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四季拾い  作者: 音無聖宵
1/1

第一節 『名付け』

BGM:ガンダムUC『UNICORN』

 季節。これほど忌々しい単語は他にはないだろう。

 

確かに、手放しで称賛すべきところも少なくはない。なにしろ日本という島国はウン千年と昔から、季節に関するものを大切にする習慣が根付いていたのだ。むしろそういったものが無い方がおかしい。


 だが今を生きる現代人にとって、この言葉は無条件で肯定できる代物ではないはずだ。


 例えば、夏のお盆の時期。TVでは毎年ギネス記録のように最高気温が次々と塗り替えられていく。お昼時には地球温暖化について先の見えない議論が評論家の手の上でもてあそばれ、お茶の間に流れてくるのを素麺と共に啜る。

 真冬の新年のころは、歌とお笑い、時々格闘技と決まったグループに分けられる。事が終わると暖房器具から重い腰を上げ、人で犇めく神を祀る場所でお互い心のこもらない新年のあいさつを交わす。


 情緒や風情のへったくれもない、なんとも不毛な光景である。

 そう評価しても妥当ではないかと思わせるほど、称賛すべきか辟易すべきか、『季節』は私にとって甚だ漠然とした単語であることはまず間違いない。


 そんな季節の今は冬。立春の日付を大きく超え、陽射しも順当に冬から春のものへと日に日に柔らかくなるのを感じる。かといって朝はまだ肌寒く、半分ほど覚醒した脳がぬくぬくとしたお布団から出られなくなる電気信号を送っているらしく、二度三度寝の習慣がこのところ続いている。


 さらに言うと、今日は土曜日。学生の頃であれば、一週間のうち最も安心して二度寝が出来る曜日ランキング栄光の第1位に輝く日である。それは社会人になった私も御多分に漏れない。ちなみに起きるのがつらい曜日ランキング1位は言わずもがな。寧ろドラゴンボールの神龍にお願いして消してもらいたいまである。全人類の悲願だ。


 下らない思考の大海原に揺蕩いながらまどろんでいると、不意にペタペタとパタパタの中間くらいの足音が近付いてくる振動が鼓膜を揺らす。その足音は私の自室の前でピタッと止むと、控えめなノックの音に変わった。


 意識の外で返事でもしたのであろう。カチャリと小さな音が響くと、物音ひとつたてずにドアがふんわりと開いていき、そしてまた同様にしてパタリと閉じた。


「――――――っ、―――――――――――だ――――い」


 何か声をかけられたようだが、頭はまだしっかりと回転しておらず、なんて言っているのか聞き取れない。おそらく私を起こそうとしてくれているのだろう。


 起きなければ。だが夢の世界に体を忘れてきてしまったのか、現実の私の体は布団という人を堕落させる鎖に囚われ1ミリたりとも動かない。


 早急に世界中の監獄はお布団メーカーさんと手を組んだ方がいいよ、いやマジで。


 布団ののしっとした重み、足元がじっとりと汗ばんだ不快感、鼻にツンとくる獣臭、それらすべてが薄れて曖昧になっていく最中、私はかすれゆく意識で布団の可能性について吟味して…………。


 獣臭?


 加齢臭とかじゃなくて?


 いや加齢臭だとしても十分問題なのだが。「いやー最近嫁から『あんた加齢臭くさいのどうにかしなさいよ』ってボヤかれるようになったんだよねー」とかそんな会話20代半ばでしたくない。


 と、それは置いといて。

 目はいつの間にかしっかりと覚めていた。ゆっくりと瞼を開ける。


 視界いっぱいに夕日のようなオレンジ色と白のコントラストが美しい大草原が広がっていた。

 より正確に言うと、俺の顔がちっこい茶白の猫のおなかにうずまっている状態だった。


 道理で息苦しかったわけだよ。


 文字通り猫の首根っこをつかむと引っ搔かれないようにして慎重に顔からはがす。

 なにがうれしいのか、つままれた子猫は笑うようにしてミィと鳴いた。


「――語葉さん。おはようございます」

 のっそりと身を起こし子猫を不満げに見つめる俺に、横から少女の声がとんでくる。


 すらりとした体躯に腰まで伸ばしたロングヘア。少女の前に“美”を付けても差し支えない顔立ちだが、受ける印象はどこか大人びたものを含んでいる。かといってそれが不自然に感じるわけでもなく、かえってガラス細工のような内に秘めた儚さと煌びやかさを醸し出している。

 そんな少女が頬に微笑をたたえ、俺に起床を促していた。


「ん。おはよう、雫」


「はい。朝食は軽めのものを作っておきましたので、外行の服装に着替えて降りてきてください」

 それだけ言うと俺の手元の猫をひと撫でし、回れ右して部屋から立ち去っていった。


 外行。何か用事でもあったかなと思案していると、さっきまで手の中にあったぬくもりが消え、頭にぽふんよりも少し重い衝撃が加わる。

 に~というなんとも可愛らしい雄叫びが聞こえてくるが、あいにくそこはジャングルでもなければ切り立った崖でもない。着替えるのに邪魔なので軽く頭を振って布団の上に振り落とすと、もそもそと布団から足を引っこ抜く。

 さて、今日も1日が始まる。




 用事というのは買い物だった。


 俺の安眠を邪魔したこの子猫、実は飼い始めたのはつい最近のことであったりする。

 春の氷雨が降りしきる如月中旬、雫が商店街近くの路地裏で見つけて拾ってきた。今時ご丁寧にも『拾ってください』とメモ書きが貼られた段ボールに、毛布と水と幾ばくかの餌に囲まれて小さくふるえていたらしい。


 俺も根っからの猫愛好家で、家族の中に猫アレルギーがいたため飼えなかったが、少年時代からあのもふもふと肉球のぷにぷにを堪能することを夢見て育ってきたので、二つ返事で許可した。


 それはともかく、うちに来た当初、子猫は水を受け付けるのがやっとの状態だった。おかゆのような流動食であっても戻してしまう為、せめてもと適温に温めたミルクを与え続けた。

 拾い主の雫は昼夜を問わず子猫に付きっきりで、離れようとしなかった

 そして現状、元気に動き回れるまで回復し、ほっと一安心というところである。


 そんな看病の折々、万が一さらに病状を悪化させるようなことがあってはいけないと思い、俺と雫はネットなどで情報を集め試行錯誤していた。玉ねぎやチョコレートなどの猫に食べさせてはいけないものから、周辺のドッグランならぬキャットランに適した場所、猫まさぐり術百八手なんてものもあった。


 そのときの感想を、いつもじゃんけんで締める国民的アニメ風にいうと、

 ・まさか猫にかつおぶしはアウトだったとは恐れ入った

 ・猫があれをはぐはぐしてる様を是非ともこの目で拝みたかった

 ・小さい頃からの夢を現実という名の壁に打ち砕かれた瞬間であった

 の3本でお送りされるだろう。お願いです来週もまた見て下さいと視聴者に土下座するレベル。


 若干ナーバスな気持ちになったりしつつもググっていくと、複数のサイトから子猫に市販のミルクを与えると下痢を起こすという情報を得る。

 そんなわけで、ちゃんとした猫用のミルク、猫缶、その他もろもろを買いに、近所の家電量販店までお出掛けである。

 雫は何かやることがあるらしく、自分から進んで猫との留守番を申し出た。



 買い物の途中、動物の餌コーナーのすぐ横の、『猫専用ふれあいグッズ』と称した猫じゃらし、ねずみのおもちゃ等を見て思わず食指がうごめいたが、ここはグッと自制。腹を空かせた子猫の待つ自宅へ稲光のごとくまっすぐ帰ることが、今回のオペレーションの最大ミッションである。

 また今度雫と一緒に来るか。

 そう結論付け、ひとつだけ余分なものを買って足早に家路につく。


 

 家のドアを開けると、サザエさん家よろしくタタタッと玄関先まで子猫が出迎えてくれた。

 だけではなく、そのままちょこんとそこにおすわりまでした。

 ……おk。まだ、おすわりとか教えてないだろという疑問はさておき、ここは一つ。


 可・愛・す・ぎ・る・だ・ろ。そのキラキラした目こっち向けんな。萌え死ぬ。


 疲れや眠気、そして理性が一瞬で吹き飛ばされるのを感じた。

 この気持ちの昂るままに思う存分可愛がってやろうと両手を差し出す。

 さあ、その手に持つ肉球で俺をさらなる天国へと導いてくれ……っ。


 その誘いに応じるかの様に、猫はおとがいを僅かに上げる。

 だんだんと近づいていく俺の手をするりとかわす。……ん?

 そしてモフるために手放した餌の入った買い物袋の端を咥えると、奥の部屋へと姿を消した。

 …………。


 俺の純情を返せッ‼


「おかえりなさいです、語葉さん」

 茫然自失していると、奥から逃げられないようにがっちりとホールドされた猫と雫が現れる。

 そのままてしてしと歩いてくると、おもむろに片方の手で戦利品を俺に差し出した。


「あ、ありがとう。そしてただいま」

 はい、と短く返し、背を向ける雫。そのあとを追う俺。

 居間に入り、さっそく買い物袋の中身をテーブルに並べる。その様子を興味津々に見つめる一人と一匹。


「雫。キッチンに紙のお皿あったっけ」


「ありましたよ。何枚必要ですか?」


「3枚頼む」

 とととっという足音を尻目に、しばし袋を開封したり缶詰を開ける。持ってきてもらった皿ごとに少量注ぎ、お猫様の目の前に献上。

 さて、品評会のはじまりである。



 今回買ってきたものは、子猫用のドライフード、猫缶、そして猫用ミルクの三つだ。この中から本人……否、本猫に選んでもらったものが以降の常食となる。

 と、俺はここであるきまぐれを提案してみる。


「なあ雫。ちょっと賭けをしてみないか」


「賭け……というと、猫ちゃんがどの餌を選ぶかということですか?」


「ご名答。勝った方は負けた相手になんでも一ついうことを聞いてもらえる。どう?」


 ん?いまなんでもって……言ったのは俺か。

 ま、今回はただの戯れ。俺は紳士なのでノープログレムである。


「……その勝負、乗ったです」

 よし、いい感じに雫のやる気も引き出せたところでステージもスタンバイOK。


「じゃあ、雫から先選んでいいよ」


「はい。じゃあ私は……ミルクを選ぶのです」


「分かった。じゃあ俺は猫缶でベットだ」


 3、2、1、ゴーなのです、と雫がそっと猫を床に離すと、僅かばかし警戒するような足取りで三つの皿に近づいていく。


 まず一番左のドライフードに興味をひかれたようで鼻先を近づける。まさかの大穴か!と思いはしたが、食べずにそのまま前足でふみふみし始めた。うーむ、これは予想外。そして可愛い。後でカメラ取ってこなければ。


 満足したのか、次のミルクの皿へ移る……がちょっと匂いを嗅ぐとその横をスルーしてしまう。憶測だが、今まで飲んでいたミルクと匂いが違うことに戸惑っているのだろう。隣からあぅ…と雫のか細い声が聞こえた。


 そしてラスト、猫缶の皿に到着。視覚的には初めて見る食べ物かもしれないが、匂いは食欲をそそられる一品のはず。勝利を確信し一人ほくそ笑む。


 だがまたしてもフンフンと嗅ぐと、その横を華麗に通過。コイツわざとじゃないだろうな。

 雫の表情が目に見えてポワァと明るくなる。しかし勝負はまだついていない。


 今はミルクと猫缶の皿のまわりをぐるぐると回っている美食家。何度もそれぞれの匂いを確かめるように嗅いでいく。その立ち振る舞いはまるで安物と高級品の違いを見分けるワインソムリエの気品ある姿を連想させた。


 そして……ついに決着の時は満ちる。


 何の前触れもなく、一匹の猫は動いた。

 俺達は瞬きするのも忘れその光景に見入ってしまう。


 まぎれもなく祖先の肉食獣の血がその体には流れていた。

 ズザザーッと何かを引きずる音が居間に響いたかと思うとぷっつりと途絶える。


 そして選ばれたのは……。


 選ばれたのは。


 NE☆KO☆KA☆Nに頭を突っ伏し、物言わぬ子猫の変わり果てた姿が物語っていた。


 いわゆる『ごめん寝』状態。


 俺氏完全勝利。右手を天高く突き上げる。どこか高揚感あふれるBGMと共に、ご愛読ありがとうございました語葉先生の次回作にご期待くださいのテロップが脳内で流れていく。


 そんなことに構わず、いつの間にかおいしくきれいに平らげた子猫はおかわりをねだってぺしぺしと俺の足元で肉球パンチを繰り出していた。やがて相手にされないと分かると、鋭くとがった爪に武器を持ち替え、俺が痛みに絶叫するのがそのまた一分後のこと。




 二人と一匹の食事も終わり、自然な流れで皆が思い思いの場所でくつろぎ始める。

 先程、深刻な身の危険を感じたため俺は現在、ソファーに座って猫軍曹の武装を取り上げる作業にいそしんでいた。ありていに言うと、買ってきた爪切りでカッティング中。深爪ギリギリを狙っていくスタイルである。


 向かい側のこたつにもぐりこんでいる雫はA4のノートにあーでもないこーでもないと何やら書き込んでいる。どうでもいいけど、最近裏面が白紙のチラシをまったく見ないなぁ、前は結構あったんだけどなぁ、と古き良き時代というものを偲ぶ。


「何悩んでるの、雫?」


「何って、語葉さんが出かける前にも言いました。猫ちゃんのお名前です」

 おおぅ、そういえばまだ名前を決めていなかった。飼うと決めてから日が浅いせいか、それともこれまでずっと猫の可愛さにやられ続けてそっちまで思考が回らなかったためか。おそらく後者だ。かわいいは正義。


「で、いい名前できた?」


「あともうちょいなのです」

 パチン。よし、爪切り終了。ほれ、雫の処へ行ってきなと猫を解放する。見ると、自分の爪もなかなかに伸びている。ついでとばかりに自分のも行う。パチン。


 それにしても名付け……か。名は体を表すとも言うことから、やはりこういうのはその特徴からひっかけたものがいいのだろうか。例えば、白猫ならそのまま真白。黒猫なら夜の暗さとかけてナイトとか。


 ここで我が家の猫の特徴を挙げておこう。性別はメス。性格、結構なやんちゃ。

 毛の色は秋の夕焼けのようなオレンジ、十五夜の月光のような白の計2色。

 顔立ちは猫好きのご近所さんに見せたところ、女子で例えるとひと学校で一人いるかいないかぐらいのべっぴんさんだとお墨付きをもらった。

 さらに言うと、鼻を境に漢字の八のかたちに色が分かれている。最近知ったがハチワレというらしい。上がオレンジで下が白だ。


 はてさて、どんな名前がこの子には付けられるのだろうか。


 願わくば、この子の美しさにも負けぬ素敵な名を。


 我が子の成長する様を見るかのように達観していると、うみゅ、とこちら側のこたつの側面から雫の頭だけがひょっこり出てきた。その姿、まさにかたつむりならぬ『こたつむり』。


「どうした雫。塩でも撒かれたいのかい?」

 雫は頭にはてなマークを浮かべたままフルフルと首を横に振る。

 雫が言いたいことを要約すると『一人じゃ決められないので、語葉さんも選んでくださいです」だそうだ。


「で、悩むってことは幾つか候補があるんだろ?」


「はいです。最初はタマやミケみたいなシンプルな名前にしようかなと思ったのです」


「まあシンプルイズザベストっていう言葉もあるし良いかもな。他は?」


「そこでむしろ逆をついて、ポチやハチ公なんてのもワンチャンあるかなと。犬だけに、です」

 雫さんのドヤ顔が目に眩しいです、ハイ。


「それで最終的にはシュレディンガ―がベストかなとフィールしたのです」

 よりにもよって地球上で最も猫を嫌ってそうなお方の名ですか。あとなぜにルー語?


「だめですか?じゃあシュールストレミングス、略してシュトちゃんで」

 ついに生命体ですらもなくなった。チョイスよ、お前が来いってか。


「……雫、もうちょっと違うヤツある?できればこの茶白な子猫にピッタリそうな名前とか」

 頬をひきつらせながらそう問うと、


「うむむ。なら雪の中のみかんちゃんなんてのはどうですか?」

「悪くはないと思うが、雫。ちょっと食べ物から離れt――」


「いま思いつきました。『目玉焼き~燻製した春ベーコンを添えて~』ちゃんがいいです」

「それただのベーコンエッグな」


 雫のハイセンスは常人には理解できるレベルを遥かに超越していたらしい。

 自分の案をことごとく棄却されたのがご不満なのか、むーとこちらに向けてくる彼女のジト目はじゃあ語葉さんも考えて下さいですと雄弁に語っていた。


「えと、俺も考えていいのか?」


「変なお名前だったらしょうちしないのです」

 今日のおまいう、いただきました。




 さてと。問題の種、我が家のお猫様は先程からこたつむりの上に陣取り、みかんをボールに見立ててじゃれついていた。そういえば柑橘類(かんきつるい)も猫には毒だったはずだが……。この様子を見る限り食べなければどうということはないらしい。


 微笑ましいその様子を視界に収めながら熟考。するとおもむろに先程俺の足にやったのと同じように猫軍曹はみかんに向かって肉球パンチを繰り出し始めた。

 なんとなーく嫌な予感に内心冷や汗を垂らす一同(二名)。しかし、やはりというべきか何かに業を煮やした軍曹殿はすぐさま制裁を決行。俺の手によってあの凶悪な武装(爪)は程よく剥ぎ取られた筈だが、それでも対象物の柔らかさには十分すぎたようで、本日二度目の必殺技が炸裂。勝敗は決したかのように思われた。

 だが…………。


「みっ、みぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあう⁉みっ、みっ、み~~~~~⁉」


 決闘者(デュエリスト)みかんの最後の抵抗、〈体液爆散(ただの返り血)〉というクロスカウンターが決まり、両者ノックアウト。視界をみかん汁ブシャーで潰された軍曹は「目がっ!目が~~っ‼」と、どこぞの大佐よろしくのたうち回りこたつから転がり落ちると雫の頭を踏み台にして大きくジャンプ。へぶっとあんまり可愛くない音の後に俺の腕の中にすっぽりと収まった。


「あーよしよし、痛かったなー」

 ゔに~と目をクシクシとこする猫を暴れないように抑え、半笑いでなだめていく。俺自身も、小中学校の給食で、メニューでみかんが出たときクラスの友人から同じことをされ手痛い洗礼を喰らった覚えがある。あとでそいつには牛乳飲んでる最中に変顔して吹き出させてやったが。


 当時を懐かしむように子猫の背をなでていると、

「わたひのことは心配ひないんですね、語葉さん」

 床に打ちつけた鼻を押さえるようにして、横からオーダーがかかった。


「心配してほしかった?」

 わずかばかり諧謔の念を込めて質問してみると、

「いえ、別に。そういうわけではないです」

 とクールかつ無表情に返されてしまった。


 しばらくの間、居間は子猫のぐずる音で飽和と不飽和を繰り返していく。

 雫の頭がこたつの中に引っ込んだかと思うと、また反対側の元の位置にもしょっと出てきた。


 素直じゃないなぁ。

 そのことに雫らしさを感じる半面、いくばくかの寂寥を覚えてしまう今日この頃。

 反抗期を迎えた娘を持つ父親のような感傷に浸りつつ曖昧な笑みでとりなすと、再び意識を思考モードに切り替える。


 うむ。やはり自分はこの茶白にちなんだ名前を付けたいらしい。

 となると後の問題はその茶白に因むものを想起することと呼び易さだ。あまりに凝りすぎて、今ちまたで話題になっているキラキラネームまがいにしてしまうのは極力避けたいし(猫だから気にしないとは思うが)、何より雫が気に入ってくれるとは当然思えない。

 茶白。茶色と白色。ブラウンとホワイト(たぶんオレンジとホワイトでも可)。

 はて一体何があっただろうか。

 

 目玉焼き……は却下。目玉焼きのめーちゃんだなんて目も当てられない。


 オレンジが太陽だとすると、白は…………雪原?

 駄目だ思いつかない。


 そういえば名前のないものに名を付けるときには感覚、つまりフィーリングが大事だと誰かが言っていた気がする。

 未知有象無象の一つに名前を付け、私達の理解の範疇にまでおとしめる行為であるのだから、その未知の段階で私達がそれについて感じたものを当てはめるのがこの世界では最適なのだ。と、訳のわからないことをまくし立てられ、そのときは頭がこんがらがっちゅれいしょんだったが、ここにきてその真髄が少し見えたのかもしれない。


 要するに、考えて分かるものではないのだから、それよりはいい答えが導けるだろう。


 Don’t think. Feel .――――――考えるな、感じろ、だ。


 そうすると、先程雫がたわいなく言った『みかんちゃん』というのも言い得て妙かもしれない。シンプルかつ分かりやすいし。

 でもなんだかなぁ、と言葉にならない物足りなさが心臓のあたりに綿のようなわだかまりを残す。


 ふと顔を上げてこたつ越しに庭に続くガラス戸の外に視線を向けると、ちらちらと陽の光を乱反射して舞い落ちる白いものが見えた。


「あ、雪なのです」


 この地方は比較的暖かい西の方に位置するため、白く冷たい雪というものはなかなかお目にかかれない代物だった。山の奥深く以外で雪が積もるなんてことは数年に一度で、今まさに春の陽気に包まれようというこんな時期に見かけるのはおそらく初めてかもしれない。


 もの珍しさにしばし意識を奪われていると、とたんに足元を通り抜けていく冷気が心臓がキュッとわしづかみにする。見ると、雫が勢いよく外へと続くガラス戸を開け放ち、白銀のシャワーを全身で浴びにいこうとするところだった。


 いつの間にか俺の手中から抜け出して再びみかんと第二ラウンドを開始しようとしていた子猫も、その様子を見て後を追随。おい猫、お前はこたつで丸くなる派だろうに。

 まったく。俺も外に出るほかないじゃないか、と誰にともなく呟いて俺もその後を追う。


 段差を降りてつっかけを履き、一人と一匹と同じ景色を堪能しようと空を見上げる。

 風はなく、ただしんしんと一粒一粒が光の中をかき分けていく様は、言葉にすると無粋に思われるほど幻想的な風景だった。


 滅多に見れるものでもないからか、この地方の人たちは俺含め、雪を見るとどうにも神秘的な風情を感じてしまうらしい。目に補正でもかかっているのだろうか。

 そんなことだから、またまたこの地方の人たちはシリーズで、過去に雪の降った日をずいぶんと詳細に覚えていることが多いというのがある。


 もちろん俺も覚えている。最後に雪が降ったのはたしか2ヶ月ほど前。その日は何をしていたんだったかなと思考をめぐらすと、今しがた記憶に浮上した小中、ついでに高校も同じだったクラスの友人の顔が頭に浮かんだ。


 ああ、そういえばその日はあいつの家で男二人寂しくささやかな飲み会を催していた。実際のところは、向こう何十人か目になる彼女との破局を向かえた彼の愚痴り会という底だったのだが。

 そんな俺にとって百害あって一利なしの環境下で開かれる会合にしぶしぶながらも参加したのにはちゃんとした理由がある。


 この友人、女性にモテたい一心で多彩な技能を会得しており、なんと資格まで取っているとのことらしい。

 俺が知っている限りでは、まず定番のギターから始まり、続いて海などで人知れず活躍するライフセーバー、彼女とのデートプランに有用な映画検定の資格、子供好きアピールとして保育士の資格と、お前一体何がしたいの?と言われるものまで多岐に取り揃えてあるらしい。


 そんな中で俺が最も重宝しているのが、彼の持っているバーテンダーの知識だ。

 本人はかじっただけと語っているが、彼が趣味で作るカクテルの美味いのなんの。


 その味に舌鼓を打ちながら絶賛していると、向こうもほろ酔い状態で気分が良くなったのか、そのレシピや名称、果てにはその花言葉ならぬ酒言葉まで教えてくれるというのだから、退屈しない和やかな酒盛りを送ることができる。


 まあ彼の話は置いておくとして、この地方では珍しく雪の降ったその日、彼にしてはめずらしく雪にまつわるカクテルという風情ある一杯を提供してくれた。


 程よい大きさのワイングラスにクラッシュした氷を半分ほど詰め込む。そこに白ワインをベースとしてオレンジジュースとグレナデン――ざくろのシロップを適量混ぜ合わせたものをなみなみと注いでいた。見た目は皮をむく前のマンゴーに透明感を足したものに近い色合いだったような気がする。

 たしかそのカクテルの名は――――――


「語葉さん」


 隣で白雪が描き出すラメ色のキャンバスに目を輝かせていた雫が俺の名を呼ぶ。

 恍惚とした表情で空を眺めるその姿は、教会で神に祈りをささげる修道女を彷彿とさせた。


「雪、積もると思うですか?」

 その期待に満ちた年相応な発言と声音に人知れず頬が緩む。


「さぁどうだろう?でも…………積もるといいね。」

 それに同意するかのように、雫の腕に抱かれた子猫がに~と鳴いた。

 たおやかな時が、風に乗って運ばれていく。


 積もるといいね、か。

 どっちつかずの言葉を雫の前では口にしたが、おそらくこの雪は積もらない。

 雫には言ってないが、この地域に現れる冬の特色というものが実はもう一つだけあった。

 もうすぐ冬が終わる。その顕著な例と言ってもいいのが『春一番』が吹くことだろう。

 この町では、必ずと言ってもいいほどその前に、さめざめとした白雪が降る。

 冬が最後の力を振り絞るかのように。

 その残滓を人々の記憶に刻み付けるように。

 その雪は細々と、されど日がな一日途切れることなく降り続けるのだ。

 そして雫は、まだそのことを知らない。

 けれど。


「雫」


 けれど、そんなことはきっと些細なことだ。

 たとえ季節が移ろい変わっていくとしても。


「いい名前が浮かんだんだけど」


 俺達はこの景色を、この時間を忘れることはない。

 これから先、この名を聞くたびに今日のことを思い出すだろうから。


「“クウラ”なんてどうかな」




 『ワイン・クーラー』:ワインをベースに、ジュースやシロップなどを混ぜ、主に冷たくして飲むカクテル。オレンジジュースとグレナデンシロップを加えるのが主流。

 酒言葉は、『私を射止めて』。

 ごくまれに『ホワイトスノウ』と呼称されることも。





 ~その後の話~

「雪が積もったら、雫は何がしたい?」

「シロップ持ってくるのです」

 喰う気か!雪を‼

 ぶるーはわいがいいのですとごねる雫を捨て置いて、直ちに質問に訂正を加える。 

「そうじゃなくて、雪が積もったら何して遊びたい?ってこと」

「なら雪合戦するのです。相手チームに石の入った雪玉をこれでもかと投げつけてやるのです」

 雫さん、マジパネェっす。……………死人が出るから止めようね。

「あと氷像も作るのです。2つの球形の土台に挟まれた天高くそびえたつ主砲作りなのです」

 ネオアームストロングサイクロンジェットアームストロング砲じゃねーか。

 完成度っつーか、理想がタケーなオイ。

「じゃなくて!もっと一般的な遊びはないの⁉」

「リア充どもの作ったかまくらをヤツらごと爆破してやるのです!ドカーンなのです」

「もういいわ‼」



 fin.

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