114.検査結果
「はい。じゃあこれで診察は終わりです。ボクちゃん頑張ったねぇ。皆さんもご苦労様でした」
「ありがとう先生」
「ありがとな。ランド、調子はどうだ?
起き上がって体動かしてみろよ」
オレは逃げるように診療台から降り立つと、ブルブルと身体を振るって前後に体を伸ばしてみた。
髭オヤジ先生に触診という名の地獄のマッサージをされる前は、身体を揺すったらずきんと鈍く痛んだし、頭の奥の方からの痛みも今は引いているようだ。
それに身体全体が火照ったように熱を帯びているのはどうしてだろう。マッサージで血行も良くなっているのかな。体を軽く感じるしとても動かしやすい。
本当に酷い目にあったけれど、その効果は鏑面だったみたいだ。これなら痛みを堪えた甲斐があったってもんだよな。
髭オヤジ先生は踊るように喜んで体を動かしているオレの様子に顔を綻ばせながら、先程の検査結果を検尿結果と併せて診断している。
「前よりもラクになったでしょお。頭の痛みをカバーするのに肩にも足腰にも余計な力を入れっ放しだったでしょお。全身劣化したゴムみたいに凝り固まってたから、解した今は以前よりも動き易くなってる筈だからねぇ」
〔本当だ。スゴい。ありがとう髭オヤジ先生〕
「いいのいいの」
「おいおい、ランドと先生が会話してるぜ」
「スゴーイ」
オレは髭オヤジ先生の足元へすり寄った。ゴツい毛むくじゃらの腕が伸びて、さっきまでのマッサージ中の手付きとは違った優しい触れ方でオレの身体を撫で付けてくれる。
「で先生、ランドは大丈夫なんだよな?」
「脳炎ですねぇ」
「の、のうえん?」
てっきりこれで治ったと思っていたガンクは驚き、髭オヤジ先生に聞き返す。
脳炎だって!?
それって、手術や入院が必要な重病なんじゃないの。
「ご安心下さい。まだ初期段階の軽度の状態でしたから治りますよぉ。
でもこの子変なモノ食べたりしていませんか?」
「変なモノ……。
そんな変なモノなんて最近は食べてない筈よ。でも前に虫とか魔物とか食べてたっていうかかじってたことがあったかな」
「ああ、森の中でランドが色々口に入れてたよな」
それ随分と前の話だよな。何ヵ月も昔のことだぞ。その頃は確かにムカデやクモとか、あ、野犬も少しだけ食べたりしたような……。あれがいけなかったのかな。
髭オヤジ先生はカルテに聞いた内容を書き加えていく。
「ふむふむ。虫や魔物、ね」
「お前らな。ちゃんとしたモノ食わせてやれよ」
「ランドが勝手に食ったんだよ」
アーネット隊長とガンク達が言い合いをしていると、髭オヤジ先生が割って入った。
「まぁまぁ。昔のことならそんなに気にしないでいいですよぉ。でもそこら変の虫なら余程は無害ですが、余り口には入れぬよぅ。
あと一つ、最近頭に強い衝撃を与えられるようなことはなかったです?」
「……あっ!」
「ガンク、何かあったのね?」
オレもそれは思い当たるぞ。つい最近のことだ。
きっとガンクもオレが暴走した時のことを思い描いているに違いない。
バカ野郎のソルノにオレの魂の一部に潜んでいた前世のオレを呼び出されたのだ。頭の中の深い記憶の片隅から強引に引っ張り上げられたら頭や脳にダメージ受けるよな。
クソ、じゃあソルノのせいか。
髭オヤジ先生は詳しい話を控えたガンクに配慮しながら、「衝撃ではなく、魂の操作みたいな」とカルテに書き加えたようだ。
「分かりました。
では今回は、『強力内活性剤』と『千手草』の薬剤を処方します。苦いとは思いますがぁ、朝晩毎日欠かさず飲むように。そしたら治る筈ですのでねぇ」
「本当か、ありがとう。嫌がらずに飲めよ、ランド」
〔もちろんだよ〕
髭オヤジ先生の毛むくじゃらの腕が棚から棚へと移動して、薬剤の入った二つの小瓶と二枚の用紙を掴み取る。それをガンクへ手渡した。
字が読めないオレのためにガンクが読み上げてくれる。
内容は、『強力内活性剤』というのは、体全身の機能を高める薬剤で治癒薬ではなく免疫力を高めて自己回復力を促進させる薬らしい。
『千手草』の方は、体の内部の手が届かないような場所の患部までそれ自体が悪い箇所を捜し見付けて治癒効果をもたらす秘薬だという。
ちなみにどちらも値段はバカ高い高額薬剤みたいだ。
後で知ったことだけれど、髭オヤジ先生はオレの身体を慰撫しながらその触り心地で調子の悪い箇所を特定したり判断していたりと、単に疲労回復目的のマッサージをしていた訳ではなかったようだ。獣医師として膨大な経験の積み重ねに基づいた診断を行ってくれていた訳だ。
凄いなぁ。アーネット隊長が凄腕だって言うことも理解できるよ。
まだ全力疾走するには体調が不完全だけど、薬を飲んで早く病気を克服したい。
これから待つ新しい冒険にしっかり備えて、なんとか体調を万全に出来たらいいんだけどな。
オレ達は髭オヤジ先生の診療所を後にするとアーネット隊長にもお礼を言って別れることにする。
「ありがとう、アーネット隊長」
「ああ、気にするな。ランドもツラい目にあっただろうけど回復の兆しが見えて良かったろ」
オレは尻尾を振って答える。アーネット隊長ははにかむ。
「フッフ、先程の姿はしばらくは忘れん。いい酒の肴になりそうだ」
さっさと忘却の彼方に消してくれ、と思う。
アーネット隊長はガンク達の方へと向き直った。
「こちらもしっかり楽しむことが出来た。だから満足している。
あの髭先生は毎回診察が面白可笑しくてな。動物専門ではあるけど一部は人間も診ているぞ。体の不調があればお前らも診察してもらうといい」
「遠慮するわ」
「絶対嫌だね、肛門触られるのは勘弁だ」
オレも体はラクになったけど、ちょっと次は考えちゃうな。
イルマの帰りを待つ夜までに、クーレントさんの工房にも顔を出した。寝込んで目を覚まさなかったオレのことをとても心配していたらしく、元気な姿を見せると彼も安心して喜んでくれた。
イルマが帰ってきた。でもその横に誰かいるぞ。
「待たせたな。
紹介したい者がいる。こちらは……」
「皆さんこんばんわー。ワユビュリュ方面の旅行へ同行させてもらいます、あたしの名前はコルテッチだよ。コルテって気軽に呼んでいいからね~。よろぴく~」
イルマの脇に控えていた小柄の女性が前に出た。黄色いワンピースの裾を摘まみぱたぱたはためかせ挨拶する。
「こら、勝手に自己紹介するな。俺が伝えると話したろう」
「えー! 喋らせてよ。ひっさし振りの旅行で楽しみなんだからさー」
「旅行ではない」
「なんだ、この無駄にテンション高い女の子は。どこで拾ってきたんだよ」
ガンクの物言いにピクッと反応を見せるコルテッチと名乗った少女。
「キミキミ、今あたしのこと女の子って呼んだね?
いいよ、分かってる分かってる。コルテって呼んでいいからね。分かった? オッケー?」
「えっと、イルマ? こちらのお嬢さんは……」
少女がガンクへ詰め寄る。
「言い直すな。女の子でいいっての。オッケー?」
「イルマ?」
「コルテちゃんね、ヨロシク」
「よろ~」
「おいナノ!」
ガンクはハイテンションで詰め寄られ物怖じしてイルマに助けを求めたようだ。
ナノは女の子同士仲良く手を繋ぎ合っている。
やれやれ、と首を振りながらイルマが説明してくれた。
昼食後に別れた後、獣人達の独立国を築く候補地の再検討を願い出るため、ラウルトンさんの元へ向かったイルマだった。
結果的に、ワユビュリュ湿原から北西の山脈地帯までのどこかの場所が建国予定候補地となること、それはラウルトンさんの予測ではそれ以外に適切かつ妥当な場所は他に見当たらないと断言されたらしい。
アーバイン南部の地理に疎いイルマは他の選択肢を挙げることが出来ず、しかしナノが話した呪いの件を伝えるとラウルトンさんは、「それなら適任者を存じています。彼女を随行員として迎えては如何ですか」と、このコルテッチという少女を呼び寄せたらしい。
「そう言うことだから、よろぴく~。
仲良くしてね。イジメとか嫌がらせとかイヤだからね」
「おい、まだ説明の途中だ。勝手に喋るなと言ってるだろう」
「イジメ?」
「違う!」
何かまた変なのが現れたな。