深海にすむ~沈むシズムしずむ~
真夜中である。深夜の病院の一角。図書室だ。数日前に訪れた依頼人、北山涼介の元に来たのだ。零司とチノは事件解決に向けてこっそりと忍び込んだ。
知性あふれる女性の話をしよう。
「参考書をください」
女性は知る楽しみを知った。
「資料をください」
女性は知る喜びを知った。
「頭脳をください」
女性は知る快楽を知った。
「あなたをください」
女性は知ることを失いたくなった。
女性は魔性の道を行くことになった――――。
「ほら~やっぱりお前が犯人だったんだな」
「……」
病院荒らしの犯人。それは、やはり彼女だった。
「ねえ、なんか言ったらどうなんだよ。ていうか、王の前なんだけど? その態度なくなーい?」
「くっ」
チノ・アーサタントは愉快に嗤う。自分よりずっと背の高い彼女を腕一本で持ち上げている。首を絞め殺そうとしているわけではない。
死ぬ手前で息をさせている。
「あっは。そうか、話せないか? そーかそーか。それはそれは」
「っはあ! はあ!」
「下民にピッタリなことだね」
パッと首を開放してやると大きく息を吸い込む犯人。そう、ジーニア・スリラ。
「はあっはあっ」
「はははは! 惨めだねえ! すっごい阿呆だねえ!」
チノはずっと笑っていた。本当にバカみたいに笑っていた。相当苦しめられたのか、ただ息をつくしかないスリラは悔しいのか、苦しいのか、目に涙をためていた。
「泣くの? ねえ、ここで。人間の目の前で泣いちゃうんだ! わ~! それって精霊としてどうなの~?」
「チノさん……。そこまでにしといてください」
「え~れーじ! それは甘えだぞ! む、でも人間には逆らえないか……」
先ほどまで空気だったちのの人間である零司が静止させると、スリラに疑問を投げかけた。
「ジーニアスリラさん。なぜ、毎晩図書室を荒らすんですか」
「それは」
「スリラ。答えてくれ」
スリラのマスターである涼介が顔を青くしてさらに問い詰めた。彼女の答えは。
「私が、知性に飲まれたからよ」
あっさりと真実を口にするスリラは吹っ切れたようにさらに言い続けた。
「私は知ることが【楽しみ】【喜び】【快楽】なのよ! 馬鹿みたいなあんたたちと違ってね!」
「ふ~ん、それを口にしたってことは覚悟が出来てるってことか」
「いいえ、覚悟なんてしてないわ。あなたと違って私は目的をもって罪を犯したのよ」
彼女の罪。それは【知りすぎた】【知ることに執着しすぎた】ことである。なんともアホらしい罪だが、彼女にとってそれは誇りだった。
もはや精霊界では何一つと知らぬことはないのだろう。だからこそあえて罪を犯して人間界に来たのだ。
「ほお。ジーニア、お前今度は人間界でもその罪を犯そうとしているな? だがしかしそれは許せないなあ」
「なぜ? 貴方にそんな権利ないはずよ?」
くくく、と笑いを抑えたちのの瞳は血に飢えた野獣の如く怪しげに光っていた。薄暗い図書室が異質に思えた。これは、チノ・アーサタントのカリスマ性なのだろうか。
「なんで? そんなことも分からないんだ? だったらその目的は果たせないね」
完全にチノによる煽りに乗ったスリラ。チノは人の話を聞かないからの強さを持ち合わせている。いかなる頭脳明晰のジーニアによる理論攻撃もまったく効かない。
チノの機嫌もここまでだ。散々馬鹿にされて来たのだから、チノは彼女を消してしまうだろう。
つまる、彼女は死ぬ。人間界とも精霊界ともお別れ。
「っと思ってるかもしれないけど、お前なかなか面白い反応だったからな。殺すのはやめておくよ。この世の全てを知ろうとしてるわけだけど、まあ、それがどこまでできるか、こっちで見させてもらうよ。知性のおんな?」
「……あっそ」
スリラはそれだけ言って、イヤリングに戻っていった。戻るさい小さな声で涼介に謝罪をしていたのは聞かなかったことにしよう。