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第二章 アクシデントが多すぎる、銀行強盗も多すぎる 1

 熊野純くまのじゅんは朝から幸せな気分だった。

 担当していた殺人事件が解決し、久しぶりの非番。嬉しくないはずがない。外装のモルタルがひび割れた木造古アパートの前にある駐車スペースで、古いアイドル歌謡曲を歌いながら、愛車の真っ赤なポルシェを洗っている。

 ときどき通りすがりの人が変な目で見るが気にしない。やはりこの安アパートにポルシェのオーナーがいるのは納得がいかないらしいし、楽しげ車を洗っているのが、ジャージ姿をしたプロレスラーのようにごつい男というのも奇妙に見えるらしい。顎鬚を生やした熊のような顔に子供のような笑みを浮かべるのが不気味だともいわれる。

 だが、そんなことは知ったことかあああああ!

 熊野にとって、休みの日に愛車を洗うのはなにより楽しい。殺人だの、強盗だのといった事件ばかり捜査する捜査一課にいると、人間関係にわずらわされるより、汚れのついたポルシェを洗って、ぴかぴかに仕上げることがみょうに嬉しいのだ。

 もちろん、熊野はこの車を手に入れるのにそれなりの犠牲を払っている。四十になった今も独身だし、定員オーバーで警察の寮を追い出されても、安アパート暮らしをしているのはそのせいだ。十数年かかって溜めた貯金を頭金にし、四十八回ローンを組んで、ようやく買った愛しいポルシェだ。子供のころのスーパーカーブームのときから憧れていたポルシェ。そう思うと、ますます愛しくなる。

「なに熊野さん、嬉しそうね。きょうは休みなの?」

 隣に住んでいる女子大生のかおりが出かけ際に声を掛けてきた。

「おお、そうなんだ。いい天気だし、きょうも一日いい日になりそうだ」

 熊野はますます気分が良くなった。大学に入ったばかりでまだ子供っぽさが抜けない香は熊野のお気に入りだった。高校生のようなポニーテールが童顔に似合っている。一方でジーンズにタンクトップのその姿は、大人の女の色香も放ちつつある。

「ねえねえ、いつ見てもかっこいいね、そのポルシェ」

 香は子供のような目をぱっちりと見開きながらいった。

「そうか、そうか、ぐわっはっは。もしよかったらきょう午後から乗せてあげるよ」

「え~、ほんと、じゃあ、午後には戻る」

 香は可愛らしい顔を輝かせた。

「まかせなさい。まかせなさい」

 気が大きくなる。若い娘を横に侍らせ、ポルシェでドライブ。まさに熊野の夢がかないつつある。

 出かけていく香の後ろ姿を見ながら、熊野は幸せにひたった。

 やれるかもしれない。

 ついそんな下品な思いが頭をかすめてしまう。

 いやいや、だめだ、だめだ。この俺が十代の女の子に手を出したらしゃれにならん。その一線だけは越えるわけにはいかん。

 熊野は頭をぶるぶると振るう。

 この前のことを思い出してしまう。女子高生の色香に溺れてしまったという一生に一度の大不覚のことを。

 一ヶ月ほど前、やはり非番の日に、ポルシェ乗りたいという金髪ミニスカートの女子高生を乗せてドライブしてしまった。もっともそれ以上の下心があったわけじゃない。その程度の自制心はある。

 にも関わらず、その女は降りたあとこともあろうにこういった。

「デートしたこと警察署にばらされたくなかったら、お小遣いちょうだい」

 完全な脅しだ。よりによって殺人犯と日夜戦っている警部を脅すとはとんでもないアマだ。

 だが熊野は情けなくも払ってしまった。さすがに上にばれるとまずすぎる。

 だがこの事件は熊野にとって許しがたいことだった。

 俺の女子高生のイメージをぶち壊しやがって。

 熊野にとって女子高生とはあくまでも可憐で大人になりかけの美少女であって、大人を恐喝する存在ではない。かつてのアイドル歌手のような女子高生のイメージを壊すようなやつ、例えば援交だのクスリだのに走る女子高生は熊野にとってむしろ憎悪の対象になりつつあった。

 女子高生はいかなる犯罪にも手を染めてはいけない。そんな女子高生のイメージを壊すやつらは死刑だ。

 なにしろ職業柄、最近の女子高生の性の乱れや、犯罪の凶悪化といった情報にはことかかない。

 その内、銀行強盗する女子高生が出てくるのも時間の問題だな。

 そう思うが、現実になってほしくない。そうなれば頭の中の女子高生像がこなごなに打ち砕かれてしまうかもしれない。

 いかん、せっかくの休みになにを考えているんだ?

 この幸せなひとときに考えることではない。熊野は洗車に没頭した。洗い終わると、乾いたセーム布で水気を拭き取る。そして乾けば、洗車より楽しいワックスがけだ。

 ワックスを掛けると真っ赤な車体がぴっかぴか。

 さらに指で触るとつるっつる。

 じつに気持ちがいい。思わず歌だって口ずさむというものだ。

 口から出るのは三十年以上前のアイドル歌謡。最近の若い女性歌手は集団でダンスばっかりやってるわけのわからんやつらだし、演歌は肌に合わない。かとって洋楽は昔から嫌いだ。

 あの可愛い子ぶって間抜けな衣装を着、くだらない歌詞を甘いだけのメロディーで歌うのがいいのだ。四十になったからといって、こんな歌を歌っていると馬鹿にされる風潮だけはなくなってほしい。

 ワックスの二度がけも終わると、ポルシェ独特の丸みを帯びた車体に、デフォルメされた自分の姿が鏡のように映る。

 完璧だ。

 そして午後からは香とドライブだ。香だってこの完璧なポルシェの輝きを見れば、それだけで心奪われてしまうに違いない。

 香はあの腐った女子高生のように金をたかったりはしないはずだ。それはここ数ヶ月間の観察によって確信している。

 熊野は待ち遠しくて堪らなかった。後数時間で若い娘とデートできるのだから。

 いっしょにドライブして、楽しく話をするだけでいい。それで充分だ。なんともわくわくするではないか。

 あとは緊急の呼び出しが来ないことを祈るばかりだな。

 そんなことを考えると、ほんとうに呼び出されそうな気がした。

 冗談じゃない。もしそんなことになったら犯人を殺してやる。



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