8.特訓②
『基礎トレーニング⑥水泳訓練』
ご飯を要求するために再びゴートの店へと戻ったオレ達。店ではお昼の営業時間が終わり、ゴート,ユーノ,リルの3人で後片付けの最中だった。今度はゴートが出迎えてくれた。
「なんだお前、村長のとこのマズマと遊んでんのか。フラフラじゃねーか、ったく何して遊んでんだ」
特訓だよ。それはもうフラフラどころの騒ぎじゃないよ。早くご飯ちょうだいよ。何でもいいから2匹分すぐ出してよ。
ゴートはニヤニヤといやらしい顔して笑っている。
「めしか? 生憎だったな。
残念ながら只今の時間を持ちまして当店は閉店致しました。またのご利用お待ちしております」
ええ!? そんなぁ! 腹ペコなんだよ。
「ちょっとお父さん。からかってないの。ちびちゃん困ってるじゃない。
でも、さっきお魚あげたのに、もうお腹空いちゃったの?」
ゴートは意地悪して話が通じないから、エプロン姿のリルに体を擦り付けることにした。
疲れた体を優しく撫で付けてくれるリルの手に癒される。隣のマズマ師匠もたまらずゴロゴロ言って気持ち良さそうに目を細めている。
「あらあら、二匹ともしょうがない子達ね。残り物だけどこれでいいんじゃないかしら」
そのまま生ゴミ用のごみ箱へ入れるのをやめて、ユーノが差し出した皿に飛び掛かった。残飯でもなんでもいい。お腹に入りさえすれば。
「ちゃんと手を洗っとけよリル。そいつら何してきたのか知らねーけど遊び回って汚れ放題だからな」
「はーい。
あれ、また出て行っちゃうの? 遅くなる前に帰ってくるのよ」
ありがとう! ご飯美味しかったよ。
再び満腹になったオレ達は少し休憩してから、村を流れる小川の前に移動した。
ひんやり心地好い水がさらさらと流れている。見ているだけでも涼しい。満腹感に睡眠欲が合わさって座りながらウトウトしてしまう。
マズマは船を漕いだ状態になっていたオレの背中を前足で押した。
[寝るな。腹も膨れたしエネルギー満タンだろ。
さぁ起きて、今から泳ぐぞ]
何ですと!
これは駄目だ。
泳ぐなんて無理だし嫌だよ。
逃げ出そうとしてジタバタもがいてみても、首根っこを捕まえられて川端に引き戻されてしまった。
この川は深さはそんなにないって聞いたことがある。人の大人の膝下くらいだったかな。でも川の底に届く足を持ち合わせてるねこなんてもちろんいない。100%溺れる自信がオレにはある。
[たぶん大丈夫だ。安心しろ。よく考えてみろ。犬だって泳げる。ねこだってやれば出来るさ。そう思わないか?]
思わないよ。どざえもんになっちゃうよ。
[心配症だな。俺の故郷のねこの半分くらいは泳げたぞ。やれば出来る。しかしやらないと出来ない。泳ごうとしなきゃいつまでも泳げないままだ。
ほら、いいから飛び込んでみろ]
体が冷えるの嫌いなの。いやいや。
首を振ってイヤイヤしていると、後ろからマズマに押されて川へと押し込まれてしまった。
もがっ!
ガボガボッ! ぶっはー、助けてー!
[うーん……。先ずは水に慣れることからが始めた方がいいかもしれないな]
オレは溺れそうになりながら、いや溺れながら必死に岸へ飛び戻って体を振るった。
寒いよ、ビチョビチョに濡れちゃった。体が重たいと思ったら毛が濡れてるからか。それに水もいっぱい飲んじゃった。苦しい、喉も痛いよ。
川の縁で震えていたら近寄ったマズマにまた川へと突き落とされた。その繰り返しが何度も何度も続いて、その度に何度も死ぬかと思ったし何回か綺麗なお花畑を見ることになってしまった。
これ、イジメじゃないよね!?
とうのマズマは真剣な師匠の顔してオレの成果というか、訓練状況を検討しているようだ。
[どうも泳ぎが苦手みたいだな。
苦しい気持ちは分かる。実は泳ぐのは俺もあまり得意じゃない。
よし、俺もせっかくだから練習するとするか。早く水に身体を馴染ませろよ。風邪引くぞ]
風邪引くとかそんな軽い被害じゃないよ、生死の境なんだけど。
……トラウマの出来上がりだった。
『基礎トレーニング⑦バランス感覚+マズマの過酷』
ヤバイよー、ヤバイよー。震えが止まらないよー。
マズマの家に行って、庭の焚き火の前で蹲った。体が冷えてしまって小刻みに震えてしょうがない。
二匹でぼんやり赤く燻りかけの炎の前に座って身体をじっくり暖めた。マズマの飼い主の村長さんは出掛けているのか不在のようだ。
ずぶ濡れの状態でやって来たねこ2匹を村長さんの家族達は訝しい目で眺めていたけれど。
気まずい視線を受けながらオレはマズマ師匠に耳を傾けていた。なぜ彼はこれ程いろんなことが出来て、どのねこより強くたくましいのかの不思議に思うから。
マズマ師匠は遠い過去を眺めるようにゆっくりした調子で語り始めた。
[俺の産まれた国では争いってのは日常の一部だった。ねこ同士の縄張り争いだけじゃない。人や魔物と絶えず戦争状態だった。チビやこの村のねこ達の暮らしとは全く違うだろ。酷いもんだぜ。
パパやママも俺を残していつの間にかいなくなっていたよ。だからって、じっと待ってるだけならすぐに死がやってくる。我が身を守り、生き抜く術がどうしても必要だった]
オレも師匠の産まれた遠い故郷を想った。この村が天国だと感じるくらいに壮絶だったんだろうな、と感じた。
[俺も最初はお前と同じ、ただのねこだったよ。最初から強い奴なんていやしねえ。ただ生きる為に、生き抜く為に必死だったよ]
マズマも最初から特別な能力を持っていた訳じゃなかったんだな。
過酷な境遇を生き抜いたオレの師匠は、丁寧に濡れた身体を舐めていた。慈しむように。
[俺にも師匠がいた。その師匠のねこが俺を鍛えてくれてな。厳しいし怒らせたら恐いねこだったが、今思えば親代わりだったんだな。やんちゃで生意気だった俺を精一杯育ててくれたよ。感謝してもしきれねえ。
だけど、そんな大切な俺の師匠も俺を残して死んじまった。俺を守ってな。
……悔しいよな。恩を返したくても俺はもう返せない]
故人ならぬ故ねこを偲び、空を見上げて眼を瞑ったマズマ。オレも隣で彼に倣う。
オレも、いつかマズマ師匠にきちんと恩返しすることが出来るだろうか。いや、絶対にしなきゃな。
マズマは目元を前足で擦った。こんな時にオレ達ねこも人間のように泣くことが出来たら少しは気分が晴れたりするのかな、と考えた。
[そうして師匠を失った俺はまた1匹になっちまった。俺の周りにはまだ仲間が数匹いたが、毎日毎日争いは絶えない。日を追う毎に俺の仲間の数は減っていったよ。
想像着くか?
来る日も来る日も追っ手が俺達の命を狙ってくる。俺も皆も奮闘して反撃したけど、追撃の手は執拗だ。
今日は昨日じゃれ合った仲間がいなくなった。明日は俺かもしれない。絶え間無いその繰り返しだった。
また生き延びた。明日はどうだろうかってな。ツラいなんて嘆いている余裕の無い、そんな毎日を過ごしていたよ]
焚き火の火は役目を終えて完全に燻ってしまっていた。オレ達の体は十分に乾ききっている。なのにオレは悪寒に震えて、萎縮して身体を強く丸めた。
マズマ師匠は話を続けた。その目は灰になって上がる煙を捉えていた。煙は何にもとらわれることなく空に上り消えていっていた。
[いつだったか、俺が死にかけていたある日のことだ。集団とはぐれちまってな。俺と特に親しくしていた二匹の三匹で死にかけの状況になっちまってた。
もう体はどうにも動かない。助けも来ないし、いつ全員がお陀仏になるのかも分からないような状況だった。
諦めていたよ。生きることに疲れていた。
しかし、偶然その場を通り掛かった初代村長の所属するグループに俺は拾われちまった。
夢も希望もねえし、死にかけるなんてことはもはや日常茶飯事だったから、死の間際なんて些末な事だった。やっと楽になれるとも考えたくらいだったんだが、そうはならなかった。初代村長達は俺を救った。俺はまた生き残っちまった。
助けられたのは俺一匹だけだった。俺だけ残してその場にいた二匹は逝っちまった。親しくて大切な仲間の骸を眺めて自問自答したよ。俺だけ残って何になる、てな]
薪の崩れる音を耳が拾った。遠くで鳥の羽ばたく音もした。
[初代村長達は優しかった。
それまで人間ってやつは、俺達の故郷では魔物と代わらない脅威の対象だったから、俺は村長達の優しさに最初は苦悩した。優しく扱われたことに疑心暗鬼だった。種族が違えば愛情は湧かないもんだなんて思っていたもんだよ。
でも村長達は俺にたっぷりと愛情を注いでくれた。変わらずに。
おかしいだろ? 俺は保護された後もずっと人間を忌み嫌い、避けてきたし村長達にも酷い攻撃をしたってのに、村長もその仲間の人間もみんな俺を庇って必死になって守り抜いてくれた。こんな俺みたいな手の掛かる魔物のようなねこなんざ、さっさと殺しちまえば村長達はラクも出来るし安全なのにな]
頷いてみたものの、それはオレには理解出来そうにない生活の中の話だった。オレは黙りながら続きを待った。
そして感情とは裏腹に、オレは少しだけ眠気を感じ始めてきた。
[何だよ、眠そうにすんなよな。
もう少しで話は終るから、最後まで聞いてくれ]
うん、ごめん。
マズマ師匠は脇のオレを優しく舐めつけた。
[いつか俺は初代村長達に親しみを覚えていた。それは久しぶりに信頼出来る感覚を持てた相手だったよ。
信頼出来るってよ、相手を信じてる、とかじゃねえ。解るか? いつ裏切られても見捨てられても構いやしねえ、そんな覚悟だ。
ま、村長達は俺をそうすることは決して無かったがよ]
オレだって、マズマ師匠を信頼してるよ。リルも、ゴートもユーノもだ。みんなオレの大好きな信頼出来る仲間だ。大切な存在だ。
[話が大分長くなっちまったな。すまねぇ。
よし、次の特訓始めるか]
オレ達は庭の焚き火跡から移動して村長さんの家の屋根の上に上がった。村長さんの家はこの村ではここだけ三階建てでとても大きな家屋だった。差し掛け屋根という少し複雑な屋根の形で小屋根もあったりする。
マズマ師匠は家のてっぺんまで上ると、オレを見下ろしながらニヤリと笑った。風にマズマの髭が揺れている。
[見てろ]
そう言いながら、三階の屋根平らな場所に降り立ったマズマ師匠。つるつる滑る棟の上でオレは出来るだけ安定感のある場所を見付けてそこにちょこんと座った。
見ていると、マズマはなんと一本足で立ち、縦横無尽に踊るように屋根の上で走り回っていった。
[ひゃっほぅ!]
マズマ師匠はご機嫌な様子でピョンピョンと複雑な構造の屋根全体を走り,踊り,跳ね回っていた。
なんだこれ、奇妙というか、珍妙というか。凄いの一言じゃないぞ。
サーカス団のねこみたいだ。
[大事なのは、しっかり体の軸を意識して捉えることだな。バランス感覚を養うには不安定な足場が丁度いい。2本足、出来たら1本足で体を支えれる様にするんだ。別に後ろ足じゃなくてもいいぞ]
おいおい、ねこが逆立ちして屋根を歩いてるよ。逆立ちかと思えば、1本足になってけんけんしてるよ。
サーカスってより忍のねこだ!
[最初は怖いかもしれない。落ちれば痛いしな。でもこれは遊びだと思ってやった方がいい。上達に雲泥の差がつく]
あまりにもマズマ師匠が楽しくさも愉快そうにしているから、オレも続いて屋根上で走り始めた。けれど、難しい。見てると随分簡単そうに思えるのに。
う、うわああぁぁぁ……!!
2階から転がり落ちたオレは落ち葉から顔を出した。枯れ葉のクッションが無かったらと思うとゾッとするよ。
見上げれば、師匠は煙突の上で何回か宙返りして、転がり落ちるボールのように何度もバク転を決めながら三階から降りてきた。流れるように地上に降り立つその姿にオレは、大道芸かよ、と呟かずにはいられない。
格好良過ぎるぞ、マズマ師匠!
[どうだ、決まったろ!]
ドヤ顔をした師匠にオレは頷いた。
そしてマズマ師匠はこれで満足するかと思いきや、また屋根へと上がるようだった。
[そんなところで惚けてないで上がるぞ]
鬼軍曹め、とオレは思った。
『基礎トレーニング⑧知識』
今日1日でどれだけ濃密な時間を過ごしたんだろう。オレ、心も体もクタクタだ。
[まだまだあるぞ。さあ、へこたれるな。
お次は知識の特訓をする。知識は裏切らない。忘れることはあっても覚えていればいつか使える知恵となる。非常に重要なものだ]
項垂れながらも、それにはオレも同感だった。
オレ達は村の学校に忍び込み、机の中に入っている教科書らしき本を前足で捲っていった。そこに何が書いてあるのかは文字が読めないからさっぱり分からなかった。
[正直に言えば、俺も人間語は読めん。ただし言葉は理解出来ているつもりだ。
しかし、どういう訳かお前はガキの癖して知識は豊富だし人間の会話も聞き分けているのだろう。大して生きてもいないのにな。
俺はそれを嫉妬してるし脅威にも感じてるよ]
そうなの?
恨めしそうな感じで師匠がオレを見つめた。
怖いよ師匠。そんなのオレにも分かんないよ。本当だよ。
[とりあえず本を開いてはみたが、あまり効果は無い。字が読めんからな]
だよね。マズマ、格好付けようとしたんだな。
絵が何となく解るくらいだからな。
二匹で一冊の教科書に目を這わせた。
これは何だろう、地図が載っているけど、社会の教科書かな。
[……この訓練はお前には間に合っているのかもな]
だよね。
[これからも人間の会話を良く聞き理解出来るように努めることが目下の訓練にしよう]
うーん……。でもオレ難しい話は流石に分かんないよ。
『基礎トレーニング⑨狩り』
陽は傾き掛けていた。学校を後にしたオレ達は揃って歩きながら、次なる訓練のために獲物を探していた。
[次は狩りの訓練だ 。
狩りは良い。俺達ねこの本能が爆発する基礎の基礎にして非常に重要なものだ。俺もお前も人と共に暮らし、生きる糧を無償で提供してるもらえる立場だが、狩りの出来ないねこはクズだ。何より目の前を走る鼠1匹捕り逃すなんてのは非常に情けない]
オレもそう思うから力強く頷いた。でも内心では鼠を捕まえることにあまり自信が無いけれど。
[狩りには集中力と想像力が重要な要素になるのは解るか?]
想像力?
オレは思いもよらない言葉に首を傾け左右に振った。
[俊敏なのは当然として、獲物を探す耳と鼻、五感をフルに使うんだ。
そして、いざ見付けたら最善のタイミングまで一切動かず気配を消す隠密さ。勝機と見た刹那の機敏さ。そのどれもに集中力を要する。
更に追い詰めた際には、目の前の獲物がどう動きどう対処しようとするかを予想し正確に対応しなきゃならない。
まぁこの場合、想像力を鍛えるには実践経験も積まないとこちらの反応の選択肢は狭まってしまうがな]
オレもマズマみたく、狩りの優秀な格好良い雄ねこになるのだ!
疲弊した身体に鞭打ちながら一匹、また一匹と獲物を狩っていった。
んん! どうしてだろう、なんか体が軽い気がするよ。それになんか気持ちいい。
[いいぞ。闘争本能を開花させろ。俺からは誰も逃げられない。逃してやるかって、そう思え]
オレを見て触発されたのか、地面を尻尾で打ち付けながら叱咤していたマズマ師匠も、本能が赴くままに動き始めていた。
あっ、それオレの獲物!
マズマ、横取りはやめてよ。