レノヴァを守れ
三日月が街をぼんやりと照らし、生ぬるい潮風がじっとりと肌に張りつく夜。いや、レノヴァの風はいつもならもっと心地よい。今日が特別なのか、それともアドルがそう感じているだけなのか。
暗い街を足早に歩く。腰には父が作ってくれた愛用の剣と、小さな魔光灯がぶら下がり、背中には――シェザリューンを背負っている。
魔法屋の店先で、一旦シーリスやリディウスと別れた師弟は、ダージェの商家に向かうべく闇の中を駆けだそうとして……シェザリューンが足をもつれさせた。かつての弟子リディウスの、心配は見事に当たったわけだ。
現在の弟子は、日頃滅多に動かない師匠が走ったことに目をカッと見開き、そして転びそうになった師匠をガッとつかんだ。
目的地で合流する予定のシーリスは、小隊を動かすために少々時間がかかる。ならば焦ることもないだろう、と、アドルは師匠をおんぶして、それでもせかせか歩いていた。
ちなみに、このたびは椅子車(人力車に似た物)の出番がない。静かな夜の街を密やかに動くには、少々音が気になったからだ。こちらについても改良の余地があると、弟子は心に留め置いた。
二人が商家の裏手に着いたとき、シーリスの小隊はすでにそろいつつあった。
大きな商家になると、たいてい裏手には小舟で荷を運ぶための水路がある。彼らはこれを利用したのだ。内勤部隊にとっては当たり前のことなのだろうが、元外勤部隊の小隊長はなるほどと感心し、急いで来てよかったとも安堵した。
「よし、この塀を乗り越えるぞ。門の鍵は……」
声を潜めたシーリスが、気配も潜めながら裏門に近づく。手にした魔道具をかざしてもいる。
そしてアドルへと手招き。正しくは、アドルの背にいるシェザリューンを呼んでいるに違いない。
「シェザ兄、魔道具が反応してるんだ。どこに仕込まれてるか、わかるか?」
「この門の下のほうだね。地面にも仕込まれてるみたいだから開けないほうがいいと思う」
「やっぱり鍵じゃなくて門か……」
こうした大きな商家は、防犯用の魔道具を施していることが多い。
一昔前は鍵が主流だったが、いくら魔道具であっても魔石がなければだたの鍵。魔石は風魔法をかけた魔鉄製の道具があれば、壊すことができてしまう。まあ、それを入手するのは簡単ではないが。
そこで、魔道具を門や地面に埋めこむようになった。こちらも壊すのは可能だ。だが、門や地面を破壊すれば大きな音が立ち、家人に気づかれてしまうだろう、ということだ。
「じゃあ、シェザ兄も塀を乗り越えるしかないな」
シーリスは溜息をつきながら、体を動かすのがものすごく苦手らしい兄を、心配そうな顔で見た。ちなみにシェザリューンはまだ、弟子の逞しい背中にぶら下がっている。
「師匠も乗り越えるのか……」
その弟子はやけに高々とした塀を見上げ、そして肩から首に回っている、師匠の細腕をジッと眺める。
アドルが師匠をしょって塀をよじ登るのは、常に抱え上げているのだ、おそらく大丈夫だろう。が、はたしてシェザリューンは、ちゃんと弟子の背中につかまっていられるのか。もし途中で落ちてしまったら……。
心配顔で首をふったアドルは、隊員たちが待機している場所までつかつか足を運ぶ。
「みんな、師匠を体に括るから、シャツを貸してくれ」
アドルは隊員たちにシャツを所望した。
彼らの中には、あの、暗殺者らしき腹違いの弟を捕まえた、若い隊員も含まれていた。若者はアドルの要求に顔を引きつらせたものの、その口から文句が出ることはなかった。
上官である小隊長シーリスと、怖い魔法使いが兄弟そろって並んでいたのだから、当然かもしれない。
*
無事、塀を乗り越えた面々は、シェザリューンが入手した図面から配置を決めていたようだ。小隊長の合図で、それぞれにそっと散らばった。その中の幾人かは、シャツが着崩れシワシワだ。
アドルは、シェザリューンとシーリスとともに動いている。
「師匠、どうだ?」
「うぅん……魔獣の品があるから、もっと近づかないとわからない」
並ぶ倉庫の外側を、三人はそっと回る。アドルは愛用の剣を手に見張りを倒し、シェザリューンは魔力物は隠されていないか、魔道具は仕込まれていないか、と魔力を探る。シーリスは後方の警戒だ。
「やっぱりあるとしたら、あの真ん中の倉庫だな。行くぞ」
シーリスが指したのは、シェザリューンが予測していた場所。三人は倉庫と倉庫の間を進んでいく。
「ぁ」
「師匠、あったのか!?」
「シッ、まだ見張りがいるかもしれないんだぞ」
師匠の小さなつぶやきに、つい声を上げてしまったアドルは、シーリスにいさめられて慌てて口をつぐむ。
元外勤部隊の小隊長とはいえ、一年以上ぶりの、しかも相手は魔獣ではなく初めての潜入捜査だ。少々平常心ではなかったのかもしれない。
アドルは落ち着くべく、ふんっと鼻から息を吐きだした。
「シェザ兄、ここにあるのか?」
「うん。これは魔力物の魔力だね。たくさんある……」
目的の倉庫の前に着くと、シーリスとシェザリューンがうなずき合う。
ようやく見つけた。これで街を守れる。
そんな感慨を抱きながら、アドルが倉庫の入口を見つめたとき、目の端で何かが光った。
――キンッ
夜に響いた金属音。アドルは剣を構えている。その足元にはナイフが転がり、視線の先には人影が三つ。先ほど上げてしまった声が、見張りに届いたのかもしれない。
元外勤部隊の小隊長はすさまじい速さで駆け寄り、影を打ち払う。相手は三人だ、シーリスも続く。
一つ、二つ、うめきをもらしながら倒れていく影。残るはあと一人……。
「動くな!」
鋭い声にふり向くと、夜の闇の中、妙にシェザリューンの顔がよく見えた。青の瞳が大きく見開かれている。
彼の顔を照らしていたのは、その首元で、三日月を浴びて鈍く光っている剣だった。
――師匠!
ピタリと動きを止めたアドルは、目で、耳で、周囲を探る。
師匠の後ろに剣を持った男が一人。他に気配は感じない。元同僚はまだ倒していなかった、先ほどの影と向き合っている。
どうする? 他の隊員たちはどこだ?
守るべき師匠を人質に取られたアドルの、額を汗が伝う。剣を握る手に思わず力が入り、落ち着けと、自らに言い聞かせながらフッと短い息を吐く。
隙を作ることはできないか。そうだ、師匠の魔法で男の注意を逸らせば。
アドルがシェザリューンに目を向けたとき。
「お前たち、何者ガボフォッ」
「!?」
シェザリューンに剣を向けていた男の頭が、突如、水に包まれた。
突然のことに慌てたらしい。息ができないであろう男はジタバタともがき、握られたままの剣も暴れる。男に弾かれ、よろけたシェザリューンに、闇雲に動く剣が迫り――
――キンッ、ドサリ
アドルの剣が男の剣を飛ばし、それは、そのまま男の体も打ちつけた。
「師匠、怪我はないか? あんな風に魔法を使ったら危ないだろう!」
アドルは声を潜めつつも語気を強め、倒れたシェザリューンを慌てて起こし、異常はないかと全身をくまなく検める。
その無事を確認すると、長く、大きな息が口からこぼれた。安心したせいか、力の抜けた肩が下がり、ついでに太い眉毛も下がる。
「……ごめん」
「や……師匠が魔法を使ってくれて助かった」
「僕も、助けてくれてありがとう」
申し訳なさそうに眉を下げたシェザリューンと、こちらは照れて眉毛の寄ったアドルが見つめ合う。師弟の間にぽやぽやとした、温かい何かが流れているような、気がしないでもない。
そんな二人に、残る見張りを倒したシーリスがぬるい笑顔を向け、しかしその顔は安心した風なものに変わっていた。
音を聞きつけたからか、それとも予定どおりの行動なのか。幾人か集まってきた隊員たちに、シーリスが指示を出す。
「見張りはもういないんだな。よし、お前たちはこの倉庫を、お前たちは屋敷と倉庫の間を固めろ。お前は外に待機してる奴と一緒に、これを持って領主様に仕える魔法使い、リディウスのところに行け。そうしたら内勤部隊と魔法使いをこの屋敷に回してくれる」
シーリスが一人の隊員に渡した手紙は、あらかじめ用意していた物のようだ。みなが駆けつけてから、屋敷へ突入するのだろう。
「ねえ、シーリス。ここにある魔力物、僕が捌いてて、いいかな?」
魔力布に包まれているとはいえ、このままでは布の効果の効きにくい魔獣が、この街に向かってやって来る。実際、外勤部隊は今、農村を拠点に布蜘蛛を抑えている真っ最中だ。
シェザリューンのありがたい提案に、元外勤部隊の小隊長は「ぜひ頼む」と横から頭を下げた。
「見張りが多かったからかな? 倉庫には魔道具が使われてないね」
「それもあるだろうけど、レノヴァの職人を信用してないんだと思うぞ」
小首をかしげたシェザリューンに、シーリスは「どっちが信用できないんだか」と鼻を鳴らす。
大きな商家は泥棒に狙われやすい。防犯用の魔道具に携わった職人に、金を積む輩もいる。今回シェザリューンが、この屋敷の図面を入手した先だって大工だ。まあ、うろんな輩とレノヴァ屈指の豪商では、その信用度は雲泥の差だろうが。
裏門だけでなく倉庫にも魔道具を施せば、その情報を得た泥棒が、きっとうまく盗めるだろうと忍びこむ。逆に、裏門の情報しか得られなければ、他にも魔道具があるだろうと警戒して、泥棒は二の足を踏む。
ダージェの商家はそう考えたのかもしれない。彼らはうしろ暗い企ての真っ最中だったのだ。泥棒などに邪魔されるわけにはいかなかっただろう。
内勤部隊の小隊長の説明に、アドルの太い眉毛は下がった。
なんだか街中は複雑だ。やはり内勤部隊ではなく、外勤部隊に配属されたのは幸運だった。と、肉体派な元警備隊員はしみじみ思った。
「だが……鍵がかかってるぞ」
「見張りの人が持ってないかな?」
なるほど、とアドルが倒れている男へ向かおうとすると、ふふん、とシーリスが笑う。
「こんなの簡単さ」
どこから取りだしたのか。彼の手には針金のような物が握られている。腰に下げていた小さな魔光灯で照らすと、カチャカチャと鍵穴をいじりだした。
「よし、開いたぞ」
その顔は、なんだか得意満面だ。
豪商の三男坊は、いつもこうして実家から酒を拝借しているのか。師匠もそんな弟を褒めているが、良いのだろうか。まあ、今はいいのか。
首をひねりつつ、アドルはゆっくり戸を開ける。魔光灯の光が外に漏れないよう、シーリスが注意深く中を照らす。
中には、魔力布に包まれた荷が、ところ狭しと積まれていた。
――それから。
ダージェの商家の倉庫で、アドルは手のひらに魔石を乗せ、迫力顔になって指をぶるぶる震わせていた。
これは、山のような魔力物を前にして、シェザリューンが「アドルも手伝って」と言ったからだ。もちろん魔法使いの弟子として、アドルも力になりたいと心から思う。けれども。
「師匠、俺の腕じゃ失敗するかもしれないぞ?」
「大丈夫だよ。たくさんあるし、使い物にならなくなったとしても、魔獣は呼び寄せなくなるんだから」
いまひとつ、弟子を勇気づけているのか、首をかしげたくなる言葉だ。ともかく、アドルも魔力物を捌くことになった。
魔石には土魔法だ。呪文をつづり終え、魔力の塊が現れると、これをそのまま魔石へ送る。
「ぁ」
「おおぅ!?」
「シッ!」
シェザリューンの口が丸く開き、アドルの手のひらの魔石は砕け、シーリスは唇の前に人差し指を立てた。
ちなみに、今回は魔法語の『土』と『風』を間違えている。
しばらくすると、隊員の一人がやって来た。ついに突入するようだ。うなずいたシーリスが倉庫を出る。
「アドル、シェザ兄を頼んだぞ」
「ああ、お前も気をつけろよ」
アドルは愛用の剣を握り、門番よろしく戸口に立った。
屋敷からは金属の音、何かが鈍くぶつかるような音。隊員だろうか、怒鳴り声。駆ける足音も聞こえてくる。
倉庫の周りも騒がしくなった。おそらく企てが露見したので、せめて魔力布を取って魔獣を呼び寄せてやろうと、内勤部隊をふり切った者がやって来たのだろう。
そうはさせないと、一人、二人、アドルは戸口で踏んばりながら倒していく。そうこうしているうち、再びシーリスが駆けつけた。
この騒動が治まると、次はリディウスたち魔法使いの番だ。もちろん、魔力物を捌くためである。
倉庫から庭へと場所を変え、魔法使いが腰を降ろして捌いていく。ここに集められた者たちは、緑か赤の魔法使いだろう。みな、素晴らしい速さだ。それでも師匠が一番だと、アドルは自慢げだ。
これだけ優秀な魔法使いが集まれば、もう弟子の出番はない。アドルは師匠に水を飲ませ、他の魔法使いたちに夜食を運び、師匠の口にもせっせと食べ物を運んでいた。
*
「みな、ご苦労だった。これでもう、レノヴァは安全だ!」
空が薄く、青く、明るくなり始めた頃。領主様に仕える魔法使いとして、リディウスが高らかに宣言した。
これで本当に終わりだ。いや、ダージェの領主をどうするのか、まだやるべき事は残っている。けれどそれは領主様の仕事。
ホゥッと息をついたアドルは、しかしうっすらとクマの浮いた白い顔を、心配になってのぞきこむ。
「師匠、大丈夫か? 疲れただろう」
「ん……大丈夫」
途端、とろんとまぶたが下がり、ゆらりと揺れたシェザリューンの体を、弟子は慌てて抱き起こした。
「師匠……やっぱり無理してたのか。他にも魔法使いはいるんだ。体が弱いのは魔力が多いせいなんだから、休んだって誰も文句なんか言わないだろう?」
「ん?」
今度はシェザリューンのまぶたが、ぱっちりと開く。
「魔力が多いって、代償のこと?」
「あ、あぁ……」
青い瞳に見つめられ、アドルはバツが悪そうに口をつぐんだ。
以前、この話をしたとき、師匠はほっそりとした手を擦りながら、ふて腐れたような顔をしていた。おそらく聞いてほしくないのだろうと、今までは黙っていたのだが。
やはりアドルも疲れているのだろうか。唇を尖らせながら、今も手を擦っているシェザリューンに謝らなければと思ったとき。
「僕の代償はね、日焼けしないってことなんだ」
――は?
アドルの口が、ポカンと開いた。
日焼けしない、とは、日焼けしない、いや、太陽の下にあっても白いまま、ということだろうか。
そういえば、と思う。ここ一月の検問で、アドルはこんがりと焼けてこげ茶色になったのに、シェザリューンはまったく白いままだった。
もう一つ、そういえば、と思いだす。肌を白くしたいと言って禁薬を望む娘が来店した際、羨ましそうな目を向けられた師匠の口は、客の前でありながらちょっぴり尖っていた。
あれは代償に触れられたことで、気分を害したのか。日焼けできない師匠なら、小麦色への憧れもあるのかもしれない。
つまり何だろうか。魔力が多いことの代償は、日焼けしない、であって、師匠の体が弱いのは、いや、弱そうに見えるだけで、弱いとは聞いていない。日頃ちっとも動かないのは……単に『ぐうたら』だからか。体を動かすのがものすごく苦手なのは……だた苦手なだけか。よく寝るのも……ただの趣味か。
つまり、何だ。アドルはうっすらと明るくなってきた天を仰ぐ。
――師匠は元気な『ぐうたら』なのか。
そう思えば悪くない。体が弱いより、ずっと良いと思えた。つい呆気に取られてしまったアドルだが、気を取り直し、腕の中の師匠を見る。
もう寝ていた。やはり寝るのは趣味か。いや、今日は徹夜したから当然か。
アドルはシェザリューンを背負って家路に着いた。
今回は椅子車を使えなかった。ぜひ改良しなければ。師匠も元気なぐうたらなら、椅子車に乗せてもっと外へ連れだそう。明日、いや、もう今日はレノヴァ祭だ。夜になったら広場の魔光灯を見に行くのも良いかもしれない。
がんばった師匠を今日はゆっくり寝かせ、起きるのは夕方辺りだろうか。それから二人でいつもより豪勢な夕食をとる。もちろん晩餐は魔獣肉の……。
「おおぅ!?」
ここでアドルは、ものすごく重大なことに気がついた。この一月あまり、いろいろな出来事があったせいか、魔獣肉の予約をすっかり忘れていたのだ。
「んぅ……」
背中のシェザリューンがもぞもぞと動く。思わず発した奇声に起きてしまったらしい。
アドルは口をギュッとつぐみ、なんとなく歩みも忍ばせた。背中を窺うと、聞こえてくるのは、すぴすぴとした心地よさそうな寝息。やはり寝るのが早い。
小さく笑ったアドルはそっとつぶやく。
「師匠。ふつつかな弟子だが、これからもよろしく頼む」
本編完結、このあと番外編『魔法屋とレノヴァ祭』があります。




