第一章 女子高生にもできる銀行強盗計画 2
最寄りの駅を出て、電話の説明でメモったわかりづらい地図を片手に、表通りから妙に曲がりくねった路地に入り込み、歩くこと数分。さくらたちはようやく目的地と思われるアパート(これは断じてマンションじゃない)にたどり着いた。
古いコンクリート造のアパートの四階にある一室がそうらしい。残念ながらというか、とうぜんのようにエレベーターなどというものはない。
階段を上り、指定された部屋番号のドアまで行き、呼び鈴を押す。
「いらっしゃい」
うすよごれたジーンズを履き、だぼだぼのトレーナーをだらしなく着たつばめが出むかえた。
体型はさくらと大差なく、小柄で余計な脂肪はない。その分出るところもあまり出ていない。
髪型はショートカットなのだが、小学生の男の子のような感じに見えるさくらとは違い、少し長めで外はねにしている。目がやたら大きく、顔立ちは愛らしいタイプなのに、大きな黒ぶち眼鏡がちょっとオタクっぽい印象を与える。
コンタクトにして、もっとオシャレすれば美少女で通るのに。
さくらはそう思わずにはいられない。
「ひょっとして、ひとり暮らしなの?」
玄関脇にあるキッチンには洗い物が無造作に置かれ、居間の掃除もいきとどいていない。そもそも居間の奥には個室が一個あるだけだった。
「実家はすこし遠いのよ。学校通うのに不便だから借りてるの。ときどき母親が様子見に来るけど、ほとんどひとりだね」
つばめはそういいながら、奥にある自分の部屋に案内した。
なんだこりゃあ?
それがつばめの部屋を見た最初の印象だった。
本棚も大きなものがふたつほどあるのだが、入りきらない本が床のいたるところに山積みになっていて、まるでせまい店舗の古本屋だ。しかもそのほとんどがミステリー関係の本らしい。脱ぎ散らかした制服が山のひとつに乗っかっているのも凄まじいが、歩くと振動で本の山が微妙にゆらゆらと揺れるというあたりが常軌を逸している。
じつは、さくらもミステリーは嫌いではないし、けっこう読んでいたりするが、この蔵書はさくらの今まで読んだ数のおそらく百倍以上はあるだろう。まさに床の真ん中に布団を敷くスペースだけを残し、本を積み重ねているといった印象だ。
机にはノート型パソコンとマウスにペンタブレット、それにスキャナーとプリンターが置いてあるが、参考書の類は一切なかった。というか、ノートや教科書を広げるスペースすらない。
「ようこそ、つばめ探偵事務所へ。あなたたちが初めての依頼人よ」
つばめは両手を左右に広げると、少しおどけていった。
「とりあえず、空いてるスペースに坐ってくれる?」
つばめはそういいながら、自分は机の側にある回転椅子に坐った。かすかに畳が見えるせまい場所に無理やり場所を作って坐ると、足元にミステリーに混じってボーイズラブ系の小説を発見した。
「あ、それ? 好きなんだ、美少年が」
恥ずかしげもなくそんな台詞を吐く。よくよく見ると、ミステリーの山の中にランダムに美少年ホモ小説が紛れ込んでいる。ある意味、究極の隠し場所だ。
恥ずかしい本は、恥ずかしくない本の中に隠せ。
押し入れの中にこっそりエッチな小説やレディコミを隠しているさくらには思いつかない発想だ。
「そのパソコンはインターネットかなんかに使うの?」
「もちろんネットも使うけど、一番使うのは小説を書くときね。書いてるんだ、本格ミステリーを」
まさにミステリーオタクだ。
不意に横にあった山の上の方が崩れた。たまたまさくらの目の前にマンガ同人誌が落ちてくる。
「な、なんだこりゃ?」
たまたまめくれたページを見ると、男同士が絡んでいる絵が目に飛びこんできた。しかもどうやらそれは本格ミステリーの名探偵金田剛介が、べつの作家のキャラ、美少年探偵助手小森くんのナニを……。
「えへ、こういうの大好きっ」
つばめは目を細め、ぺろっと舌を出し、頬をちょっとだけ赤らめていう。
目眩がした。あまりにディープな世界だ。
しかもその作者の名前が真栄田つばめ。
この女は山のようにミステリーを読み、自分でも書き、合間に美少年ホモ小説を読み、そればかりか美少年ホモマンガを同人誌に描いているらしい(それも本名で)。
いったいいつ勉強してるんだ、この女は?
さくらの疑問はもっともだ。おそらくまったくしていないのだろう。それにも関わらず成績だけはいい。ほんとうに頭がいいのだ。
涼子を見ると、呆れているというよりエイリアンでも見るような目つきだ。それもしょうがないだろう。部屋に一冊の小説もないかわりに、サンドバッグとダンベルがある女には理解できるはずもない。
「あ、それで三千万だったよね。どうする。誘拐、それとも銀行強盗?」
つばめはとんでもないことを平然といいながら、平積みされた山の中からランダムに何冊かの本を抜き去った。
「誘拐ならこのあたりが参考になるかもね。強盗ならこれかな」
べつの本を何冊か、いくつかの山から抜き去った。
きっとつばめにはこの無秩序に見える本の置き方に意味があり、しかも完全に位置を記憶しているのだろう。さくらはふたたび呆れた。
「本気であたしたちに誘拐か強盗をやれっていうの?」
「逆にこっちが聞きたいわ。本気で一週間で三千万作る気があるの?」
つばめはさくらの質問に質問で返した。
「もちろん本気だ。妹を人質に取られてる。あたしは犯罪だって覚悟してるさ」
答えたのは涼子だ。
さくらは今になって、つばめに涼子のことを紹介もしていないし、そもそも事件のことをなにひとつ説明していないことに気がついた。あわてて涼子を紹介し、これまでの経緯を説明する。
「なるほど、だいたいわかったわ。で、そのシンジっていうのを一週間で見つけるのは無理。警察にもいえない。だからお金を用意したいんでしょ?」
涼子は肯いた。
「まともなやり方じゃ、三千万は用意できないのもわかるわよね?」
涼子はもう一度肯いた。
「じゃあ、決めて、涼子ちゃん。誘拐? それとも銀行強盗?」
つばめの大きな目はぎらついている。犯罪計画を練れることが至上の喜びなのかもしれない。
「誘拐はいや。銀行強盗にして」
「決まり」
つばめの深刻めいていた顔が、嬉しくてたまらないといった感じでくずれる。
うわああああ。なんかマジで犯罪計画に荷担してるよ、あたし。
「無理だよ、そんなの。あたしたちは銃どころか車も持ってない。っていうか、そもそも免許だってないよ? どうやって強盗なんてするのよ?」
そうだ。誰も運転できない。車もない。どうやって逃げるんだ?
「それを考えるために、あたしのところに来たんでしょう?」
つばめはまったく動じなかった。
「いい? お金を奪うのになにも銃なんか使う必要ない。他にいくらでも手段は考えられるし。はったりでもいいしね。問題は逃走方法の方ね」
「そうよ、車もなくてどうやって逃げるのよ」
つばめはすこし興奮しているのか、顔を紅潮させ、小さな鼻をぷくっとふくらませると、自信満々にいった。
「地下鉄」
「は?」
「耳悪いの? ち・か・て・つ」
地下鉄だって?
さくらは耳を疑った。銀行から出たら、駅まで走って地下鉄に乗るのか? すぐ捕まるだろうが。
「ふざけないでよ」
「あたしは大真面目よ」
つばめは胸を張って偉そうにいう。
「じつは、さくらたちが来るのを待ってる間にもう考えてあるんだな、方法を」
そんな馬鹿な? ほんとうにできるっていうの、そんなことが?
ひょっとしたらこの変な女はまぎれもない天才なのかもしれない。
「聞きたい?」
つばめが悪戯っ子のような顔でいう。
「あたしは聞くよ」
涼子はまじめな顔でいう。
「じゃあ、はじめから順を追って説明するわね」