1話:game start
「お兄ちゃん、大好きだよ!!」
―――眠い。
電気を消したはずの陰鬱な部屋がほんのりと明るくなった事が、朝の到来によるものだと気付くのに、暫くの間を要した。
閉めきったカーテンの隙間から陽の光が薄暗い六畳間に差し込み、陰気な部屋に少しずつ色をつけていく。
どこにだって朝は来る。湯上 悠人は徹夜をしたお陰で、老人の様に窪んだ目を擦る。そして、あくびと共に朝の到来をゆっくりと噛み締めた。
「ふぁー、お兄ちゃんは眠いから少し寝るよ。またね~ヒナちゃん」
そう言って暗い部屋の中、ただ一つ光っているPCの画面に照らされる少年の顔は、犯罪に近い何かを連想させる気味の悪さだった。
長い間、自室に籠りきりだったせいか、体内時計はすっかり狂ってしまい、すっかり夜型になってしまった。こういうのを世間一般では“オタク”と言って、避けられている事も知っているし、自分もその仲間だと十分理解している。
今日は6月23日。月曜日。県立高校の二年に籍を置いている俺は、普通だったら今日は登校しなければならない日だ。けれど俺は行かない。
最初はただ、些細なことがきっかけで人間関係が上手くいかなくなり、単純に少し疲れただけだった。本当に最初は暫くゆっくりしようと思っただけだった。
元々、ゲームが好きでネトゲをしていた俺は息抜きとして、ゲームをしてささやかな休暇を過ごそうと思った。
―――くだらねぇ。
三日あれば、元々好きだったネトゲにどっぷり浸かる生活になるのには充分だった。予定していた登校日もどうでもよくなり、気が付くと学校から手紙や電話、メールが来るようになった。親も最初のうちは学校へ行くように怒鳴り散らし、最後には泣きながら頭まで下げたが、それでも尚、引き籠り続けた俺を見て心配する気持ちの方が強くなったのか、それからはなにも言わず、毎日ご飯を作ってくれている。
親に対し悪く思う気持ちもあるが、正直、それさえもどうでも良かった。次第に学校からの手紙やら電話やらの数は減っていき、二週間に一度の学校行事を報せる手紙しか来なくなった。高1の三学期だった。
大きく一回伸びをして、ベッドに背中を預ける様に倒れこむと、溜まっていた疲れが一気に染み出すようにとれていく。徹夜でゲームをしていた者には、ベッドの上で起きていることなど不可能に近かった。
ベッドの横に貼ってある水着を着て、夏の太陽を照り返す金色の砂浜で、楽しそうに笑っている女の子が描かれたポーターに向かってあくびをしながら、虚ろなお休みの挨拶を告げると、俺は泥の様に眠りについた。
俺、湯上 悠人は二次元の女の子が好きである。愛していると言っっても過言ではない。理由は色々あるが、一番の理由は多分、生き生きとしているからだろう。しっかりとした気持ちや意思を持って生きている彼女達を見ていると、可愛いと思うと同時に尊敬をしてしまう。
リアルだと女子高生の大体は自分が気付かない内に周りに流され、自分の気持ちを騙し、時として悲劇のヒロインぶる。俺はそれを見ていて堪えられない。あの時だってそうだった。
だから俺は現実から目をそらし続けた。
そして、今日俺は、午後5時にネットで今、一番注目を浴びている“MMORPG”を誰よりも早くやる為に、午前5時30分現在、睡眠をとる事にした。
俺が初めてその記事を読んだのは、2週間前のことだった。 俺は、記事を読んでいる途中、自分の小指が画面の向こうから伸びて来る赤い糸で結ばれていく様な気がして、PCの画面を食い入る様にして記事を片っ端から読んだ。
そのゲームの名前は、「レジェンダリー・キュート・ファンタジー」通称"LC"
随分と頭の悪い名前に聞こえるが、このゲームの最大の特徴はなんといっても、ザコいmobモンスターまでもがとても可愛い女の子という所なのだ。当然だが、プレイヤー以外は全員女の子。まさに桃源郷。俺の天国。
それから2週間、俺の頭はLCの事でいっぱいだった。
そして今日、遂に“LC”が正式にサービスを開始する日が来た。あまりの興奮に眠れなかった俺は、こうして朝までギャルゲー「妹が俺の嫁!?ドキドキハラハラ四畳間生活」で、ヒナちゃんと一緒にお喋りを楽しむ事にしたのだ。
―――青い。
久しぶりに変な夢を見た。海の中を、俺はゆっくりと海底へと沈んでいく。上を見上げれば差し込んだ光が織りなす見事なダンス目に映る。ここのところ暫く、外出をしていなかったせいか、海の底から見上げる陽の光が眩しく、目を刺すようだ。
海中は静寂で波の音一つ聞こえなく、熱くも冷たくもない。不思議な感覚だ。まるで宇宙に居るようになにも感じない。
ふと、自分の隣を見ると同じ年齢くらいの少女がいることに気付く。背中までかかりそうな綺麗な蒼い髪の毛が、海藻のように上に向かって静かに揺れている。長い髪の間から時折見える顔は、何かを諦めたような何処か物悲しい表情をしていた。
しかし、そんな彼女は静かな海中と光が作り出したカーテンレースのような模様によって引き立てられ、その光景は有名な画家が描いたような、「美」の究極のみたいに、とても幻想的だ。
この時、俺は自分の心の中にある変化が起こっていることに気づいた。
胸が張り裂けそうなくらいに痛み、鼓動が加速していく。耳の奥で、脈が鈍い音を発てながら激しく打ち始める。この初めて経験した事全てに、一々俺の頭は大きく動揺した。
この動揺は知っている。しかしそれは自分とは無関係だと思っていたものだ。
俺は隣にいる、会ったことなど一度も無い奴に一目惚れをしのだ。
こんな夢を見るなんてどうかしていると思っても、あの時の自分の心臓は、確かに潰されるように痛くなっていた。
海の様に透き通った目は虚ろで、何処か遠い所を見つめている様だった。小さいのに触るととても柔らかそうな唇。細く、陶器の様にツヤのある手足。コンパクトな胸のつくりだす緩やかな曲線。
その全てにドキドキした。もっと近づきたい。話したい。そう強く思った。
淡いオレンジ色の光に幻想は掻き消されていく。夕日の穏やかな光に起こされると、目の前にはいつもと変わらない、空虚な現実があった。
俺はここから出られない。この白い壁で囲まれた、狭い現実から出られない程までに、俺は弱くなってしまった。
時計を見ると長針が4時30分をまわった所だった。俺は再びゲームに思いを馳せてPCの画面と向き合う。
今日、初めて俺は恋をした。夢の中の女の子に一目惚れをしたのだ。そして今日、俺はそいつとそっくりな、蒼い髪の女の子をPC画面の中で見た。
マウスを動かす。
「battle start」
海の様に透き通った綺麗な二つの目が俺を、画面の向こう側から睨んでくる。
チュートリアルは止まる様子もなく、更に進んでいく。
そしてガイドを務めるNPCは笑顔で、
「まずは攻撃してみよう!」そう言った。
初期装備である、ダガーを片手にした俺は考える。目の前にいる、夢で見たのとそっくりなmobを倒すかどうかを。




