第二章 アクシデントが多すぎる、銀行強盗も多すぎる 7
「ここは強盗事件のために通行禁止になってます」
熊野が愛車ポルシェで入り込もうとすると、制服警官が制止した。
「知ってるよ。俺は警視庁、捜査一課の熊野警部だ」
熊野は身分証を見せる。
「し、失礼しました」
制服警官は信じられないといった顔つきで失礼を詫びた。
まあ、無理もねえか。知らないやつは誰も俺のことを刑事だと思わねえだろうな。
熊野は自分でもそう思う。こんなぴちぴちのポロシャツを着て、磨き上げたばかりのポルシェに乗って事件現場に来る髭面の刑事などいるわけがない。
ポルシェを中に乗り入れると、星を探した。
「警部ぅ~っ、ここです」
星のすっとんきょうな声が耳に入る。所轄署の刑事と思われる連中といっしょに、銀行の道路を挟んで向かい側に陣を張っていた。熊野は車を降りるとそこに合流した。
「な、なんすか、その体育会の学生のような格好は? それに自慢の車もぴっかぴか、もしかしてデートだったんすか?」
そういう自分はそれこそデートの最中のような高級スーツを着ている。しかも色はライトグリーンで、シャツはピンク、ネクタイは赤だ。人の服装をどうこういえる格好ではない、ぜったいに。
「うるせい。おまえには関係ない。おまえが五分で来いなんていうから着替える暇もなかったんだ」
星の脳天に一発入れる。
「僕を怨むのはおかど違いっすよ。怨むなら課長か犯人を怨んでください」
星は頭を押さえながら、情けない声でいった。
「それよりポチ、とりあえず、どういう状況なんだ?」
「それがよくわからんのですよ。通報があって駆けつけた直後、あそこの地下鉄出口から三人組の覆面をした男たちが中に突入し、その直後、正体不明の煙が立ち昇り、銃声が聞こえたんす」
なんのことだ? たしかによくわからん。警察が駆けつけたあとに覆面をした三人が中に入った? 共犯者か? しかしどうして警察が駆けつけたあとに入る? 知らなかったのか?
事件は熊野の常識を超えている。
「警官隊はまわりを囲んでたんだろう? どうして、そいつら中に入れたんだ? ありえんだろうが」
「あれを見てくださいよ、警部」
星が指さしたのは、銀行の出入り口のすぐ側にある地下鉄入り口だった。
「普通こういう場合、まずパトカーで包囲して、逃走用の車を探すじゃないっすか。まさか目の前に地下鉄入り口があるなんて思いませんからね。あれに気づいて、封鎖しようとしたんすが、銀行の真ん前に警官隊が向かうのは犯人を刺激するんで、べつの地下鉄入り口から回り込ませたんすよ。おかげで少し時間がかかりましたけどね。ところがあいつらはあらかじめ地下に待機していたらしく、警官が回り込む前にあそこから飛び出してきて、中に突入したんすよ」
「それで今はその地下鉄出口は封鎖したんだろうな?」
「ええ、もちろんっすよ。危険っすからね」
なにも知らない人間が地下鉄から外に出ると、目の前が犯罪現場っていうのはあまりに危険だ。
「銃声が聞こえたってことは誰か撃たれたのか?」
「まだ状況はなにもわかってないす。窓にはブラインドが降りていて、こっからじゃなにも見えないっすからね。ただブラインドに映る影から考えて、人質は窓辺に並ばされてますね。狙撃防止のためでしょう。犯人からはまだなにもいってきてないっす」
そのとき、さらに一発の銃声が銀行の中から鳴り響いた。
「な、なんだ、なんだ?」
「し、知らないっすよ」
まずい。熊野はそう思った。犯人はかなり狂暴なやつらしい。このままでは死人が出るかも。いや、もう手後れか?
「狙撃班は呼んでるのか?」
「課長が手配してるはずっす」
しかし相手は最低三人、いや、はじめから中にいたやつを入れると四人か? しかもブラインドは閉まってるし、狙撃で全員を同時に倒すのは難しい。ひとりでも生き残れば人質が撃たれるかもしれない。それどころか間違って人質を撃ちでもしたら上の人間の首がすげ替えられる。
どうする、どうする?
熊野は考えがまとまらないうちにハンドマイクを掴んだ。
「犯人。てめえ、誰か殺したんじゃねえだろうな? 人質をひとりでも殺してみろ。地獄の底まで追っかけて皆殺しにしてやるぞ。覚悟しやがれ」
「け、警部、犯人を挑発してどうするんすかあ?」
星がマイクを取り上げる。
そうはいうけどなあ。あいつのせいで、俺は、俺は……。
熊野は拳を握り締め、涙する。
香ちゃんに振られたんだよ。
「ちくしょう、ポチ、どっかから潜入できないのか? たとえばトイレの窓とか」
「トイレには換気扇はついてますけど窓はないっす。それ以外のところには窓は何ヶ所かありますけど、どれも小さい上に格子がはまっていて潜入は不可能っす」
「くそ」
なにか方法はないのか? 犯人はどうするつもりだ? いったいどうやって逃げるつもりだ?
熊野は焦る。しかしいい考えはなにも浮かばない。
「警部、どうするんすか?」
「やかましい」
そんなこと俺が聞きたい。そういいたいのを飲み込んだ。
そんな中で携帯電話が鳴った。
『私だ』
「課長?」
『いいか、絶対に犠牲者を出すなよ。犯人は射殺して構わんが、人質はひとりも殺すな。狙撃班は送ったから、君の責任で使え』
「犯人を殺していいのはありがたいですが、相手は複数ですよ。狙撃は無理だ。そもそも窓にブラインドが掛かっていて、人質は窓際に並ばされている。どうやって撃てっていうんです?」
『そこをなんとかするのが君の役目だろうが。ちがうか?』
上っていうのはいつもこうだ。無理難題を平気で部下に押しつける。しかも非番中に呼び出しておいて、失敗すれば俺の責任らしい。
あんたが現場に来て陣頭指揮すりゃいいじゃねえか。よっぽどそういってやろうかと思った。
『で、どうなんだ?』
「今のところなんの進展もありません」
『馬鹿者、そんなことでどうするんだ。おまえは私の首を飛ばす気か? しっかりしたまえ!』
だから首が心配だったら直接来て指揮しろ。そもそもおまえのせいで俺は香ちゃんとだな……。
『もし失敗してみろ。貴様、警部補に降格させて離島の所轄に飛ばしてやるぞ。小笠原署とか八丈島署とかどうだ? ん?』
「課長、いいかげんにしてくれ。業務の支障になるから切るぜ」
そういって通話ボタンを切る。心底むかついた。
「ポチ、中の電話は何番だ?」
とにかく犯人と交渉をしないことにははじまらない。
星の口にする番号を押した。
『は、はいぃぃ』
間の抜けた女の声。
「俺は警視庁捜査一課係長の熊野だ。おめえらの要求はなんだ。いってみろ」
『あ、あ、あ、あの、あたし銀行のものです。三宅といいますぅ』
「なに? そ、それで、どういう状況なんですか? 誰か犠牲者が?」
『男子行員の木更津さんが殺されちゃいましたぁ!』
目の前が真っ暗になった。
殺された? 銀行員が?
早くも課長の絶対命令が守れなかった。
島流しだ。そういえばこの女、三宅とかいったな。それは三宅島に左遷されるという暗示か?
『あ、あの、犯人と替わります』
犯人だと? 香ちゃんとのデートを台なしにしただけでもの足らず、よくもこんな仕打ちをしてくれたな。
「貴様、必ず逮捕してやるぞ。いいてえことがあるならいえ。そのかわり、もう誰も殺さないと誓え」
『やかましい。こっちは今それどころじゃねえんだ。馬鹿野郎!』
電話は切れた。