それは交換ノート二日目
初めて、交換ノートのあの人が年上だとわかってから次の日。僕は無表情ながらも、内心ではうきうきとした気分で家から飛び出すように外へ出れば、表札のある柵に寄りかかるように僕の持たないものすべてを持つ姉、新橋柚姫がそこにいた。
名字が違うのは、僕は父親の戸籍に入れられて、姉は母親の戸籍に入っているからである。
「久し振り、元気にしてた?」
完璧な姉が憎かった。自分にも才能がないわけじゃないのはわかってる、それでも姉の才能は母さんに認められて僕の才能だけは認められないのは理不尽じゃないかとそう思ってた。姉が努力家なのは知ってる、だからその憎しみを僕は柚姫にぶつけることが出来なかった。
当時の僕の世界には、母さんしかいなかったから、母さんに認められないことがすべての世界から否定されたように感じたのかもしれない。……当時の僕は幼かったし、大好きな父さんが側から離れていった直後だったし、今ではわかることがその時はわからなかったんだ。
制服を見て気づく、姉は僕と同じ学校に行ったんだと。知らなかった、と言うよりかは知りたくなかったと言った方が正しいかな。例え、開き直れたとしても完全に心の傷が癒えた訳じゃないし、姉と兄弟と知られて傷つくのが怖いんだ。
「……ごめんね、考えなしに来ちゃって。わかってたの、私が努力をするたびに柚利は責められて傷ついていたってこと。でも、私もどうしたら柚利が責めらなくて済むのかわからなくて、私はそれでも努力をするのをやめられなくて。傷つけてごめんね、柚利から表情を奪ったのは間接的でも私だよね。
みんなは私のこと、完璧だって言うけど、何をしたってなんでも出来るんでしょって言うけど、私のことを内心では完璧だって思っているかもしれないけど、口に出さないのは柚利だけだから私は柚利のこと嫌いじゃないの。誰も私を見てくれないの、努力をしているのが辛いの、母さんも完璧な私ばかりを見てるのが手に取るようにわかる。私は人間だよ、機械じゃない。
私が本当にしたいことは音楽なの。父さんのところへ行って、自由に音楽が出来る柚利が羨ましい。音楽の才能がある柚利が羨ましくて、羨ましくてたまらない。音楽はどんなに努力したって、同じく努力してて才能のある柚利には敵わない。柚利の音は凄いんだもん、まるで虹みたいに多種多様な音を奏でられてその音は純粋で綺麗なの。それを一音一音丁寧に、まるで編み上げるように繊細に奏でられる柚利が羨ましい」
……初めての姉の本音だった。
やっぱり、血筋だなって思った。
ーーねえ、母さん。きっとね、僕らは音楽に魅了されているんだ。生まれる前からずっと。
ーーだから、どんなに音楽から避けさせようとしても無駄なんだよ、最後には母さんの側から離れる決意をしてまでも僕らの血筋は音楽に魅了されているんだ。
ーーだから、その邪魔はただの遠回りにしか出来ないんだよ、母さん。ごめんね、諦めてよ。
「姉さん、僕はあなたが憎い」
やっと発したその言葉に、姉はびくりと肩を揺らした。その顔はそう言われることを覚悟していたと言うような表情だけど、その表情とは矛盾して体は小刻みに揺れていた。僕はそんな姉の様子を無表情で眺めた後、淡々とした口調でこう言う。
「でもね、僕は姉さんのことを恨んでなんかいないよ。矛盾してると思うかもしれない、でもこれは本心からそう思っているんだ。だから、僕は姉さんがやりたいって思ったことを応援してあげたい。だけど、姉さんは母さんと、自分が傷ついても戦える勇気があるならだけど。
姉さんとは全く似てないけど、双子だから根は似てるんだよね。だから多分、姉さんの世界の中心は母さんだったんだよね、僕とは違って長い期間、そして今も。その縛りから逃げるには時間が掛かると思うけど、きっと姉さんなら大丈夫。姉さんが不器用なのをわかってくれて、支えてくれる人が現れるよ、そんな人が見つかれば姉さんは母さんの縛りから最も簡単に抜け出せるはず。抜け出すまでが大変だけど、姉さんはずっと努力してきた。それを見てくれているのは僕だけじゃないと思うよ。
それにね、音楽はピアノだけじゃない。姉さんは楽器を、母さんのせいで買えないでしょ? それだからって諦めちゃダメだよ、姉さんには良い武器があるでしょ。姉さんの声はとても綺麗だから、今は楽器を触れられなくても姉さんが歌えばいい。楽器はいつからだって出来る、長い間演奏している人とは差がつくけど努力を惜しまない姉さんなら綺麗な音を奏でられると思うよ」
ーーこれでいい、これでいいんだ。いつか、こんなこともあったねって笑い会える日がくるはずだから。
ーー今はこれでいいんだ。
心から、姉を憎んでないと言えなくても。
その日の放課後。
僕はまた音楽室に来ていた。
今日もまた、交換ノートがあるかどうか確認するために。そして、この不安定な気持ちを落ち着かせるために僕はまた音楽室に来てしまった。すっかりこの交換ノートの相手の言葉に、依存してしまったようだ。不安になるたびに音楽室へと行きたくなってしまう。
ノートを開けば……。
夕焼け空の絵だけだった、無理して書いた言葉ではなく綺麗で不思議な色使いをした夕焼け空の絵。
何故だろうか、この絵に励まされているように僕は感じてしまったのである。




