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魔法屋と家族

 陽を受けてきらめく青の海。風に膨らむ純白の帆。レノヴァの港は岸壁に何隻もの船がいかりを下ろし、荷を運ぶ水夫や、青地に白いラインの剣ベルトをした警備隊員で賑わう。


「魔力を感じるのはこの箱と、これと……」

 出荷用の検問所に列を作って並ぶ荷の、横をシェザリューンが歩きながら手をポンポンと置いていく。

 示された荷は、アドルが申請書に書かれている内容を読み上げ、シェザリューンが首をひねれば中身を検める。それ以外の荷は内勤部隊が調べ始めた。


 あれからさらに十日ほど経ったが、街の状況は変わっていない。

 ダージェの領主暗殺未遂事件、魔獣屋の魔力布まりょくぬの盗難事件、それに薬屋から魔法薬が盗まれたこと。これらに振り回されている内勤部隊は、ゲンナリした顔で陽の照りつける街を歩きまわり、魔石・魔鉄の節約令が出ている人々は、その反動もあってか、レノヴァ祭の準備にいっそう気合を入れている。

 シェザリューン魔法店の師弟は相変わらず、五日に四日は椅子車(人力車に似た物)で仲良く検問に出かけ、あとの一日を、師匠は幸せそうな顔で朝寝と昼寝を堪能し、弟子はやる気満々といった様子で家事と師匠の世話に、もちろん魔法の練習にも励んでいた。


「よし! 問題ないな。積んでいいぞ」

 調べ終えた荷は船へ運ばれていき、なくなれば新たな荷が来るまで休憩だ。

 アドルは浮かぶ汗をタオルでぬぐいながら、シェザリューンはちっとも暑くなさそうな顔で、すぐ近くにある詰所へ向かう。

 そのとき。


「おお! アドルじゃないか!」

 背後から聞こえてきたのは、中年男の美しくも豪快な声。この間、魔道具職人ギルドの親方と言い争っていた、そしてアドルが幼い頃からものすごく親しんでいる、父の美声である。

「ぁ、父ちゃん」

 ボソリとつぶやいたのは息子のアドルではなく、前回早々に立ち去ったために、おそらく声しか知らないはずのシェザリューンだ。

 思わず、アドルはぐりっと師匠をふり向いた。



「こいつの働きぶりはどうです?」

 互いに挨拶を終えると、父がニカッと笑いながらもどこか遠慮がちに、うかがうように首をかしげた。シェザリューンは父に向けてにっこりほほ笑む。

「アドルはよく働いてくれてます。僕はとても助かってますよ」

「そっ、そうか! そうですか! いや、それは良かった!」

 豪快な美声が、周りの喧騒けんそうをものともせずに空気を震わせる。その父の顔を見て、アドルはハッとした。


 アドルがレノヴァ警備隊に入隊したのは、もう十年も前か。

 外勤部隊に配属されたと報告したとき、父は「さすがアドルだ! それでこそレノヴァの男だな」と誇らしげに笑った。アドルも誇りに思ったし、褒められたことが素直に嬉しかった。しかし。

 警備隊員になり遠征から帰ってくると、父は必ず宿舎に顔を出し、「俺が作ってやった剣は活躍しただろう?」と得意げに聞く。そんな父を、若僧アドルは少しばかりうるさく感じるようになっていた。


 それが一年と少し前。魔力が発現したことで、警備隊員から魔法使いの弟子へと転職。やはり父は「さすがアドルだ!」と笑った。が、その顔は誇らしいというより、心底安心した、といった嬉しそうな笑顔に見えた。

 このとき、アドルはようやく気がついた。自分が思っていたより父はずっと、魔獣と戦う息子を心配していたのだと。


 警備隊時代、父が宿舎に来ていたのは、息子の無事を確認するためだ。いつも剣を出させてジッと見つめていたのも、次の遠征でも息子を守ってくれるはずの武器に不備はないか、鍛冶師としてつちかった目で見定めるためだったのだろう。

 何年も何年も、父はこのことを続けてくれた。


 だからこそアドルは、もう心配をかけたくなかった。魔法使いの弟子としては不出来で不遇だったことを父に言えず、そのせいで顔も合わせづらかった。

 けれど今、父は警備隊を辞めたときと同じ、安堵の笑みを浮かべている。どうやら息子の境遇を知っていたらしい。師匠とうまくやっているのを見て、心から嬉しそうに笑っている。

 アドルは熱くこみ上げてくるものを感じて、それを抑えこむようにグッと奥歯をかみ締めた。



「いや、親の俺がこう言うのも何だが、こいつは昔から家のことをよく手伝ってくれる、頼れる次男坊だったんですよ」

 美声がまた、辺りを震わせた。父に褒められればやはり嬉しく、そして気恥ずかしく、アドルの顔は自然とうつむく。


「こいつの姉は料理が下手だったから、アドルはよく母ちゃんの手伝いもしてくれて」

 その姉は今、食堂の女将に納まっている。過去のこととはいえ、美声で喧伝けんでんするのはどうなのか。アドルの首がいささか傾く。

「弟たちが小さい頃は、熱を出せば一生懸命看病してくれたし、そういえば猫の面倒もよく見てたな」

 弟たちは順当に自立し、兄として嬉しく思う、猫は立派に天寿をまっとうした。今思いだしても悲しくなる。それより。


 息子を誇る話が、家事と小さいものの世話というのは……今やっていることと変わらないような。

 もしかすると師匠のぐうたらっぷりまで知っていて、こいつはあんたの弟子に適任だぞ、と売りこんでいるのだろうか。いやいや、親父はそれほど器用な男じゃない。アドルは小さく首をふる。


「……親父、師匠は今仕事中なんだが。それより港に何しに来たんだ?」

 そろそろやけに通りのいい美声を止めなければ。アドルが口を開くと、なぜだか父は口ごもった。

「いや、その、今日辺り、どこかの船が魔鉄でも運んで来ないかと思ってな」

 下手な言い訳だ。きっと息子を心配して、言い訳も必死に考えて、様子を見にやって来たのだろう。

 家はけっして近くない父が、ダミ声の、魔道具職人ギルドの親方のところにいたのも、息子のいる魔法屋に来ようとしていたのではないか。その途中、鍛冶師魂を刺激され、あの騒ぎになったに違いない。


 嬉しくも気恥ずかしいアドルはどんな顔をすれば良いのかわからず、太い眉毛はギュッと寄り、頬もむにむに動いている。父も同じなのか、そっくりな太い眉毛がくっついている。

 青い空と海を背景に、よく似た男たちが日に焼けた頬をポッと染め、恥じらいながら向かい合う。


「なんだか、お見合いみたいだね」

 ――ぶふっ


 のほほんとしたシェザリューンの言葉に、父と息子はそろって同時に噴きだした。

 ちなみに、アドルもどちらかといえば美声の部類に入っている。





 父とお見合いをしてしまった翌朝のこと。

 アドルはいつもどおり、シェザリューンを起こして鏡の前に置かれた椅子まで運ぶと、タライに水をそそぎ、長い髪を結んでやる。ちゃぷりちゃぷりと顔を洗いだした師匠にうなずくと、こちらもいつもどおりクローゼットに向かう。

 それから似た感じの白いシャツをぐるりとねめつけ、今日はどれを着せてやるべきか、と、いつも以上に悩み始めた。


 実は今日、シェザリューンは実家に帰ることになっている。ぐうたらな次男坊を世話していた、彼の兄である豪商の次期主人に初めての子が生まれたのだ。当たり前のことだが、産んだのは兄ではなくその妻である。

 数日前、『リューンにとっても初めての甥だ。ぜひ顔を見に来てくれ!』という気合の入った伝言を持って、品の良い使用人がやって来た。アドルも『リューンが世話になってるお弟子さんもぜひ』と昼食に誘われた。

 そこで師弟は検問のない今日、レノヴァ屈指の商家を訪ねることになったわけだ。


「ぬぅ……」

 ちゃぷりちゃぷりと顔を洗う音を聞きながら、世話好きな弟子はうなる。せっかくの里帰りだ。師匠に一番似合うシャツを選びたい。

 首元でリボンを結ぶ物がいいだろうか。いや、年中温暖なレノヴァでも今はひときわ暑い季節。検問に出ていても、相変わらず真っ白なので涼しげに見えるが、師匠だって暑いかもしれない。

 レースのほうが涼しげか。いや、コレはちょっとヒラヒラしすぎだ。若干童顔な師匠がなおさら幼く見えてしまう。だが、よく似合うとも思う……。

 シェザリューンの顔を洗う音に合わせ、悩むアドルは唸りを繰り返す。


 ちゃぷり、ちゃぷり、ぬぅ、ぬぅ、ちゃぷり、ぬぅ、ちゃぷ――


「ぬ? ……おおぅ!」

 ふり返ったアドルが見たものは、タライに顔を埋めたままのシェザリューン。元警備隊員の弟子は凄まじい速さで駆け寄り、タライから師匠の顔を救出した。


 ――油断しちゃダメだ。


 シェザリューンの無事を確認すると、アドルは自分を戒めるように首をふる。

 起きぬけの彼が顔を洗ったまま寝てしまうことは、たまにある。だから弟子は、なにげない日常を送っているだけなのに、師匠が命を落としてしまうのでは、と気が気ではない。

 こうしてアドルは、魔法を教えてもらうとともに、ぐうたらな師匠に日々心臓も鍛えられていた。



 命の危険を伴うかもしれない朝の準備が終わり、こちらはシェザリューンがしゃきりと動くので、アドルにとっても心安らかな朝食をとる。師匠はいつもより短めの朝寝を、弟子は前倒しで掃除を終えると、二人は椅子車に乗って、引いて、仲良く魔法屋を出た。

 まぶしい白の街を歩けば、近隣住民が相変わらずシェザリューンに優しげな声をかけ、アドルは理由がわからず首をかしげる。広場を抜けて、ずっとずっと歩いていけば、弟子は額に汗をにじませ、師匠のまぶたはとろんと下がる。


 びっしりと家々の並ぶ庶民街も抜けると、大通りに出た。こちらも建物がずらりと並んでいるものの一軒一軒が大きく、道幅も広いためにすっきりとして見える。裏に回れば広々とした庭や、大きな倉庫が並ぶ屋敷も多い。

 ここが豪商ひしめく中心街だ。細工を施した壁に美しいガラス窓。白を基調とした建物にも色が溢れ、無骨な弟子の目にも楽しいと思える。師匠のまぶたは完全に閉じている。


「んぅ……ん?」

 辺りをきょろきょろ見まわしながら椅子車を引いていたアドルは、師匠の声にふり返った。寝ていただろうシェザリューンの目が、今はぱっちり開いている。

「師匠、どうかしたのか?」

「この店、魔獣の毛皮でも売るのかな?」

 シェザリューンの視線を追って、アドルもすぐ脇にある立派な店を見た。



 まだ開業していないらしい店は、下を赤茶色のレンガで装飾し、上にいくに従ってレンガはまばらに、白い壁になっている。窓も赤茶色で囲われている。

 ダージェ風だろうか、とアドルは思った。レノヴァが白の街なら、ダージェは赤茶色の街と言われているからだ。そういえば、とも思いだす。


 シーリスが酒を持って魔法屋に来た日――この、元同僚がシェザリューンの弟だと判明した日のことだ。アドルは久しぶりの酒を堪能しながら、街に越してきた大きな商家の屋敷がもうすぐ出来上がる、と聞いた。

 このときシーリスは、ダージェの商家だとも言っていた。ダージェや、その東にある隣国イストルから仕入れる、レノヴァにはいない魔獣の毛皮や牙、美しい羽で作った家具や置物などを扱う店だそうだ。


 おそらくこの店は、多くの商家がそうするように、レノヴァ祭とともに盛大に開業するのだろう。そのために今、ダージェから運ばれてくる商品を貯めこんでいるはずだ。

 魔獣の体は狩ったあともしばらく魔力が残る。だから師匠は、店にある商品から魔力を感じ取ったのだろう。残念ながら、不出来な弟子は何も感じないが。


「きっとこの店が、シーリスが言ってた商家なんだな」

 アドルは彼から聞いた話を、シェザリューンに伝える。

「ふぅん。魔獣の品ばかり扱う、ダージェの商家……」

 聞き終えたシェザリューンは、ブツブツとつぶやきながら、口を尖らせ首をひねった。アドルの顔もつられて傾く。


 師匠は魔獣屋の魔力布盗難事件や、薬屋から魔法薬が盗まれたことでも考えているのだろうか。たとえば、この店に魔法薬を隠せば魔獣の魔力に紛れるかもしれないと、犯人は考えたとか。

 だが、こんな立派な屋敷を建てられる商家が、わざわざ盗みを働くとも思えない。


 ダージェとつぶやいていたから領主暗殺未遂事件のほうか。いや、ダージェの商家がレノヴァで店を構えたなら、ダージェの領主のサインと仕えている魔法使いの魔法印の入った、何枚もの証明書を持っていたはずだ。つまり怪しい点はなかったということ。

 事件が起きたあとも店は何事もなくレノヴァにある。だから暗殺を企てたという腹違いの弟と、この商家につながりはない、はずだ。


「ぬぅぅ……」

 師匠が何を考えているのか。ちっともわからないアドルは唸りをもらす。

「うぅん……ちょっと強引だったかな。アドル、そろそろ行こうか」

 シェザリューンは何事かを考え、しかしそれを否定する結論に至ったらしい。にこりと笑って促されると、肉体派な弟子はさっさと思考を放棄して、すぐに椅子車を引き始めた。





「シェザリューン坊ちゃま、アドル様、こちらへどうぞ」

 レノヴァ屈指の豪商宅に着くと、師弟は品の良い使用人に案内され、屋敷の中を歩いていく。


 アドルはどうにも落ち着かない。庶民にとっては立派すぎる家だから。アドル様なんて呼ばれると背中がムズムズする。二十七の男に向かって「坊ちゃま」はいかがなものか。いろいろと思うところはある。


 が、そんなこと、どうでもいいくらいに気になっていることがある――師匠だ。

 のたのたとした、のろい歩み。ぐうたらなだけかもしれないが、検問が始まってから日課となっている、五日に一度の朝寝が短かったから疲れているのでは、とも思えて弟子の心配をおおいにあおる。

 けれどここは師匠の実家だ。なぜだか知らないが、使用人もチラチラとこちらを窺っている。ここで抱き上げるのもいかがなものか。

 アドルは心配しつつ、手を貸せないことに焦燥を覚えつつ、太い眉毛を下げながら案内された部屋へ入った。



「リューン! 久しぶりだな。ほら見てくれ。可愛いだろう!」

 これが師匠の兄の、この豪商の次期主人だろうか。赤ん坊に配慮したのだろう、声を潜めながらも勢いよく出迎えた男を見て、アドルの目はパチパチと忙しく動く。


 まず、シェザリューンとはまったく似ていない。色すら似ていない。だが、三男坊のシーリスをいかめしくした感じもするから、やはり兄弟なのだろう。その顔は今、初のわが子を前にして豪快に崩れている。

 彼の腕には愛らしい赤ん坊。いわゆる上流階級の男が自ら『だっこ』するというのは、アドルは珍しいと感じる。まあ、彼はぐうたらな次男坊の面倒を見ていたようだから、当然といえば当然か。


「昔のリューンやシーリスにそっくりだろう? あぁ、なんて可愛いんだ!」

 シェザリューンとシーリスはまったく似ていないので、赤ん坊も似ているとすればどちらか一方だと思うのだが。

 アドルは首をかしげつつ、とろけた顔でわが子に頬ずりをする次期主人を見た。


 彼の鼻の下が、なぜだか少し白い。そこだけが日に焼けていないような。

 もしかして、頬ずりのためにわざわざヒゲを剃ったのだろうか。商家の次期主人ともなれば、貫禄やら見た目も大切だと思うが、それよりもわが子への頬ずりを優先したらしい。

 赤ん坊がむずかると、次期主人自らあやし始める。使用人も手を出そうとしない。つまりこれが、この家の日常のようだ。


 なんとなく、アドルは豪商三兄弟の過去を垣間見た気がした。

 ほとばしる愛情もあらわにせっせと弟たちを世話する長男。それをありがたく受け入れ、そのまま育ったぐうたらな次男坊シェザリューン。おそらく三男坊のシーリスは歳とともに自立し、世話好きな長男はそれをなげいたに違いない。

 その気持ちは、同じ世話好きとしてアドルもちょっとわかる気がする。


 だが、この子が師匠のように育つのはマズイかもしれない。

 シェザリューンは魔法の才があったから、ぐうたらであっても無事自立したが、商家の主人は務まらないだろう。

 他人事ながら、次期主人に養育されるであろう赤ん坊の将来を、アドルは結構まじめに心配していた。



「そろそろ食事にしよう」

 みなでソファに腰を下ろし、シェザリューンはくたりと寝そべっているが、ひと心地つくと、わが子を抱きっぱなしの次期主人がテーブルへと移動する。


「師匠、昼だぞ」

「僕はいらない」

 いつもどおりの答えだ。どうやら彼は生きるために、朝食と、他は腹が空いたら食べればいいと考えているらしい。アドルもいつもどおり、難しい顔を作って首をふり、遠慮なくシェザリューンを抱き上げる。

 くるりとふり返り、ハッと息をのんだ。


 次期主人と使用人の目が、アドルに注がれている。彼らはやけに満足そうな表情で、うんうんとうなずいてもいる。もしかして。

 この招待は、ぐうたらな次男坊の弟子として相応しいか、見極める目的もあるのだろうか。先ほど使用人がチラチラと窺っていたのも、のたのたと歩く師匠に手を差し伸べるかどうかを見ていたのでは。


 ――しまった! 遅れをとったか。


 アドルは挽回すべく太い眉毛をキリリと持ち上げ、シェザリューンを丁寧に、そしてテキパキ運ぶ。師匠のもたもたと動く口を注視しながら、バランス良く、適切な分量を食べさせていく。

 もちろんアドルもこの間に、効率よく三倍の量を食べ、おいしさに頬をゆるめるという余裕も見せつけてやる。


「リューンはいいお弟子さんに恵まれたな」

 ――よしっ!


 次期主人の優しげな声に、アドルはグッと拳を握った。

 こうして世話好きな弟子は存分に本領を発揮し、豪商宅を辞すこととなった。



「いい物を作ってもらったな。リューンはそれに乗せてもらって、もっとこの子に会いに来てくれ」

 わが子を片時も離さない次期主人は、見送りに出ると椅子車を見てにこりと笑った。引き手を握るアドルの胸はそり気味で、顔もかなり自慢げだ。


「ん? 僕はってことは、シーリスは結構家に来てるんだ?」

「ああ。まあ、あいつの場合は情報と酒が目的だろうけどな」

 小首をかしげたシェザリューンに、次期主人が苦笑いを向ける。


 以前、シーリスがこの屋敷を訪れたときは、「ダージェの領主に腹違いの弟がいるんだろ? どんな奴なんだ?」と聞いたそうだ。そして彼が帰ると、酒がなくなっていたらしい。

 おそらくあの日――シーリスが酒を持って来た日だ。魔法屋に来る前にここへ寄ったのだろう。


 三男坊の、内勤部隊の小隊長はダージェの領主暗殺未遂事件を知り、まだ手配書が届かなかったために、独自に情報を仕入れようとしたようだ。他領とも交易している商家なら、領主家の情報も持っているはず。

 なるほど、とアドルは感心した。いち早く情報がわかれば、逃げてきた犯人を検問で捕まえられる可能性も高まる。知らずに街に入れてしまうことも……。


「つまり兄さんは、その腹違いの弟を知らなかったってこと?」

 シェザリューンの問いに、アドルは横からうなずいた。

 内勤部隊は今、街中も捜索している。シーリスは手配書の遅れをボヤいていた。これは街に入られた可能性が十分にあるということ。彼は有効な情報を手に入れられなかったということだ。


「ああ。少し前にダージェの領主が腹違いの弟を引き取ったとか、そんな話は聞いた。でもどんな人物なのか、母親は誰なのか。そういった噂は何もないんだ。家のことに関わらせるつもりはないってことだろうな」

「ふぅん。少し前に、誰も知らない弟……」

 次期主人の答えを聞き終えると、シェザリューンはまた、ブツブツつぶやきながら口を尖らせ首をひねる。


「わからないこともあるし、見当違いかもしれないけど、念のため……」

 こう言って、シェザリューンは次期主人に一つのことを頼んだ。


 それが何を意味するのか、アドルにはちっともわからない。ただ、珍しく難しい顔をしている師匠を見て、心にざわめくものを感じていた。



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