番外編03 第三次世界大戦 其の三
人は一人では生きていけない。
とは、よく言ったものだ。
私は、生きていく中でこれを感じたことはそうなかった。
というより、まったくなかった。
しかし、最近ようやくそれを実感している気がする。
人が一人で生きていけないというのは、決して、日常生活での食料や生活用品など、生活に必要なものを一人では作れないということだけではないのだろうとこの頃思うようになった。
具体的に言うのなら、心と心のふれあいや優しさなどだ。
人は、弱い。
強い人間もいるかもしれないが、私は絶対に無理だと思う。
今まで一人で生きてきたと思っていたのは、勘違いすることができたのは、陰ながら様々な人が私をそっと優しく支えてくれていたからなのだろう。
出会った人みながそうであった、というわけではない。
もちろん、自分の肌に合わない人もいたし、心から憎い人もいた。
悪いものは目につきやすいものだ。
だから、私は気付けなかった。
いや、故意に気づこうとしていなかっただけかもしれなかった。
うん、きっとそうなのだ。
私はようやく、このことに気が付くことができた。
大切な人を失って、ようやく。
私はどうしようもない未熟者だ。
私が私でなかったら、軽蔑していたくらいの未熟で、みじめな人間だ。
私の大切だった人――今なお大切な人。
土佐中佐。
土佐中佐の班は、私が初めて所属した班であった。
緊張でがちがちの私を優しくはなかったけれど、ほかの班では、同期の新兵がごみのように扱われている中で、一人の兵士として、それ以前に一人の人間としてみてくれた土佐中佐。
私はそんな人をつい先日戦場で失った。
私の体の一部が削られたような気がした。
そがれるような気がした。
体がそがれるのではなく、心がそがれたのでなお一層苦しかった。
どうしようもない痛みは、心の奥底まで届いていた。
手の届かない、真っ暗な場所でキリキリと地味な痛みを発し続けていた。
私は今でも思い出す時がある。
優しい彼を、不器用で昭和のおやじみたいな彼のことを。
笑うことが少ない、まじめな温かい人。
転んでいる兵士がいれば、それがどんな人間であっても駆けつける。
たとえ、銃弾の雨の中であっても、一人であっても、丸腰であっても駆けつける。
そんな中佐を。
今日は、その土佐中佐の話を少しするとしよう。
私一人から見た中佐なので、公平な視点とは言い難いが、そのあたりは勘弁してもらいたい。
私が、まだピカピカの一年生、新兵だった頃の話だ。
私は、高校を中退し、軍隊に所属することになった。
ここで、注釈を入れておきたいのだが、別に私が好き好んで入隊したわけではない。
徴兵されたのだ。
第二次世界大戦で言えば、「赤紙」という奴だ。
私は、この言葉が嫌いだ。
聞いただけでぞっとする。
とりあえず、この話はまたいつかの機会にして話をもどそう。
中佐の話に。
どこまで話したかな。
そうそう、軍隊に所属したころからだったな。
まず、軍隊訓練所ではまず小、中、高のように座学が行われた。
しかし、学校のように甘くはない。
居眠りなどをしたら一発でアウト!
教官は、いつも目を光らせている。
言うなれば、生徒たち(訓練兵と呼ぶべきだろうか)のあら探しをしていた。
訓練兵のためというよりも自分たちのストレス発散のためのようだった。
座学で、よく音読させられたのは「人を見たら鬼と思え」「人を信じるな。自分を信じろ」だったということを記憶している。
ただしこれらだけではなく、「仲間を大切に」などというきれいごとの標語もあったが、ほとんど授業で扱われることはなかった。
こうして根性を根本から変えられた私たち訓練生に次に待っていたのは、身体教育だった。
つまり、実戦訓練。
ご存じの通り、学生時代2次元に没頭していた私のことだから、まさに地獄のような日々だった。
まず、腕立てや腹筋、背筋を鍛える準備運動の時点で、魂が半分抜けかかっていたほどだ。
そういえば、私が地面に伏せるたび「こら! そこ、羽黒なにしてる!」なんていわれたっけ。
決して、懐かしいなどとは思わないが。
このように、2か月間みっちりと鍛え上げられた私たちは、訓練兵986人中12人の奪略者を出しながらも974人は無事新兵となったのだ。(無事、とは言い難いが、な)
その後、私たちはそれぞれ様々な班に所属させられた。
そうして、私が所属したのが土佐中佐(当時少佐)の班だったのだ。
これが、私と中佐の初めての出会いだった。
出会い……などというと少々照れくさいというか、気持ちが悪いな。
「本日付で着任しました羽黒2等兵です。どうぞよろしくお願いいたします」
という私の言葉に
「うむ」
とだけ、中佐は答えた。
これが、私が初めて聞く中佐の言葉だった。
今となってはもう少しあってもよかったのでは、などと思ってしまうがこのころの私は(今もそうだが)言える立場ではない。
このころ私は、2等兵だった。
それを考えると、すごいスピードで昇進してきたものだ。
いやいや、自分によっている場合ではない。
中佐の第一印象は、怖いという感じだった。
訓練中も食事中も一服している時でさえ中佐は、口数が少ないのだ。
少ないというより、重いのだ。
固く何かで閉められているのではないかと思ったほどだ。
口数が少ないだけではない。
強面だったのだ。
お面をかぶっているのかと質問したかった。
しかし、そんな中佐とも一か月共にしているといろいろな面が見えてきた。
あまり、感情を表に出す人ではなかったけれども笑うし、普通に話すこともわかってきた。
このころの私は、まだとげとげしていて周りを冷静に客観的に見ることはできていなかったと思う。
そんな私でも、中佐の優しさには薄々気が付いていたのだとは思う。
食堂で、同期たちはこんな話をしていた。
「おい、羽黒。お前の班どうだ? 俺の班なんてひどいもんだよ。ため息が止まらない。兵士を何だと思っているんだ。掃除のおばさんじゃないんだから、こき使うのをやめてほしいよ。まったく」
「そうだよな。蕪木(同期の一人の名前)、お前のところもそうか。いやになってしまうよな」
しかし、私の班は違った。
「え、みんなそうなの? 私の班は、みんなで色々なことをしているよ」
こういった私を見て同期のみんなは目を見開いて驚いた顔をしていた。
私は、それが当たり前だと思っていた。
そして、中佐の優しさを自覚していなかった。
そのまま時は過ぎ、ついに戦場に赴く時が来た。
乾いた風の吹く、気持ちの悪い場所へ。
新兵で初めて班に所属する時以上に私は緊張していた。
末端が冷えていくのを感じた。
血が全身に行きわたっていなかった。
きっとこの時、私の顔はひどく青かったと思う。
誰よりも。
そんな私を見た中佐は、移動中の車の中で私の肩に手を置き
「大丈夫だ。私が付いている。そして、お前も頑張っていた。そうだろう?」
と声をかけてくれた。
何か今まで抱えていたものすべてが、すっと滑り落ちた気がした。
軽くなった気がしたのだ。
今までの努力が報われた気がした。
訓練の時も一人で残って頑張っていたこと、様々なことで悩んで抱えて張りつめていたこと。
すべて中佐からはお見通しだったのだ。
どうして忘れていたのだろうか。
この時、彼の優しさ、偉大さに気が付いていたはずなのに。
今なら、鮮明に思い出せる。
その車の中で、心が、目頭が熱くなったのを。
きっと、彼を失って、気が動転していたのだろう。
戦争が人を狂わす。
これは、きっと本当なのだろう。
実際、私もおかしくなっていた。
自分一人が生き残ったからって、自分が強いなどと思いあがっていた。
支えてもらっていたことなど、きれいさっぱり忘れていた。
やはり、私は未熟者だったのだろう。
そして、まだ未熟者なのだろう。
これからも私は、人の助けで生きていく。
いつ、その恩を返せるのかはわからないが、いつか返したい。
中佐には、もう永遠に恩を返せないから、ほかの人を支えることで中佐の想いを受け継いでいこう。
そうしよう。
そうするしかない。
今日から、また新しい人たちの世話になる。
天童大佐の班の皆さんだ。
今度は失いたくはない。
だから、一生懸命、精一杯努めたいと思う。
明日から……いや、今から頑張っていこう。
「おーい、羽黒准尉、行くぞ! 準備をしろ!」
この愛おしい人たちを――。
「はい、ただいま!」
自分の手で守れるように――。
「遅いよ羽黒!」
恩をしっかり返せるように――。
私は、メモ帳を閉じ、かばんにしまう。
そして、新しい仲間のもとにかけていくのだった。




