それは始まり。
ーー母さん、聞いて! 情景を弾けるようになったの! 次は何を練習しようかなあ?
母さんが音楽嫌いだと知らずにそう言った、幼き頃の僕。その時、母さんは離婚したばかりで、音楽嫌いになった理由は指揮者の父さんの離婚がきっかけだなんて知らなくて。
僕は母さんの地雷を、知らず知らずに踏んでしまったのである。
ーー音楽で生活出来る訳ないじゃないの。もっと、安定した就職先につけるようなものをしなさいよ。
ーー音楽なんかやってないで、勉強しなさい。
バサッと、目の前に置かれた参考書。その母さんの行動が自分の好きなことを否定されたようで、僕はその時に向けられた視線が怖くて怖くて堪らなかった。それ以降から僕は人前で弾く時、その視線を向けられているようで弾けなくなってしまったのである。
それだけではない、唯一の群を抜いて出来ることだった音楽を奪われて、勉強や運動は平均的にしか出来ない僕は……、優秀で完璧な姉と比べられてばかりだったから、いつの日か表情筋が固まったのかと思うくらいに表情を浮かべられなくなった。そんな僕を見かねて、父さんが中学生になった時に迎えに来てくれて、母さんの側から離してくれた。
それでも高校生になった今でも、それは治ることはなかった。父さんは過保護で、僕を日本に一人で残すことを心配そうにしていたが、無理矢理送り出したの。そんな僕、白塚柚利は高校生なって、一軒家で一時的な一人暮らしを始めました。
僕はクラスメイトに馴染むことなく、一人で過ごしながら四月の風を浴びながら放課後を過ごしていた。自然と足が向かうのは音楽室、吹奏楽部や軽音楽部のないこの高校は音楽室を授業以外では使われることなく、人は寄り付かない。特に放課後なんて全く人はいない。
まずは軽やかに一音、ピアノの鍵盤に触れる。そして誰もいないことを確認した後、僕は静かに椅子に座り、鍵盤に触れる指の強さを変えながら表現をつけていく。ペダルを踏み、音を綺麗に奏でながら曲を先へ先へと進めれば、僕は曲の物語へと引き込まれる感覚に抗うことなく、無我夢中にピアノを弾いた。
その時、ピアノを聴かれてただなんて、思っても見なかった。その次の日の放課後、また音楽室へと行けば、グランドピアノの上には一冊のノートが置かれていて。そこには名前すら書いていないノート。忘れ物なら届けようと思わず、そのノートを開けば……。
ーーピアノ上手ですね。
その一言に僕は思わず肩を揺らしたが、次のページを開いた瞬間、空の中で演奏する僕の姿があり、その空のあまりのリアルさに、そして天才的な色使いに僕は息を飲んで、その時には僕は抱いていた恐怖心を忘れてしまうくらいだった。
そして絵と同じくらいの綺麗な字で書かれた一言。
その言葉は何故か温かくて、涙が溢れてくる。やっと、やっと認められたような気がした。
僕は筆記用具を取り出して、
ーーありがとう。
空が描かれたノートに、そう素直にお礼が書けた。
君は知らないだろう?
僕が、このたった一言でどれだけ救われたか。誰かもわからない君からの何気ないたった一言が、何よりも嬉しかったんだ。まあ、まだ誰かの前では弾けないけどね。
僕は一曲だけ弾いて、そそくさと帰ったのだった。