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独短編

・・・・(点線)

作者:

初めまして。



「出席番号28番、瞳、(ひとみ) 瞠目(どうもく)です。読書が好きです。えと、以上です。」

 四月。クラス替えもそこそこに皆の前で自己紹介。ちょっとどもってしまったけれど、なんとか終えた自己紹介は、私をクラスの輪から外すには至らなかった。それは瞠目というちょっと珍しい名前でだって同じことだったようで、九月となった今ではクラスの皆にも打ち解けて平凡な毎日を過ごしている――はずだった。




 数日前から視線を感じるようになった。主に首すじの辺りだろうか。突き刺さるような視線を、日に三度から五度くらい感じるようになってしまった。今までは、学校でこんなに睨みつけられるようなことは、なかったのに。

 不幸か不幸か(不幸にも)一番前の席を割り当てられた私には、その視線の主が誰なのか、さっぱり見当がつかない。クラス委員の海路さんかもしれないし、あるいは図書委員の甲君?吹浦君の可能性だって捨てがたい。関節君、妻崎さん、朽元君――これじゃクラスメイトの名前を列挙しているだけだ。

 無限の可能性が残されていて、まったく見当もつかない。

 無限の可能性とはそれ即ちイコールで、完全な不安定状態をあらわしている。もはやそれは不安定状態なんかですらなく、無安定状態である。バランスを取るのが難しいとか、そういうことではなく、バランスを取るべき状態から逸脱してしまっている。崩れ去ってしまっている。それほどに、可能性の幅が広いということは、選択肢が与えられているということは残酷な事なのだと、ここに私の考えを明記しておこう。

 可能性の幅が広いということは――可能性の幅が広すぎるということは、つまり言い訳が効かないということなのだ。私が、この瞠目という珍しい名前でからかわれるなんてこととは比べるべくもない。私が選んだ道なのだから。誰かが選んだわけではなく、選択の余地が無かったわけでもない。私が選んで、勝手に失敗したのだから、私以外、誰を責めることだってかなわない。自由だということは個々が責任を負うということだと、私はわかっている。

 今だってそうだ。

 私は誰が私のことを睨んでいるのかなんて、さっぱり見当もつかない。もし誰かを疑えば、その人からも睨まれることになってしまうやもしれないのだ。敵が増えて、その敵は最初の誰かの隠れ蓑にさえなるだろう。

 もっともっとわからなくなる。

 限られた選択肢だけを切り取って見ずに、その全容を見通した場合の人生を見てみてもそれは瞭然だろう。誰にも嫌われない人間なんて存在しないし――勿論誰からも好かれない人間だって存在しない。しかしやはり、誰かに好かれるということは、誰かに嫌われるということとほとんど同義であり、好意が嫌意を覆すかと言えばそんなことはなくて、どんどんと人に好かれ、どんどんと人に嫌われていく。

 それが人生で、それが無限の選択肢の結果なのだ。

 しかし勿論、無限の選択肢が、見境なく、個々を攻撃してくるかと言えばそうではなく――私が嫌いだと、この考えは私にとって不都合だというその考えが結局は真理をついているようで、その無限の選択肢はやっぱり、無限の選択肢でしかなく、嫌われ、好かれるのは個々の裁量次第なのだ。無限の選択肢に強制性の様なものがあったのでは、それは無限の選択肢たり得ないのだから。

 だから私は動けないでいる。どうせ嫌われるからとやけっぱちの行動に出られないでいる。

 勿論授業中に視線を受けた私が徐に振り返ってその視線の正体を突き止めようとしたところで――最前列に座る私なんかが振り返った時点で、多くのクラスメイト達が私に目線を向けるだろうから、この方法は実際問題、正攻法と呼ぶことはできないが――それだけで私の事を嫌う人間なんて、いくら思春期の学生とはいってもそうそういないだろう。だからといって、私はそんな大胆な(?)行動に出ることはできない。危険はないとわかっていても臆してしまうバンジージャンプのようなもの、とでも言えばいいのか。誰かに嫌われる――はないにしても、不審がられるなんてことは往々にしてあるだろう。

 不審がるというのは、意思の顕現である。その人間から私に向けられた意思。いくらそれが好意にも嫌意にも達していないそれであったとしても、無限の選択肢のなかにあるそれは、未来につながる可能性へと変貌することは想像に難くない。

 頑なに、難くない。

 好意の裏返しは憎悪ではなく無関心である。と、そんなことを言った人間が昔いたらしい。それは捉え方によっては言い得て妙である。普通に考える行為の裏側とは憎悪や悪意であるというのに、好意の反対が無関心ときた。その言葉に則って考えてみれば、振り返ってみれば、実は私たちは、特に男子は、その言葉を真理として、つまりは深層心理の内側に、すでに持っているのではないかとも感じさせられる。だってそれは、好きな女の子を虐めたくなるという小学生男児の行動原理にぴったりと一致するからだ。逆に大人になってしまえば、そんな心理は失われていくのだろうけれど。うちのお父さんみたいに。

 無視されるよりは、嫌われていた方が、虐げられていた方がマシだという寂しがりな人間を捉えた言葉として、だからその言葉は、この現代にまで受け継がれているのだろう。

 そもそも受け継がれる言葉というのはどれもがどれも、賛同者が付き従っているものである。賛同者がいるからこそ、後世に伝えられ、私たちの知るところとなる。ゲーテ然り…いや、パッとはでないけれど。

 しかし私はこの言葉に――好意の裏返しは憎悪ではなく無関心である。というこの言葉に、一石を投じたいのである。反論たる一席をぶつために、私はこの言葉をお台に挙げたのだから。お題に、でも話題に、でもそれは同じことだが。

 勿論私のこの反対するというその立場からだけで、すでに私の意見を大方見抜いた人間だって相当数いるかとは思うが、多分その通りであり、間違いがないだろう。場違いではあるかもしれないが。

 好意の裏返しは、無関心ではなく、憎悪である。と、だから私はそう言いたいのだ。

 無論好かれることに問題は無いはずである。それは私も、言い伝えられてきたそれに賛成する。しかし、さっきは好意は嫌意を産むだなんて言ったけれどそれは思春期の女子高生の戯れなのであった――なんてことでは勿論なく、私が賛同しているのは純粋な、理想的な、好意のみを産む行為であって、それは好意に絶対的に付きまとう謙意を否定するにはまったく及ばない。

 私の言葉で言えば、最上のものであるが、それと同時に、絶対に最悪のものを産むものが好意なのである――と、こんなことを言ってしまっては、好意が悪いもののように――実用化されたとしてもやはり危険を孕む化学兵器のように聞こえてしまうかもしれないが、それとは少し違う。

 私が憎むべき、最悪のそれとして認識しているのは、好意に伴った嫌意では――ないとは言えないけれど、積極的に声をあげたいのは、それ単体で発生し、存在してしまう嫌意である。その嫌意は本当に、ほんの些細な事から始まってしまうものである。例えば鉛筆を落としたとか、図書室で本を借りたこととか、そんな、やっている側からすればなんの悪意も無くやっていることすらも、誰かの嫌意を発生させる引き金となってしまうかもというのだから身震いする。だからやっぱり私は、むやみやたらに行動するべきではない。

 授業中に振り向くだなんて行為をするのはやはり良くないことである。少なくともよくあることではないだろう。

 なにもしないことで得られる無関心、それこそが無限の可能性が私たちにくれた、レイズでもコールでも、さらにはフォールドですらない選択肢――時間稼ぎである。

 勿論言うまでもなく、人生は、時間は有限である。その時間を消費して無を勝ち取るなどというのはあまり利口な選択とは言えない…と、かの言葉を信じる者は言うのだろうけれど、私は違う。憎悪もされず、好意も抱かれないというその無関心こそが、この世界にとって、普通だと言えるのだから。だれだって自分のことは気になるだろう。だがそれは同時に、自分のこと以外は気にも留めていないという悲しいまでの事実を言っているのだ。周囲のことなんか、気にしちゃいない。だから私は周囲の人間の周囲に紛れることで、授業中は真面目に、内容によってはふざけて、クラスの大多数に合わせて、昼休みには一緒に弁当を食べて、放課後には部活に邁進する。

 以上の平凡が普通で、それこそが、異常の無い、無関心を勝ち取るための手段に他ならないのだから。




 私に突き刺さる視線が強くなる。

 実際問題痛みを感じるわけではまったくないけれど、視線の刺さる首筋にヒリヒリとした感覚が立ち起こる。光を当てられるとその部分が温かく感じられるような、そんな錯覚みたいなものだ。

 そんなことをするべきではないのに、つい手が首すじに伸びてしまう。視線を感じた部位を触って、少し摩ってから、自分のしてしまったことに慄く。今の、その行為こそが、私の最も妥協して臨む無関心を遠ざけることに気付いたからだ。

 誰だって、自分が見ている部位を不意に隠されたら不審に思うだろう。不審とまではいかなくとも、違和感は感じるに違いない。今はまだ一度だが、この授業中の残り時間――三十分ほどか、の間、この視線突き刺さる首筋を、そうと気取らせないようにしながら周囲で居続けることが私にできるとは、到底思えなかった。

 口の中に酸い感覚が広がる。頭の中がだんだんと白くなっていき、意識が遠のく。頭に血が上る。体が火照り、足が痺れてくる――だとしても周囲に不審がられては駄目だ、頭が痛い、手先が震える。シャーペンを落としてしまった。カチャリと教室に乾いた音が響き、一瞬のうちに、一瞬だけ、私と、私が落としたシャーペンに視線が集まる。転がって行ったシャーペンは数十センチ先にまで転がって行って、歩を止めた。


 突き刺さっていた視線が強くなる感覚。


 きき――き、き気持ち悪い。


 すぐに拾わないと、シャーペンを拾って、すぐに何もなかったように授業を受けないと、でないと、好かれてしまう、嫌われてしまう。

 ガガ、とリノリウムの床と椅子の足先とがこすれ合う音、と同時にまた一瞬だけ集まる視線。今度はさっきよりも多くの視線。気持ち悪い。脈打つ心臓を左手でグイと押しとどめながら、シャーペンに手を伸ばす。早く、早く取らないと、と必死で伸ばす手は虚しく空を掻く。もっと動かなければ届かないというの。

 これ以上動けば、確実に違和感以上の何かをクラスの人間に与えてしまう、いやそれどころか、不審がられることだって十分に考えられる。好かれること、嫌われることだって。

 そんなことを考える事だって厳しくなってきた頭に一瞬の視線と、声とが映し出される。


「先生、瞳さんの気分が悪いようなので、保健室に連れていっても良いですか?」




「ありがとね、瞭。」

「お礼には及ばないよ、ドーちゃん。」

 保健室の真っ白なベッドの上、私はクラスの保健委員である瞭――「一目(ひとめ) (りょう)」にお礼の言葉を口にした。


 私のクラスの出席番号29番、一目瞭には、小学校の頃から、ずっとお世話になりっぱなしだ。向こうも私のことを「ドーちゃん」と呼んでくれて、私が心を許せる唯一といっても差支えない人物である。

 あのまま授業を受け続けていたら、明らかに異常な周囲としてクラスの人間から好かれ、嫌われるやも知れなかったのだ。日常の周囲であるところの保健委員――瞭に連れられて、連れ立って教室を後にしたことは、最良とは言わないまでも、まだましな結果であったことには疑いの余地が無い。どんなことでもそつなくこなす瞭の裁量には、舌を巻くばかりである。


「今日はどうしたの?ドーちゃん。顔、真っ赤だったよ?」


 目を閉じて布団に体を預けていると、瞭がそんな風に聞いてくる。

 保健室内の視線を確認してから、瞭に事情を説明した。クラスメイトの睨むような視線を受けているだなんて、絶対の秘密というわけではないけれど、あまり聞かれたい話ではないからだ。


「視線、ねぇ…。」


 保健室に備え付けられているパイプ椅子に腰を下ろした瞭は顎に手を当て、目を閉じ、思案の表情を浮かべる。少しの沈黙のあと、何かに気付いたようにベッドに手を突いた瞭の声には少し怒気が混じっていた。


「というか、視線?……ドーちゃん、もう周りの視線は気にしないでって言ったよね?約束したじゃん!」

「ご、ごめん――でも、それも私っていうか、いや、そんな前向きなものじゃないけれど、昔っからの癖で、そんな簡単に止められなくって。」


 普段こんな強い言葉を当てられたら右も左もわからなくなるほど動揺するであろう私だけれど、瞭の前でだけはまだ自然体でいることができた。誤解なく私を受け止めてくれる、私の視点に立ってくれる、瞭だけだ。私のことを本当にわかってくれている、瞭だけだ。だからドーちゃんなんて呼称を許している、というのもある。


「視線を感じちゃうのは、まぁ仕方ないとしても、ドーちゃんもドーちゃんだよ。周りの視線なんて気にしなくていいって、前にも言ったはずだよね?他の皆もそうだけど、ドーちゃんは特に、だよね。気にし過ぎるのが一番いけないんだから。」




「あなたの視点に立って考えます。」


 私達の通う学校――楽園学園の現生徒会長である一目 瞭。その第一歩となる立候補演説は終始これを基盤として話された。私からすれば生徒会長だなんていう大仰な役職には、そんな注目される立場に就くだなんてのは、例え全校生徒から頼まれたところで全くもって吝かな限りなのだけれど。だってそれは周囲からの逸脱で――まぁ、瞭みたいな人はそんなことを考えたりしないのだろう。


「昨今の生徒会の皆さん、一般生徒の皆さんには、思いがない、希望がない、などとよく言われてきました。だからこそ先代の生徒会長は、皆さんが学園の不満を吐露しやすいように投票箱を設け、生徒会室で話を聞くなどの措置を取ってきました。

「ですが、私はこう言いたいのです。

「言われなければ、生徒の不満にすら気付けないのかと!自ら話を聞いて、他人の視点に立って物事を判別出来ないのかと!本来能動的に動くべきはずの生徒会が、受動的になっているのではないかと!」


 そんな瞭の演説が心に響いたのか。それとも毎週強制的に行われていた、学校への不満についてのアンケートとかに嫌気がさしていたのか。ほとんどの生徒の票は瞭の元に集まり、見事、瞭が楽園学園の生徒会長に就任したのであった。しかし、そんな自分は何もしなくても良い、勝手にやってくれている、面倒ごとには巻き込まれたくない、とでも言いたげな生徒たちの票田は、本来は更生されるべきなのであろう。再構成されるべきなのであろう。教師陣だって、生徒会長に立候補した瞭よりも、そうではない一般生徒に能動的に動いて欲しいと思っていたはずだ。

 だけどそんな瞭の、言うなれば独裁国家のような生徒会のシステムは、ここ数カ月の活動で目を瞠る出来だった。

 ここにゴミ箱が無いのはちょっと不便だなぁと薄々思っていた場所にはことごとく新たにゴミ箱が設置され、もう少し見やすい字体で書かれていればいいのにと思っていた生徒会便りも読みやすいようにと字体が変更された。些細な事のように思うかもしれないけれど、私みたいな関心の無い生徒にとっては、今まで何をやっていたのかが全く不明だった生徒会が一気に働きだしたように見えて、そして私にはそれが瞭のおかげであるということを確信していた。


 人の視点に立つ、という力。


 それはそれ単体で立派な力を発揮する。発揮している。


 瞭は他人の視点に(・・・・・・・・)立つことができる(・・・・・・・・)のだ。


 演説の時にも話題に挙げたが、瞭の言う他人の視点に立つというその言葉は決して比喩ではない。まさに文字通り。他人の視点に立つ、つまりそれは他人の視界を覗くということ。個人の世界を除くということ。所在なさげに立ちすくむ少女、部活終わりの疲れ切った男子部員達、彼ら彼女らの視点に立ってみれば何がしたくて、どう困っているかが一目でわかる。まさに一目瞭然である。

 それが瞭の面倒見の良いその性格に起因するものなのか、なんなのか、瞭自身もまだわかっていないようだった。だがその力が、いかに素晴らしく、生徒会長にふさわしく、皆に頼られ、クラスの人気者である瞭の瞭たる所以なのだろうということに理解が及ぶのに、あまり時間はかからなかった。

 ビクビクと他人の視線を怖がる根暗な私の力とは正反対の力だ。




「聞いてる?ドーちゃん?」


 瞭の声が少し強まり、自分が船を漕いでいたことに気付かされる。教室で緊張していたせいか、放射冷却的に一気に気が緩んでしまったのだろうか。


「あ、うん、聞いてるよ。」

「えー、なんか嘘っぽいんだけど。」

「ほんとだってば。」

「まぁ信じるけど。一応もう一回言うからちゃんと聞いてよ?」

「わかったわかった。」


 これも瞭の上手い所だ。責めるでもなく、褒めるでもなく、自分の行動を一段階割増しすることで、誰も傷つかない状況を作り出す。


「確かに、周りに気を使って配慮する心配りは大事な事だと思う。嫌われたりしたくないって思うのも自然なことだよ。でもドーちゃんのそれまでいくとやりすぎだよ。ドーちゃんがそんな些細なことに怯えている姿なんて、こっちも見たくない。なにより、ドーちゃんが傷つかないためにドーちゃんが傷ついてどうするの。」


 さっき言ったという話にしては、随分と力がこもっていた。さっきのは、呆けた私にちゃんと話を聞かせるための導入だったということだろうか。

 ギュ、と抱き付かれる。


「大丈夫だよ。この世界はそんなに、厳しくない。もう、大丈夫。怖がらなくていい。ドーちゃんが傷つく必要なんてない。私が――この一目 瞭がついてるんだかるぁ。」


 少し語尾の歪んだ喋り方に、瞭の目に浮かぶ涙が想起される。本当に、私の事を思ってくれているんだと実感して、無意識に涙がこぼれてきてしまう。


「ありがとう……ありがとね、瞭。」


   * * *


 傾いた日が、教室の中に差し込んでいる。瞳と一目とが所属するクラスの光景だ。

徐に、クラスの扉がガラリと引かれ、一人の男子生徒が姿を現した。彼の名前は「(ふく)(うら) (はぎ)」、このクラスの出席番号三十一番にあたる生徒である。

教室に入ってきた彼は後ろ手に扉を閉めた後、夕日だけがその内を照らす教室で、一人机に腰掛ける少女を同定し、声をかける。それはというのも、彼がこの場にやってきたのは、他ならぬ彼女に呼びつけられたからなのであった。


「用事ってなにかな、一目さん。」


  声をかけられた少女――楽園学園の生徒会長、一目 瞭は机から腰を離し、彼と対峙する。

 そして少し躊躇う素振りを見せつつも、彼女は口を開く。


「実は、ずっと前から、吹浦君の事が好きでした!つ、付き合ってください!」


 突然の告白に少し動揺した素振りを見せ、考え込むようにする彼であったが、十数秒の後に決心したように口から言葉を紡ぎだす。


「ごめん一目さん、僕、別に好きな人がいるんだ。」


 初めて女性を振るとはとても思えないほどに流暢な言葉の波はそれだけでは終わらなかった。


「僕は…その、最近瞳さんのことが気になってて……。」


 大方彼女が瞳と日頃からよく一緒にいるということから、彼女を彼と瞳との橋渡し係に据えようとでも思っていたのか、というそんな彼の発言は彼の左腕に突き刺されたカッターナイフによって即座に悲鳴へとシフトする。

 引き抜かれた刃からはポタポタと血が滴り、もうほとんどの生徒が後にしたであろう校舎に彼の悲鳴が響き渡る。決壊した彼の口に代わって、今度は彼女が、その口から言葉を紡ぎだした。


「やっぱり、あなただったのね。」


 それは語りかけでは、きっとなかったのだろう。扉は閉まっているとはいえ、いや、この場合だと閉まっているからこそ、教室の内側で彼の悲鳴は反響し、彼女の言葉は彼の耳には届かない。

 だからそれは、確認作業。

 独り言のようなものだったのだろう。


「クラス全員の視点に立ってみれば、ドーちゃんを見ているのが誰かなんて瞭然なのよ。

「好きだって? ドーちゃんのことが?

「ドーちゃんのこと、何も知らないくせに?ちゃんちゃらおかしいわ。

「整った顔だけで判断して、体目当てのクソ野郎が。あの服の下の痣の事だって、何も知らないくせに。

「あなたは一度だってドーちゃんの視点に立って考えたことがあったの? 無いでしょう。無いでしょう、無いでしょう! あるわけないのよ! あんただけじゃなく、皆、なんでドーちゃんの視点に立って考えることをしないの!? できないの!?

「ドーちゃんはあんなに苦しんでいた!

「あんなにも周りを気にして、怯えて生きている人間の気持ちが、お前にわかるか!

他人の視線を強制的に(・・・・・・・・・)()()()()()()()()――そんな力を持った人の気持ちが、持たざるをえなかった小学生の頃のドーちゃんの気持ちが! あんたにわかるってのかよ!

「私は、私はあんな視点、初めて立ったよ。

「こんな風に世界を見ている奴がいるだなんて、こんな可哀想な奴がいただなんて! 想像すらしてなかった!

「無視される方が嫌われるよりも好かれるよりも普通でそれこそが私の望むものなの、なんていうセリフを、小学生の口から聞いたことがあるって言うの!?

「あんたはドーちゃんのことを好きだって言ったけど――気になってる、だっけ?どっちでもいいわ。

「あんたのそのドーちゃんを舐めまわすような、そんな強い視線が全部、ドーちゃんを傷つけることになるってどうしてわからないの!?

「例え、あんたのその好きっていう気持ちが本物だったとしても、お父さんやお母さんからだって受けたことがなかったんだ……、好き、なんて気持ちを、素直に受け止められるわけないでしょ!?

「ドーちゃんは、睨まれている、としか感じ取っていなかったんだよ……。」


 悲鳴をあげた彼の口を決壊したと表現したが、同じように、彼女の口だって、決壊していた。

 彼女が思いの丈を叫び続けている間に、いつからか、彼の悲鳴は止んでいた。刃物を突きさされたとはいえ、左腕――決して急所というわけでもなく、使われたカッターという刃物にも、彼を死に至らしめる要素は含まれていなかった。


「何を……言って…?」


 血の滴る左腕を抑えながら、彼は彼女に疑問の言葉を投げかける。それも当然の事。いきなり、他人の視点に立つだの視線を感じ取るだのといった現象を比喩ではなく、実際に体現できている、などと言われてもにわかに信じられるわけがない。しかもいきなりこんな状況にあてられた今の彼には、まともに考える力はあまり残っているとは言い難いだろう。

 だからやっぱりそれは、彼女が自身に向けて放った言葉なのだ。

 自身を許すための確認作業。

 自信を得るための確認作業。


「ドーちゃんのことを理解してあげられるのは私だけなんだ! あんたみたいな奴が、ドーちゃんに近寄るな!」


 言って彼女は再び、彼に向って歩を進める。それは一歩一歩確実に彼の元へと向かうそれであったが、決して反応できないものではなかった。ましてや男子と女子である――だから彼は、逃げればよかった。一目散に逃げて警察にでも事情を説明すればよかったのだ。しかし彼の思考能力は先述の通り、ほとんど残っていなかった。

 勿論彼からすれば、それは正しい判断だったのだろう。人は誰だって、自分の判断が間違っていると思って行動を起こすわけがないからだ。だから彼はそれが正しいと思って――自分を刺したことを内密にしてやるから瞳との仲を取り持てとでも強請りたくて、その前提として、とりあえずはまぁ、くらいの気持ちで、彼女に相対した。彼は全く想像できなかったのだろう。カッターナイフを持っているとはいえ、一人の少女に自分が劣っているなどと。

 だから彼は向かってくる彼女に殴りかかり、蹴りかかった。それは彼にとって同じことだった――そしてそれは彼女にとっても、同じことだった。

 相手の視点に立つことができるということは、つまり相手がどこを見ているかがわかるということで、それは延いては、相手の思考を読むことだ。少なくとも、この状況においては。だから彼女にとっては彼の拳を避けることも、彼の蹴りを避けることも、等しく造作も無いことであった。

 勿論、普通に考えて、常識的に、いくら相手の視点に立つことができるとはいっても、素人相手とはいっても、その拳や蹴りを避けることは難しいはずだ。こんな状況に立つことが初めて(、、、)だというのであれば。


「っ!!」


 眼球にカッターナイフを突きつけられ、彼の息をのむ音が静かになった教室に響く。誰であろうと、少しズレた思考能力で考えていようとも当然、眼前に刃物を突き付けられては下手に動くことなどできないはずだ。そしてそれが自分に突きつけられないように図ることもまた、当然のことだった。


「ひ、一目、止め「あなたの視点はもういらない。ドーちゃんは、渡さない。」


   * * *


 翌日、いつもと同じように登校した私は、いつもと違うことに気が付いた。私のことを睨みつけていた視線が、パッタリとなくなっていたのである。


「どうした、吹浦は休みか? ……誰か何か聞いてるか?」という担任の言葉に何の気なしに背後を振り返ると(吹浦君は私の三つ後ろの席だ)、すぐ後ろの席に座る瞭と目が合う。

 どうしたの、と優し気な瞳を向けて聞いてくる瞭に「なんでもない」と返事をして前に向き直る。瞭の言う通り、考え過ぎだったのかもしれない。

 やっぱり私には、瞭がいないとだめみたいだ。



『断続』

断続します。

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