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 一般教室の並ぶ通常棟と理科室や家庭科室といった専門教室の並ぶ特別棟。

 両者を繋ぐ長い渡り廊下の中央に件の鏡は飾られておりました。


 縦へと長い全長は背の高い渡り廊下を以てしても天井スレスレ。西側に面した透明な窓ガラスから降り注ぐ光は薄暗く、校庭に並べられた針葉樹の影に入り日当たりはよくありません。

 特定の移動時間を除けば訪れる人間もほとんどいない長い廊下に……しかしこの時ばかりは所在なさげに辺りを見回す小さな影がありました。


「……」


 キョロキョロと視線を行き来させる影、シンくんの杞憂は誰か人が居はしないかという一点のみ。『噂に流された情けない奴』そう思われる事だけは嫌な彼はしきりに辺りを見回します。

 右を確認、左を確認……絶対に誰も来はしないと確信を得た少年はゆっくりとなんでもない様子で歩き出します。



「ぴゅー……ひゅう」



 吹けない口笛の不出来な音色が響く廊下。まだ昼前の休み時間だというのにここだけは暗く、まるで周囲の世界から切り離されたようでした。



「……」



 一度通り過ぎてチラッ


 元の場所へ歩いて戻りチラッ


 ……再度鏡の前へと出ると今度は逃げる事なく中を覗き込みます。



「べつに、普通の鏡だよな」



 期待していた……いや、『期待』していたなどといってはシンくんに失礼でしょうね。これでもシンくんは悩みに悩んで物の試しに『まるっきり信じてないけど来てみただけ』という事なので実際に何の変哲もない鏡であってもガッカリするはずがありません。

 少し豪華。

 結構大きい。

 白い傷が走ってる。

 それでも家の水面台にある鏡と比べても同じもの。


 鏡に映る顔はシンくん本人のものであり別段格好良くもなってないですし勿論綺麗にもなっては見えませんでした。



「……ま、まあ一応だよ。信じてないけど」



 人気のないこの場所で、誰に向かってでもない言い訳を並べ立てた少年は細く息を吐き、真っ直ぐに大きな鏡面に向き直ります。


 ──ここまでくれば分かるでしょう。

 シンくんが何をしに来たか……少年は実際に『あの噂』を実行してみる為に来たのでした。

 変わりたい、変えたい。彼がどういう風になりたいかというのは数秒も待てば分かる事ですが、いやいやどうして人というのは存外『上』を見たがるものですからね。まだまだ子供だからとはいえその自尊心を侮ってはいけません。



「格好良くなりたい」



 ……真っ直ぐに鏡面を見つめるシンくん。薄い口を開き、外へと漏らされるのは願い。

 それはそれで悪い事ではないですがこの鏡にだけは言ってはいけない、それは禁句の言葉でした。



「運動が、もっと出来るようになりたいサッカーとか。あと勉強、算数は嫌いだからそれももっと、別に全部出来てもいいよ。それとあと……しゃ、喋ったりとかアガらなくなったり……に、人気者になりたいんだっ!」



 ──言った。

 少年は言い切りました。後半は殴り捨てるように肩でゼェゼェ息をした欲深で純粋な願い。言いたい事を言い切ったシンくんは小さな手のひらで鏡を上から叩きます。



「……っ!」



 一秒。



「……?」



 五秒。



「…………」



 六十秒。

 たっぷり一分間待ちましたが鏡に変化はありません。

 当然鏡に映るシンくんの顔も変わりません。何も変わった事が起きる気配はなくただヒュウヒュウと外から吹き付ける風の音だけが耳に聞こえます。



「……なんだよ」



 待ちに待ち、吐き出された声は落胆。

 こんなもので変わるはずがないというのは当たり前ですが、それでも恥ずかしさを我慢して来たこともあって強い徒労感が彼を覆います。



「やっぱり噂なんて……」



 諦めに鏡から手を離し、もういいやとその場で踵を返そうとした時……聞こえていた風とは違う妙な音が耳に届きました。



 カリカリ


「……?」


 カリカリ



 ……注意しなければ聞き逃してしまいそうな小さい音。僅かな異音は何かを引っ掻いているような小さな物音。


 カリカリ


 カリカリ


 辺りを見回しても誰の姿もなく、音の出所を探そうとした彼の耳に、もっと大きく無視出来ない高音が響きます……それは別に不思議なものではなく単なるチャイムの音。キンコンカンコンと授業の始まりを告げる予鈴にシン少年は休み時間の合間に来ていた事を思い出し慌て始めます。



「やばい!」



 さっきまでの神妙な様子はどこに行ったのか必死に走り出すその姿はどこにでもいる子供と変わりありません。ドタバタと緑色のリノリウムの床を叩く上履きの音。小さなその背が見えなくなると暗い廊下は普段と同じ人気のない姿に戻ります。



 カリカリ


 カリカリ


 カリカリ



 何かを引っ掻き続けるような乾いた音。誰に聞かせるでもなく続く音色はいつまでも続きました。



 シンくんがその後、変化に気付くのは三日程後の事でした。


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