ある日森の中
濃い草の匂いが鼻腔をくすぐる。先ほどまでいた場所は無臭だったせいか、懐かしさめいたものを覚えた。
今俺がいる場所は見渡す限りに樹木が生え、天高く伸びている。茂った枝がどの木にもあり、わずかな間からしか空が見えない。日の光がまともに入ってこないような森林なんて久々だ。
「さて、まずは貰った本でも読んでみるとするかな。とりあえずは魔法の本を読みたいし」
魔法のある世界に来たんだ。まずは試してみるにこしたことはない。
どこか落ち着ける所を探して、練習だ。色々と疑問はあるが、幸い時間はいくらでもあるし、食料や水も魔法があればある程度はどうにかなるだろう。
「それじゃあまあ、行ってみますか」
そう言った途端だった。すぐ側の茂みからそれが出てきたのは。
四つんばいだからわかりにくいが、おそらく体長はニメートルほどで体全体を茶色の毛で覆い、鋭く太い爪に牙がその凶暴さを象徴している。体全体も太く、腕なんか丸太のようだ。軽く撫でられただけで吹っ飛びそうである。いわゆる、アレ――クマだ。
「グオオオォォォォオ!」
威嚇のためかクマは俺に咆哮を向けた。
まあ、結論から言わせていただこう。
ちびりました。
ムリムリムリ! 心構えも何もできていない状況で大型肉食獣に出会ったら、平静でなんていられるわけがない。大の方を我慢できただけ、褒めてほしい。
「……あっ、うぁあ」
何とも気の抜けた、情けない声が俺の口からもれた。
……自分のヘタレ具合に目から塩水がこぼれそうだ。
とりあえず俺のヘタレ具合は置いておくとして、何をするべきか早急に決めるべきだ。今はクマとのにらみ合いが続いているおかげで、無事でいるがこんな状況は長くは続かない。すぐになんらかのアクションがあるはずだ。
逃げるべきか、戦うべきか、決めなければ――んっ、アレ? いつの間にクマは立ち上がっていたんだ。どうして、クマは右手を振りかぶっているんだ。なんで、その振りかぶった右手を、俺に叩きつけるんだよ!
「危なっ!」
横っ飛びにジャンプすることで避けることができたが、運が良かっただけだ。次もできるとは限らない。
くそっ! 人が対応を考えている時に攻撃するだなんて、なんて卑怯な奴だ。そんなんじゃ、特撮番組の悪役になることなんてムリだぞ! あいつらは変身するときとか待っていてくれるんだからな!
「ブォォォオオ!」
俺を完璧獲物と見なしたようで、気合を入れた叫びと共に再度頑強そうな爪が、俺目掛けて振り下ろされる。だが、先ほどもとっさにかわせた様に、スピード自体は対処できる速度だ。うん、これならもしかしたら、アレができるかもしれない。
俺はとりあえず、技を叫んでみた。
「喰らえ! ジョルトカウンター!」
全体重を乗せた右ストレートをクマの振り下ろしの右を避けつつ、アゴへと打ち込む。ダンプカーがぶつかったみたいな音が聞こえたと同時に、ものすごい勢いでクマが吹っ飛んで行った。
スーパーボールのように何度か頭からバウンドし、最後は木にヘディングをするように頭からぶつかりようやく止まった。――おそらく死んでいるだろう。
なにせ、俺の拳は赤黒い血液で染まっているのだから。あごがどこかへ飛んで行ったようだ。
何というか、アレだな。俺の体、思いの外チートみたいだ。