第一章 女子高生にもできる銀行強盗計画 1
大瀬崎さくらは上の空で授業を聞いていた。もっともそれ自体はけっしてめずらしくはない。きのう見た映画おもしろかったなとか、腹減った、昼休みはまだかとか、きょう発売のマンガ『仮面探偵の憂鬱』を早く読みたいとか、夜のドラマ『リストラ軍団の逆襲』の続きはどうなるんだろうとか、くだらないことをしょっちゅう考えている。
もっともきょう考えていたのは、そんなことではない。放課後の部活のことを考えていたのだ。
さくらは演劇部だ。中学の時はけっこう活躍したし、人気もあった。背は低いけど、男の子のようなショートカットにすこしボーイッシュなルックスもキュートだし、演技の旨さには定評がある。だから高校でも即戦力として活躍できると思っていた。
ところがきのう、次の舞台の配役が発表されたところ、さくらは主役や、重要な役どころか、出番すらなかった。
な、なんでよ? どう考えたって、この先輩よりもあたしの方がうまいじゃん? 顔だって負けてないよっ。
どう見ても自分より下手で華のない上級生がヒロインを演じる。しかもその理由がまたさくらを怒らせた。
じつは、さくらは中学の全国演劇大会で大失敗をした。ヒロインであるさくらが立ち去った恋人を追おうとしたとき、すっころんでスカートがまくれ、パンツ丸見えになったのだ。しかもそれがハート柄のパンツ。泣けるはずのシーンで大爆笑を誘ってしまった。そればかりか、それが原因で当時のイケメンボーイフレンドが非情にもさくらを見捨て、べつの彼女を作ってしまったというおまけつきだ。
最悪なことに、それをしっかり見ていた先輩がいたらしい。
「あんたに役を回すと、悲劇が喜劇になっちゃうからねぇ」
いやみな薄ら笑いを浮かべた顔で、そんな屈辱的なことをいわれる始末だ。
あれは十年に一度のことがたまたま大舞台で起きただけだよ。
そうは思っても、部長は認めてくれない。それが裏方に回された理由だ。
ショックだった。女優になるのがさくらの夢なのに。無理してこの友愛一番高校に入ったのも、ここが進学校であることより、演劇部のレベルが高かったからだ。
だからいまだにきのうの屈辱が頭から離れない。そしてあのときの失敗がトラウマになって自信を失いかけているのをさくら自身が一番よくわかっていた。だからこそ、次の舞台では完璧にやりとげ、自信を取り戻したかった。それなのにこのざまだ。授業なんて聞いてる場合じゃない。
一週間後が一学期の期末試験にもかかわらず、けっきょくさくらはそんなことばかり考えていた。
そして、授業が終わるや否や、「さあて、部活に行くかい」と気合いを入れる。自分がいかに演技がうまいかをアピールして、役を取り戻さなくてはいけない。
涼子からスマホに電話が掛かってきたのはそんなときだ。
『さくら、悪いけどあたしの家に来てくんないか? ちょっと相談があるんだ』
涼子は中学時代からの親友で、卒業後も何度か会っている。だから電話が掛かるのは不思議なことではないが、いきなり相談を持ち掛けられたのは初めてだ。しかも声が深刻。
「なんなのよ、いきなり」
『いいから来いよ。おまえしか信頼できるやつがいないんだよ。待ってるから』
そのまま電話を切られた。
なんだよ、せっかく気合い入れて部活に行こうと思ってたのに。
お互いべつの高校に通って三ヶ月。さくらは新しい友達が何人もできたが、さくらより友人を作ることではよっぽど下手な涼子なら、まだ信頼できる友達がいなくても不思議はない。
しかたないなぁ。
とりあえず友情を優先することにした。部活をサボって涼子のマンションに向かう。
あれ、待てよ? よく考えたら、彼氏ができたはずじゃん?
もっとも、まだ会ったことはないし、話を聞くとどうもまともな男じゃないらしい。涼子の保険金目当てでたかりにきたのではないかとすら勘ぐってしまう。いや、そもそもその男のことが相談内容なのかもしれない。
涼子がキャバクラでバイトをはじめたことは知っていた。腰まで届く黒髪をした美人だし、モデルのように長身で、大人びた雰囲気だから十八といえば余裕でそれくらいには見えてしまう。なんでも涼子は美人でグラマーな女として、ナンバーワンを争うほどの人気と聞いている。その男、シンジとはどうやらそこで知り合ったらしい。
やっぱりそんなバイトしなきゃよかったんだよ。
さくらはもっと真剣に止めればよかったと思った。
事情は知っていたが、とりあえず、生活できないわけじゃないのだから、そんな高校生にあるまじきバイトに手を出す必要はないのに。
そんなことを考えているうちに、涼子のマンションに着いた。外装総タイル張りで、防犯システム完備の高級マンション。ここに妹と二人暮らしというのはある意味羨ましくもあった。
あたしは雨漏りでもしそうな古い一軒家(もちろん借家)に、口やかましい両親と生意気な弟といっしょに住んでるからね。
もっともさくらはそれが贅沢な不満だと知っているから、涼子にそういったことはない。涼子はある事件に巻き込まれ、両親を失ったからそういう生活をしているにすぎない。マンションも残された財産のひとつだ。
エントランスのオートロックを開けてもらい、涼子の部屋にたどり着いた。レトロな制服姿の彼女に迎え入れられ、久しぶりに中に入る。
涼子の個室に入り、部屋の真ん中にサンドバッグがセットされているのを見ると、いつも笑ってしまう。ダンベルくらいならともかく、そんなものは女子に限らずふつうの高校生の部屋にはまずない。そもそも高級な内装にまるで似合わない。そればかりか、壁にアイドルや映画俳優でなく、挌闘家のポスターを貼っている女の子はさくらの知る限り涼子だけだ。
「相変わらず鍛えてるみたいだね。えい、とう」
さくらはからかいながら、サンドバッグにキックする。もっともさくらが蹴ってもぱふぱふ音がするだけだ。
さらに久しぶりということもあって、さくらは部屋を物色する。なにげなくクローゼットを開けると、中学時代はけっして持っていなかった衣類がずらりと並んでいる。
「おおっ!」
思わず感嘆の声を上げた。
白いジャケットや、ボディコンスーツ、ブラが透けて見えそうなブラウスに、スリットの入ったチャイナドレス、などなど。
これが例のキャバクラ用の衣装か?
さくらは感心した。どれもちびでぺちゃぱいで童顔で、男の子のようなショートカットをした自分に似合いそうもない。
あの顔と体でこんなの着れば、たしかにナンバーワンになってもおかしくないな。
でもあたしだって、それなりのものを着れば可愛くなるよ。
心の中で見栄を張った。事実今着ている赤いリボンをつけた薄いグレイの半袖セーラー服は結構いけてると思う。色っぽさではなく、少年ぽい凛々しさと可愛さを強調すれば悪くない素材なのだ。事実さくらはボーイッシュな美少女としてクラスの男の子から一目置かれている。もうすこし背が高ければ「おねえさまぁ、りりしい」と叫ぶ下級生の女の子の親衛隊ができるタイプ。二年後にはそうなる可能性大だ。現状ではショタ好きの上級生が妖しい視線を投げかけてくるタイプというほうが正解かもしれない。
「どわっ?」
さらに棚の上に写真立てを発見。涼子が金髪の色男とツーショットで写っている。察するところ、これが例の恋人らしい。ルックスだけならたしかにお似合いだ。
「そこまでだ。相談があるっていっただろう?」
物珍しげな顔で部屋中を物色し続けるさくらに、涼子は少し怒ったようにいう。
「はいはい、で、なに?」
「きのう、あたしのバッグに三千万が入ってた」
「なにいいいい?」
さくらは思わず叫んでいた。相談といってもたぶん、男のことだろうとしか思っていなかったのに。
「なによ、ひとりじゃ三千万も使えないから、半分あたしに……くれるとか、ひょっとして?」
半分、本気で聞いた。
「おまえにやる金があたしにあると思うか? そもそもそんなわけのわからない金、使えるか。正確にはあたしのバッグに入ってたんじゃない。きのう、あたしのバッグと誰かのを取り違えちゃったんだ」
「それでどうすんのよ、その三千万」
「どうするもこうするも消えた」
「はああああ?」
まったくわけがわからない。
「問題は持ち主がきのうの夜現われた。そして返す金がない」
「それでどうしたのよ? 相手も納得しないでしょうね」
「あたりまえだ。奈緒子を誘拐されたよ。一週間以内に金を取り戻せ。金と引き換えだっていわれてね」
「ええええええええ?」
三千万だけでも充分驚いているのに、誘拐? そんなものあたしの手には負えない。
よっぽど驚いた顔をしたのか、涼子はいう。
「わかってるよ。べつにさくらに救い出してもらおうとは思ってない」
「わかってるなら、話は早いよ。警察にいうしかないって」
「だめだ。通報すれば奈緒子を殺すっていうんだ。それに偶然とはいえ、あたしが三千万を奪って返していないのは事実だ。警察にそんなことをいえば、計画的に盗んだと思われる」
そんなはずないとはいいきれない。それにしてもあの奈緒子ちゃんが?
さくらは奈緒子のことも知っている。涼子のひとつ下の妹で、外見は顔も体つきも涼子にそっくりだ。髪型もほとんど同じだし、声まで似てる。違うのは性格で、男勝りな涼子に対し、むしろおっとりしていて女らしい。攻撃的な涼子に対し、内気といってもいい。奈緒子も涼子につきあって子供のころから武道を習っていたが涼子ほど熱中したわけではない。本来はそういうことに向かないタイプだ。
それでもさくらの知る限り、仲の良い姉妹だった。涼子が万が一にでも奈緒子の命を危険にさらしたくないのはとうぜんだろう。
「でも三千万なんて用意できないでしょう?」
「ああ」
両親の生命保険はあるが、たしかおじさんが管理していて、涼子の自由にはならない。おじさんに話を通せば、警察を呼ぶに決まっている。
「そもそもどうして消えたのよ?」
「シンジだよ」
シンジ、つまり最近つき合いだした彼氏だ。
「きょう、朝からシンジを探しまくった。アパート、昔のバイト先、友達のところ。どこにもいない。スマホに掛けてもでない。あたしから逃げてんだよ、あの野郎。ぜったいあいつが犯人だ」
「探し出せるの?」
「望み薄いよ。あれだけの金があればどこにでも行ける。金があれば一ヶ月ほど南の島でのんびりしたいっていってたから、たぶんもう東京にいないよ」
もしそうなら、一週間以内に探し出すことは絶望的に無理だ。
「どうすんのよ?」
「どうしたらいい?」
そんなことあたしにわかるわけがない。女子高生にどうにかできる金額じゃない。
「一週間で行き先不明の男を捜し出すか、さもなきゃ三千万作る方法をあたしに考えろっていうの?」
「こんなことを相談できるのはさくらしかいないんだよ」
頼りにされるのは嬉しいが無理だ。能力の限界を一万倍くらい超えている。
「誰かいないのか、まわりに。すごく頭のいいやつが」
すごく頭のいいやつ?
「おまえの学校、進学校だろ? 誰かいるだろ、すごい名案がぴぴっとひらめくやつ」
さくらの通っている友愛一番高校は有名進学校だ。だからさくらのまわりには秀才は珍しくないが、ほんとうに頭のいい人間となると……。
「いる」
「ほんとか?」
たしかにひとりいる。天才というより、むしろ変人というか、奇人というか、変わったやつが。トップで入学したらしく、入学式で新入生代表の挨拶をしたが、秀才というより異才としかいいようのない才能を持った女だ。
授業中、隠れてミステリーばっかり読んでるくせに、当てられれば完璧に答える。古今東西、いろんなミステリーを読破しているらしい。しかも、どんなミステリーでも犯人を当てられなかった試しがないといつも豪語している。
真栄田つばめ。
「変人だけど、間違いなく頭はいい。それもずばぬけて。しかもミステリーマニアで異常な事件大好き。一度でいいから本物の事件を名探偵のように解決したいと常日頃いってる変な女」
「そいつだ。さくら、そいつを紹介してくれ。変でもマニアでもなんでもいい」
「わかった。連絡とってみるよ」
はっきりいって友達でもなんでもなかったが、さいわいにして、さくらのスマホには一応クラス全員の電話番号が入っている。メモリーを呼び出して、つばめのスマホに電話した。
『はい、真栄田です』
「あ、あの、あたし大瀬崎さくらです。じつはちょっと相談したいことがあって」
『相談?』
さくらも少し心苦しかった。同じクラスというだけでほとんど話したこともなく、むしろ敬遠していたのに、いきなり相談じゃ相手も身構えるかもしれない。もっともつばめには親しい友人がいるとは思えなかった。内気だからじゃない。むしろ体全体から発する電波に恐れをなし、まわりのみんなが関わらないようにしている。
「じつはある事件が」
『事件? つまり名探偵真栄田つばめに事件の依頼だね、さくら?』
さくらは絶句した。事件の一言に鋭く反応し、自分のことを名探偵といいきる自信。
そもそも依頼ってなんだ? あんたは探偵事務所の探偵か?
おまけにいきなり名前呼び捨てかい?
そうも思ったが、とりあえず合わせるしかなかった。
「じつはそうなんだよ、真栄田さん」
『あたしのことはつばめって呼んでね。それでどんな事件が起こったの。密室殺人?』
密室殺人なんか起こってたまるか。
しかしさくらには一見社交性に乏しいと思えたつばめが、むしろなれなれしい性格をしていることに驚いた。
いや、たしかにいわれてみれば、べつに教室でもとくに暗い感じがする子ではない。だけど、事件と聞いてこれだけほがらかに声をはずませるとは?
まあ、根っからのミステリーマニアらしいから、事件と聞いて興奮しているせいかもしれない。
「いや、誘拐なんだけど」
『誘拐?』
驚いたというより、非常に嬉しそうな響きだ。
『いや、さすがに密室殺人は冗談だったんだけど、まさか誘拐とはね。これぞ名探偵真栄田つばめ最初の事件?』
「いや、メインの相談は一週間で三千万作る方法がないかなと思って」
『つまり、犯罪計画の方? ノープロブレム。つばめ探偵事務所は犯罪計画も兼務してるから』
どこまで本気なのかさっぱりわからない。そもそも犯罪計画は依頼してない。
「いや、犯罪ってあんた」
『なにいってるの? 女子高生が一週間で三千万作ろうと思えば犯罪しかないじゃない』
それはそうかもしれない。いや、きっと真実なんだろう。だけど、さくらにはそこまで手を染める覚悟があったわけじゃない。
『え~と、方法なんだけど、誘拐と銀行強盗、どっちがいい?』
やっぱりこの女は変だ。それもちょっととかいうレベルじゃない。ひょっとして地雷を踏んだかもしれないとさくらは思った。
『とにかく、あたしんちまで来てよ。場所は……』
要領を得ない複雑怪奇な道順を、一方的にまくし立てられると、ようやく電話は切れた。
「なんていうか、一応乗り気なんだけど、……行ってみる?」
「もちろんだよ」
涼子は藁にもすがる気持ちなんだろう。
とにかくさくらと涼子は怪しげな自称名探偵に事件を依頼することにした。