僕の願いごと
僕の頼みごとを聞いた時、織都さんは悲しそうな顔をした。
僕は長くは生きられないだろう。
持病がないが、そう思う。
織都さんもそう感じていたんだろうか? 何も言わず、再び色鉛筆を手にするだけだった。僕はきっと織都さんを悲しませてしまう、そう思うと胸がとても痛い。その痛みを感じながら、この部屋の明かりをつけて、眠気には勝てず読めなかった姉さんとの交換ノートを手にした。
ーー柚利へ
ーーまた、あの人の歌を聴きに行きました。あの人の声を聴くだけで、お母さんと戦う勇気が出るような気がします。背中を押されているような気もします。柚利は言いましたよね、私が彼を見つけ出さなければ意味がないと。そう言った理由が今ならわかるような気がします。
ーー今日見たのです。有名なアイドルグループが所属する芸能事務所にスカウトされているところを。ですが、彼はその話を断った。歌手を目指す人なら、誰もが喉から手が出るくらい欲しがる話だと言うのにです。断った理由は、まだ自分には足りなさすぎることが多すぎるだからだそうです。盗み聞きは良くないことだと思いつつも、彼の声に惚れ込んだスカウトマンが連絡先を渡しているところまで見てしまいました。
ーーそのスカウトマンを見る彼の目は、死んだ魚のような目でした。何もかも信頼していない、何も感情を抱いていないような目だったのです。だからこそ、私は柚利の力を借りるべきではないと言うことなのですね。
ーー柚利、私はまず彼を探し出すと言うことも今はまだ、彼と話すべきでもないのかもしれません。だから、今は彼の歌声を聴くだけで止めておこうと思います。いつか、その時が来るまでは。
ーー柚姫より。
姉さんの判断に僕は驚いた。
そして、牧都さんのこと時期に気付くだろうと根拠のない自信が湧く。
姉さんでないと、牧都さんは変えられない。そして、逆に牧都さんでなければ姉さんの枷を外すことは出来ないのである。
「また、スカウトされたのか」
急に僕の頭を撫で始めた織都さんは、いつの間にか読んでいたのだろうか、そんな感想を述べていた。確かに牧都さんくらいの歌声なら、多くのスカウトマンを魅了してもおかしくはないことかもしれない。なら、何故歌手を目指すものならば憧れるはずの芸能界入りを拒むのだろうか?
まあ、もし僕がスカウトされたとしても拒むだろうから、人のことは言えないが。
そう考えていれば、以心伝心かと思うくらいに僕が気になっていたことについて、確信付いた言葉を織都さんはあっさりと口にする。
「ラブソングを感情込めて歌えないんだ、牧都は。この方、異性に恋心を抱いたことがない、もしくは恋心を抱いたとしても気づかないような奴だから、あいつの取り柄である心を動かす声で歌えないんだ。牧都の声は、優しくて柔らかい声だろう? だから事務所が持ってくる持ち歌はラブソングばかりだったんだよ。つまりな、あいつの足りない部分はラブソングを歌えないという点だけなんだよ。
朱李は、牧都が傷つかないように異常なくらい過保護に牧都を守ってきた。それが今の牧都を苦しめている、全てが壊れ崩れる前に直ぐにあいつらは少し距離を置くべきだと思う。お互いのためにもならない」
その話を聞いて、僕は筆記用具を手にして、姉さんに返事を書いた。
ーー柚姫へ。
ーー時には嫌われる勇気も必要だと僕は思ったりします。
ーー何もしないで後悔するより、何かをしてから後悔した方が姉さんのためにもなると思います。何かしてあげればよかったとそう後悔する前に、嫌われる勇気を持つことを僕は大切だと思いますよ。
ーー柚利より。
そう交換ノートに返事を書いた時には、もう午前六時になっていた。
織都さんは一睡もしてないようだ、今日はどうやら直感の調子が良かったようで絵画の下書きのようなものが、まるでカーペットのように広がるように床を埋め尽くしていた。
ふと、本棚の一部を埋め尽くしているスケッチブックが気になり、手に取ろうとすると、究極に睡魔が襲われているのかはわからないが、織都さんの顔が青ざめていた。
「見られて困ることでも?」
試しにそう聞いてみたら、驚くことに織都さんが都合の悪い時にする癖である、誤魔化すように愛想笑いのような微笑みを浮かべていた。
僕はにこりと微笑んで、本棚からスケッチブックを一冊手に取った。
そんな僕に慌てて、織都さんはスケッチブックを取り返そうとした。
幸い寝不足だったために、僕は取り返そうとするその手から逃れ、スケッチブックを躊躇わずに開けばそこには……。ピアノを弾く少年の絵、絵を見ている人に向けるように微笑んでいる少年の絵が、柔らかい色を出す色鉛筆で描かれていた。全て、僕にとても似ていた。
たくさんのその絵を見て、僕は生きているんだよと言われているような気がした。
それから僕は、本棚にある全てのスケッチブックを取り出して、無我夢中に織都さんの描いた絵を一時間ずっと見続けた。そのスケッチブックには、僕だけじゃなくて牧都さんも描かれていた。そして、今日昨日描いていたと思われる一枚の絵、それは僕と織都さんが空を見上げている優しい色合いの絵だった。
「織都さん、もう一個お願いがあるの。僕の我儘、聞いてくれる?」
僕は思わず涙を流す。
涙を流しながら僕は、精一杯の笑顔を織都さんへと向けて……、
「この絵を僕が死んだ時、棺に一緒に入れて欲しいんだ……」
そう言ったら、織都さんはわかったと言ってくれた。珍しく、涙を流しながら。
享年、二十歳。
僕は事故に巻き込まれて死んだ。
残念ながら即死だった。
思い残すことがあるなら、友情以上恋愛未満な関係を続けていた牧都さんと姉さんの関係にあまりお節介をやけなかったことだろうか。
夢も叶えられず、とても残念だ。
葬式を終えるまで僕は織都さんの側にいた。当たり前だが、織都さんは気づいてはくれなかった。それでも良い、織都さんは僕の願いを全て叶えてくれたのだから、それ以上何を望むのだろうか。
ねえ、織都さん。
『僕の遺影を描いて』
悲しませるような頼みごとを言ってごめんね、でも幸せだったよ。
親愛なる織都さん。
どうか、僕を忘れないでください。
「幸せな四年間だったよ、織都」
そう言って消える直前、織都さんは僕の方へと振り返ったような気がした。
次回で最終回となります。




