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3


 ──何だか気分が悪い。


 明確な言葉で現すのが難しく、気分としてでしか表現出来ませんでしたがシン少年は理由の分からない気持ち悪さに苛まれていました。

 授業中も休み時間も大好きな給食も家へと帰った後も、気分の悪さは変わりません。


 ならば具合が悪いのかと聞かれればむしろ逆。体育の授業は妙に調子がよくてシュートを決められ、先の授業中には問題の答えを求められてもすらすらと言え先生に誉められました。


 ……嬉しい事のはずなのにまるで自分の事じゃないように感じて素直に喜べない。言い様のない気持ち悪さが付き纏う。


 今はまだ授業中です。逃げ出す事は出来ず、しかも嫌いな算数の時間。なるべく教科書も見たくないシンくんは先生の言葉を聞き流して真っ白なノートに落書きなどをしていました。


 静かな教室。先生の言葉くらいしか聞こえるモノのないはずの時間帯に突如廊下からタガを外したような大きな叫び声が響きます。



『うわあああああああああああ』



 ……声と共に廊下を走り抜けて行ったのは誰かの影。声色からして男子生徒のようでしたが大きな言葉と一心不乱に走る姿に教室の誰もが注意を取られ、好奇心旺盛な子などは教室から飛び出して外の様子を窺います。



「コラ、席に戻りなさい! 先生が見てくるから」



 一時騒然となった教室ですが、先生の言葉はシンくんにとって幸運なものでした。だって嫌いな授業の最中でしたからね。これで気兼ねなく落書きを完成させられるとノートに向かい合う少年は自身の前の席。ヨウコちゃんの座る場所から聞こえて来る涼やかな言葉を耳にします。



「なんだろうねアレ」



 ……特に気にする事はなく、シンくんはノートに向かいました。




──────。




 シン少年は家族三人暮らしです。仕事で帰りの遅いお父さん、いつも家に居るけど忙しいが口癖のお母さん。

 小さいながらも一軒家の家には普段は居ないお父さんの代わりお母さんの大きな声が響きます。



「シンーー、ご飯食べ終わったならちゃんと歯磨きしてーー」


「ん、はーーい」



 夕食終わりのゆっくりとした時間。読んでいたマンガのページを捲る手を止めると、仕方なしにシンくんは椅子から立ち上がります。

 お母さんに言われないと歯磨きもしないのかと思いますがまだまだ小学生。つまらないし、薬みたいな味のする歯磨き粉を好きになれない気持ちも分かります。


 不承不承に歩き出し洗面所に向かうシンくんは自分用の小さな歯ブラシを取り出して『鏡』に向かいます。白いチューブから捻り出される青み掛かった粘性の粉、歯ブラシの毛先に落とされるそれらをシンくんは見てはいませんでした。



「…………」



 真っ直ぐに向けられる視線は鏡の中に、見慣れた顔付き、変わらない表情。しかし一点だけ他とは違う場所を見付け……見付けてしまい。視線が絡め取られてしまったかのように動きません。



「────」



 他とは違ったのは『目』でした。小さな黒目と大部分を占める白、注視すれば目に入る細い血管、睫毛。ギョロギョロと鳴動を続ける目玉の奥に細い線が見えます。ただ一本、細い亀裂が入ってしまっただけで鏡に映る自分の瞳がまるでガラス玉のように見えてしまって気持ち悪さが抑え切れません。


 細い線は『傷』でした。付けられたら内から赤色が飛び出すような生々しい傷ではなく細く縦に走る白い傷……当然家の鏡にはそんな違いを生み出してしまうような跡はありません。身に覚えがなく、しかし『見た事のある』傷跡にシンくんは一瞬呼吸を忘れ、そして……



 カリカリ


「ひっ」


 カリカリ



 ……何か固いものを爪で掻くような不安な音が耳に聞こえます。握り締められ過ぎたチューブからは新品の歯磨き粉が止め処なく漏れ、音の出所を探して視線をさまよわせたシンくんは気付きます。


 カリカリと響き続ける音は鏡から、しかし当然誰も居なく。鏡面に映るのは作り物の目玉を持った自分だけ、拍子を保ち爪を立てる音は鏡の外というよりも『中』から……



「わ、あああッ」



 堪らなくなったシンくんは手にした歯ブラシを投げ捨てて走り出します。居間でテレビを見続けているであろうお母さんを探して、この場に居続けるのに耐えられなくて全力で。

 走り出す瞬間に鏡の中のシンくんは彼を見ました。当然です、シンくん自身が見ていたのだから中にある鏡写しも覗いて来るのは自然の事。



 カリカリ



 カリカリ



 誰もいなくなった洗面所に乾いた音はしばらくの間鳴り続けていました。


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