1 ファンタジーヒーロー
すべての異世界系ファンタジーの主人公はたとえ現地人と設定されていてもすべからく転生者である。読者側が現代の地球人である以上、そうでなければ共感を得られないからである。
なんてことを、俺は現実逃避気味に考えていた。
俺の現状を伝えておこう。
俺はたぶん人間。現代日本の知識あり。ただし個人的な記憶は無し。名前もまだない。
現代日本の知識と一緒にどこか分からない所の言語が頭の中をぐるぐるかき回していやがる。どっちが後からインストールされたのか知らないが、この二つは食い合わせがとっても悪い。
俺が今いる場所は、どこだろうな?
とっても狭い空間だ。
ここが謎の液体で満たされた試験管やフラスコの中なら俺は人工的につくられたアンドロイドかクローン人間という事になるか。ちょっとひねれば魔術的なホムンクルスと言う可能性もある。
だけどここはそうじゃない。
ここが工作機械に囲まれた整備ベットの上なら俺は機械的なロボットという事になるだろう。10万馬力あるタイプなのか、ネズミに耳をかじられるような奴なのかは断言できないが。
だけどここはそうでもない。
俺が寝かされているのは真っ暗な場所だ。手探りしてみると石材のような感触がある。
四方も目の前(上)もすべて石だ。
って、これって俺がいるのは石棺の中という事にならないか?
慌てて自分の身体を確かめる。
よかった。ガイコツボディだったりはしない。どこか腐乱している様子もない。口の中を確かめてみても、犬歯が異常に発達していたりはしない。心臓も正常に動いているようだ。
それ以外に分かったのは俺が裸である事。意外に筋肉が発達している事。キン肉マンなムキムキボディではないが、細マッチョには分類できるだろう。俺が俺であることも確かめられた。最後のが一番重要かもしれない。TSは無い。俺にはちゃんと男性のシンボルがついている。
俺が生きた人間であるのなら密閉された空間に居続けたら酸欠になるかもしれない。どうやってこの石棺の中に入ったのかは不明だが、さっさと脱出した方がよさそうだ。
俺は下から石棺の蓋の部分を押し上げた。
重い。
だが、全く動かせないほどではない。完全に持ち上げるのは無理だったが、蓋を横にずらすことには成功した。
出来た隙間から光と新鮮な空気が入ってくる。
外のどこかで、日本語ではない言語で驚きの叫びが上がった。だが、そこに恐怖の響きは無い。死者が蘇生した、と言うほどの騒ぎだとは思わなかった。
もう一度力を込めて石棺の蓋を横へ滑らせる。強烈な光に目をパチクリさせる。
まるで卵の殻を破ったひな鳥のようだと自分で思った。
見えていないまま上体をおこす。
手も何も使わず腹筋の力だけで負担とも思わず身をおこせる肉体性能に感心する。
ここは部屋の中だった。
俺が入っている石棺と同じものがあと五つほど並んでいる。そのどれもが蓋がされたままだ。
「なんと、自動的に起動したのか?」
「アレはロクト博士の34番機です」
部屋の向こうの隅に若い男女がいた。
別に色っぽい関係ではないようだが、二人ともよく似た悪魔神官めいた衣装を身にまとっている。
男の方が俺に短い杖を突きつけてきた。
銃器ではないようだが、あれから魔法でも飛び出すのだろうか?
「とまれ、34番。緊急停止コード、ア・レ・バ・レ・ル・バ」
「動きを止めるのはかまわないが、その呪文が俺を強制的に停止させる物なら効果がないみたいだぞ」
「なんと! 動くな、そこから動くなよ」
男はすでに逃げ腰だ。悪魔神官風ではあるが、神官だとしてもこいつは一番の下っ端だろう。
「心配はいらない。俺はこれ以上は立ち上がれない。ご存知かもしれないが、俺は今、全裸なのでね。女性の前でモノをさらす勇気はない」
「……」
悪魔神官たちは顔を見合わせた。
これは重大な危機が日常的なことで回避されて呆れている感じか? すると俺が暴れ出したら出る被害はかなりの物? ひょっとして、俺は人間そっくりだが召喚された悪魔だとかいう落ちじゃないだろうな?
「ともかく、ライゼン博士に連絡を。駐留のモトサトにも来てもらってくれ」
「わかりました」
女性の方が部屋から出て行こうとしている。そうなれば俺を拘束する要因が一つ減るのだが良いのかね?
ま、俺の側から見ればありがたいが。
「ひとつ聞いても良いか?」
「何だ」
「さっき俺の事をロクト博士の34番と呼んだろう? なのになぜ、いま呼びに行くのはライゼン博士なんだ?」
「ロクト博士は先月の襲撃の時に亡くなられた。お前はそれから何の調整も受けずに放置されていたのだ。ずいぶんと不良品に出来上がったようだが」
「なるほどね」
この男が俺の事を物と評価しているのはよくわかった。
俺と同種・あるいは同型が多数存在しているらしいことを思えば妥当な扱いかも知れないが、逆に言うと俺の側からこいつに好意をもつ必要もなさそうだ。
俺は生物として当然の自己保存の欲求を優先して動くことに決めた。具体的には、不良品と断言されてもおとなしく廃棄処分されてやるつもりは無い、という事だ。
「要求が多くて悪いが、何か着るものを用意してくれないか?」
男は無言で布切れを投げてきた。
最初は腰に巻くタオルかと思った。中央に穴が開けられていて横に紐がついているのを見て理解する。こいつは貫頭衣だ。男が着ているものと比べて簡素すぎるが、病院着のような物なのだろう。
さっさと身につけて立ち上がる。前後が逆だったりするかも知れないが細かいところは無視だ。
「裾が短すぎるし、ブラブラして落ちつかないな」
何が、とは言わない。
追加でパンツが飛んできた。
ゴムは無いのか紐で縛って止めるタイプだ。少しだけ昔風な気がするが、ちゃんとパンツの形はしている。立体縫製の技術はあるようだ。
人心地がついたのでその辺をブラブラ(俺が)してみる。
「動くな!」
強制停止なら効いていない。
「心配しなくともこの部屋からは出ないよ。俺の兄弟たちに触れる気もない」
「構成槽のほとんどは空だ」
「そいつは重畳」
構成槽っていうのか、この石棺。
こんな物を見てもよく分からん。魔法陣のような複雑な紋様が刻まれているから何か魔法的な技術が使われているのだろうと思うが、実は中にナノマシンが注入されていてそれが人体を構築するのであっても俺には判断がつかない。
そんな物よりもっと常識的なものに目を向ける。
この部屋の壁は石材、では無いな。これは打ちっぱなしのコンクリートだ。幅の広い合板をつくる技術までは無いのか、幅30センチくらいまでの細かい板を組み合わせて型枠を作った様子が見て取れる。
この部屋には窓もあった。透明度の高い平面のガラスがはまっている。サッシはさすがにアルミでは無い。木製のようだ。
建築関係限定なら、この世界の技術力は昭和の初期から中期並といった所だろう。中世ヨーロッパのテンプレ展開では無い。
壁際に置かれた資料棚に目を向ける。
釘ではなく木ネジで固定されている。この世界には大量の木ネジを生産出来る能力がある。それは個人の工房ではなく、おそらく工場と呼べる規模になるだろう。そして、大量生産品があるならそれを支える流通の存在も……
「壁やら棚やらを見ながら何をニヤニヤしている? 気持ち悪いやつだな」
「ただの工作物からどれだけの情報が読み取れるか理解できない奴は黙っていろ」
「知りたいことがあるなら普通に尋ねれば良いだろう」
「貴重な一次資料が目の前にあるのに不確かな二次資料に頼る必要があるのか?」
「誰が不確かな二次資料だ。不良品のくせに」
「あいにく、俺にとっては今の俺が完成品だ」
そういえば、窓の外はまだ見ていなかった。
俺は窓ガラスに近づく。
「待て、逃げ出す気ではあるまいな」
「ここからか?」
それはちょっと難しそうだ。
コンクリート製の建物という事で多少は予測していたが、ここはずいぶんな高所だった。だいたい十階建てぐらいの高さだろうか。この土地に地震があるかどうか知りたいものだ。ま、地球でも日本列島ほど頻繁に地震が起きる地域はそうは無いのだが。
この建物の周りに城下町のように街並みが広がっているのが見えた。
周囲の建物はこちらよりはかなり小さい。大きなものでもせいぜい四階建てぐらいだろう。平屋や二階建て程度の物が多い。町の周囲には頑丈な壁がつくられていて、その向こうは農地になっている。
あれだけ大きな壁を築いている所を見ると、外には明確な外敵がいそうだな。モンスターでも出るのかもしれない。
あの壁の仮想敵は人ではなさそうだ。
そう判断した根拠は空に浮かんでいる。
最初は飛行機だと思った。かなり大きいが、B29並と思えばこれまで見たこの世界の技術力と矛盾はしない。
だが、ちょっと違う。
それに翼はある。十分なスピードさえ出せれば空力で全体を支えられそうな大きな翼だ。だが、そのスピードが全く足りていない。ほとんど浮遊するようなゆったりした速度で移動している。
そして、翼につながる本体は船の形をしていた。そのまま水に浮かべられそうな船底があり、ご丁寧にマストまでそびえている。
「飛空艇、か」
日本語でファンタジーな乗り物の名前を言ったつもりだったが、口から出たのは現地語だった。自動的に翻訳されているようだ。
「見るのは初めてか? いや、お前にとってはすべての物が初めて見るのだったか」
「そういう事だ」
「ゆっくり見物させてやりたいが、そうもいかん」
?
悪魔神官風の男の声に憐憫が混ざっているような気がした。
俺が外を見ている間に女性の方が戻ってきていた。男と言葉を交わし、その結果が憐憫の情か。
あまりいい予感はしない。
「移動する。ついて来い。世界のすべてが真新しいならどこを味わっても大差あるまい」
「死刑台への階段はあんまり味わいたくないぞ」
悪魔神官、と思った二人は実際には普通に研究員なのだろうな。あの趣味の悪い服装は彼らの制服なのだろう。
二人に連れられていった先は天井の高い広い部屋だった。窓にはガラスがはまっておらず、床には使い込まれた硬いマットが敷かれている。
飾り気はない。
とりあえず死刑台でもガス室でもなさそうだが、この雰囲気はどこか覚えがある。
そうか、ここは道場だ。
気がついた俺は屈伸運動をはじめた。
「何をしている?」
「準備運動。ここは身体を動かす所だろう」
「そうだが……」
悪魔神官風研究員は「おかしな動きを」とか口の中でモゴモゴ言っている。
そっちは無視してラジオ体操第一をはじめる。
おれは『ふしぎなおどり』をおどった。
あくましんかんは『こんらん』している。
冗談はさておき、かなりマズイな。
日常動作だけなら問題ない。が、動きのイメージが実際の動作と一致しない。
産まれたばかりの俺の脳が最初から今の形に構成された筋骨隆々たる肉体を制御しきれていないようだ。下手に全力を出そうとしたら、その場で手足が攣りそうな怖さすらある。
深呼吸をはじめたあたりで道場の向こう側のドアが開いた。
二人の男が入って来た。
一人目は悪魔大神官風の壮年の男。俺を連れてきた二人の物を一回り豪華にしたようなローブをまとっている。明らかに二人の上司だ。上に立つ者のオーラがある。
おそらく彼がライゼン博士と呼ばれていた人物だろう。では、もう一人がモトサトという事になる。
呼び捨てにされていたから『モトサト』は若者だと思っていた。
実際には違った。本物の彼は初老と言って良い歳だ。60代ぐらい?
だが、枯れ枝のような老人、というわけではない。ひと目見た印象は、なんと言うか丸っこい。鍛え上げた筋肉で固太りした丸さだ。第一線からは退いているかも知れないが、歴戦の勇者とでも呼ぶべき風格がある。
俺が二人を見るのと同様に彼らも俺を観察している。
「コレについての説明を聞こうか」
ライゼン博士の第一声は俺についてではあったが、俺への問いではなかった。若い平研究員の男が返答する。
「はっ、コレはロクト博士の34番です。つい先ほど、1310頃に自然起動。停止信号には従わず、現在まで活動を継続しています」
「それだけか?」
「では私見を述べさせていただきます。観察した所、コレの運動機能には異常は見られません。知能に関しては問題ありです。こちらの言葉は理解しているようですが、何もない壁を見つめる、意味不明の動作を突然はじめる、などの異常行動が見られます」
「それを異常と思うのはお前さんの知能と想像力に問題があるからだぞ」
横からくちばしを突っ込んでみたが、ライゼン博士は俺を一瞥しただけで相手にしなかった。
情報収集のためには正しい態度だと思うが、完全に物扱いされているようで、あまりいい感じはしない。
「モトサト、お前はどう思う?」
「立ち振舞いを見た限りでは戦闘技能はあまり高くなさそうです。格闘戦関係の技術のインストールが不完全なのでしょう。それ以上は実際に立ち会ってみないと」
「では、やってみろ」
老いを感じさせない丸っこい身体が無造作にこちらへ歩いてくる。
何の工夫もなくただ歩いているだけに見えるのに、隙という物がまったく存在しない動き。
この男は達人だ。歴戦の勇士と思ったが、師範と呼んだ方が良いかも知れない。
それにしても、いきなりかよ。
こちらの準備は不十分。
どこかの剣客漫画の主人公が「自分の愛刀は何よりも確かな物差しだ」とか言っていたが、今の俺は自分の腕の長さすら満足に把握できていない状態だ。格闘戦をやるなら2、3日トレーニングを積んでからにしたい。
「とは言え、けつをまくったら状況が好転するわけでもないか」
俺は近づいてくる達人に自分から踏み込んだ。
間合いの把握が不完全な以上、思いっきり近くで拳を当てにかかる。正拳突きだ。
俺の拳は円を描くような動きではじかれた。
俺の上体は泳ぎ、相手の体幹はぶれてもいない。
追撃を恐れて俺はバックステップ。
「驚きました」
モトサトは足を止めていた。
「この者は強くはない。しかし、全くの素人でもない。私の知らない何かの格闘術を修めている」
「人造戦士の基本プログラムではないのか?」
「間違いなく、違います」
「ロクトめ。試作機に何を載せた? あやつに格闘術の心得があったとは思えんが」
個人的な記憶は全く思い出せないが、前世(?)の俺は格闘技をやっていたらしい。怪しげな古武術とか暗殺拳の使い手だったらなお良かったのだが。
ま、今の一撃で間合いの感覚が少しはつかめた。
やってみるか。
今度は俺から接近する。
左右のコンビネーション、そしてローキック。
すべて弾かれた。
技量の差は小さくない。反撃の掌底が俺の鳩尾に添えられる。
衝撃が来た。
密着状態からの打撃。発剄とか1インチパンチとか呼ばれる技術か?
息が詰まった。
二歩ほど後退させられた。
「準備運動はこのぐらいで良かろう」
モトサトは俺をまっすぐに見つめていた。この道場にいる人間の中で初めて、俺に向かって言葉を発していた。
「新たに生まれた戦士よ、同じ人造戦士同士、本来の戦闘形態で勝負しようではないか」
「やはり、アンタも俺と同じか」
彼は両腕を左右に開いた。
二本の腕を複雑に動かす。
格闘戦において意味のある動きではない。だが、二十世紀あたりの日本の記憶を持っている者にとっては、この上なく意味を感じさせてくれる動きだ。
これって、アレじゃねぇか?
最後に彼は軽く跳躍した。
その姿が光に包まれる。
内側から生まれた圧力に、身にまとった貫頭衣がちぎれて飛んだ。
変身、かよ。
彼はレザーっぽい防具で全身を覆っていた、フルフェイスのヘルメットで頭もすべて隠れていた。その姿は簡単に表現すると『バッタベースの改造人間』。
「始まりの勇者。長老モトサト、見参」
大見得を切っての名乗り上げ。
これを、俺もやるのか?