだのも、犯人を演じきりたかったからかもしれない。きっと自信を取り戻したかったのだ。
さらにさくらは今まで極力考えないようにしてきたことを考えてしまう。
リスクのことだ。
失敗すれば、捕まってしまう。そればかりか、そうなれば奈緒子ちゃんが殺されてしまうかもしれない。
気がつくと震えていた。
「だいじょうぶだよ、さくら」
つばめはさくらの心を読んだかのようにいう。
「きっと成功する。銀行強盗の役を演じきれるわよ」
出来ない生徒をはげます優しい女教師のような顔で笑った。
不思議だった。さんざんさくらを振り回し、おちゃらけ、マイペースを貫いてきたつばめの一言がさくらを落ち着かせる。
「そんな気がしてきた」
震えも止まった。
「そうでなくっちゃ。いい? さくらは女優。台詞はないけど、名女優ならそんなものなくったってお客さんを感動させられるでしょ? 観客は銀行員とお客さん。みんな煙の中を消えた怪盗に心から拍手を送るのよ。そして駆けつけた警察は消えた怪盗の天才に悔し涙するの。さくらにしかできないって、そんなこと」
そういって、さくらの肩をポーンと叩く。
そうだ、あたしは女優。あたしは強盗の役を演じる。あたしは奇跡のように消える怪盗。
さくらが『ガラスの仮面』モードに突入したとき、つばめのスマホにメールが送られた。涼子からだ。
『設置完了 涼子』
問題なく完了したらしい。
時計を見ると十二時五分。あと十分で出番だ。
「さくら、出よう。正彦くん、無線は任せたわよ。ランチでも食べてるといいわ」
「OK」
さくらと正彦は同時に返事をした。そしてさくらたちは外に出る。
「さ、早く上に着て」
さくらたちは「サボール」がある建物の共用トイレの個室に入ると、バッグから取り出したトレーナーを制服の上から羽織り、その上からだぼだぼのオーバーオールのジーンズを履いた。「サボール」で着替えなかったのは、もちろん着替えた姿をマスターに見られないようにするためだ。
最後に帽子を被り、変装用の眼鏡を掛けると、鏡で姿をチェックする。
うん、完璧。どう見ても男の子。
十二時十二分。
「よし行くわよ」
つばめの掛け声で銀行に向かう。すぐそこだ。
緊張が心地よい快感に変わる。自分と違うものに変わる快感。
取り戻した。この感覚と自信を。
あの中学最後の舞台以来失っていた感覚と自信を。