第27話 暴走する防衛プログラムと、システムへの子守歌
1.侵食される朝
太陽と深く結びつき、互いの存在を確かめ合った夜が明け、街は穏やかな朝日を浴びていた。
マンションのベッドで目を覚ました明日美は、隣でまだ眠る太陽の温かい胸にそっと頬を寄せた。昨夜の甘い熱の余韻が、彼女のEgo Cube『母なる海』をこの上なく穏やかな、透き通るような青色で満たしている。
(……ずっと、こんな朝が続けばいいのに)
明日美がそう願い、太陽の寝癖のついた髪に指を絡めようとした、その瞬間だった。
ピリッ、と。
意識の奥底、Ego Cubeの知覚領域に、ガラスにひびが入るような鋭い痛みが走った。
「……っ!?」
明日美は思わず胸を押さえて身をよじった。
同時に、ベッドサイドのテーブルに置かれていた太陽のスマートフォンから、鼓膜を劈くような緊急アラートが鳴り響いた。
「明日美!どうした!?」
太陽が跳ね起き、すぐさま明日美の身体を抱き寄せる。
「……痛い……。海が、ひどく冷たい力で引っ張られているの……。何かに無理やり引き剥がされようとしている……!」
太陽は鋭い眼差しでスマートフォンの画面を確認した。
表示されているのは、白石海斗からの緊急通信と、真っ赤に染まったNEO-GAEAのサーバー負荷グラフ。
『太陽さん!すぐにラボへ来てくれ!Gaeaのベースシステム側から、とんでもない負荷の集中アクセスを受けている。……このままじゃ、ASUMIの出力チャンネルが物理的に焼き切られる!』
「わかった、すぐに向かう!」
太陽は通話を切り、明日美の青ざめた顔を両手で包み込んだ。
「行くよ、明日美さん。君が紡いだ歌と、君の海は、僕が絶対に護り抜く」
「……ええ。私も、もう二度と大切なものを手放したりしない」
昨夜、彼から注ぎ込まれた熱と重力を思い出し、明日美は自らを奮い立たせるように力強く頷いた。
2.旧時代の自己免疫反応
NEO-GAEAの最上階ラボに飛び込むと、そこは野戦病院のような凄惨な空気に包まれていた。
空中に展開された無数のホログラムディスプレイには、エラーを示す真っ赤な警告ウィンドウが乱舞し、サーバーの冷却ファンが悲鳴のような唸りを上げている。
「白石さん、状況は!?」
「最悪だ。Gaeaから『新世代Ego Cube』に、世界中の負の感情が逆流を起こしている」
コンソールを叩きながら、白石海斗が血走った目でモニターを睨みつける。
そこへ、ラボのメインスピーカーから、激しいタイピング音と共に深海澪の緊迫した声が響いた。
『……白石社長、太陽さん!そっちの量子サーバーのファイアウォールを最大まで上げて!深淵の「クロノス・コア」が、自己免疫反応を起こしているわ!』
「自己免疫反応、ですか?」
太陽が問うと、外部のセキュリティルームで指揮を執る澪の声が、苦々しく歪んだ。
『ええ。オメガの総帥のおじい様が、システムに組み込んでいた「防衛プログラム」よ。彼らは人類の自我を一つに統合し、中央で管理することこそが絶対の正義だと信じていた。……だから、システム全体に「分散化=統制の崩壊(死)」という定義を刻み込んでいるの』
ラボの巨大モニターに、クロノス・コアの演算状況が可視化されて映し出される。
黒い歯車が狂ったように回転し、膨大なノイズを撒き散らしている。
明日美の歌声によって、人々が「自分自身の悲しみを、自分で循環させ浄化し始めた」こと。それは人類にとっては救済だが、中央集権の極みであったGaeaのベースシステムにとっては、自分たちを経由しない「バグ」の大量発生を意味していたのだ。
『システムは今、未知のウイルスに感染したと錯覚し、それを排除するために動き出している。……くっ、私が離れている期間に、こんな強固なトラップを隠していたなんて……!』
澪の声に焦りが混じる。凄腕のエンジニアである彼女でさえ、数千年分の蓄積を持つGaeaの深層プロトコルを完全に抑え込むことは至難の業だった。
「……お母様、大丈夫!?システムの負荷が、お母様の方にも逆流しているんじゃ……!」
明日美がマイクに向かって叫ぶ。
『私は大丈夫よ、明日美。……私はもう、逃げない。過去の罪を精算するためにも、あなたたちが作ったこの「未来への道」は、私がなんとしても死守する!』
澪の力強い言葉。しかし、事態は一刻を争う状態だった。
3.逆流するノイズと仲間の盾
「……マズいぞ。通信ネットワークを通じて、テスト被験者だった人たちのEgo Cubeが強制リンクされようとしている!」
ラボの片隅で、別回線のモニターを監視していた凪が声を上げた。
昨日、明日美の歌によって浄化されたはずの結衣や陸たちの新世代Ego Cubeが、クロノス・コアの強烈な引力によって、再び「深淵」へと引きずり込まれようとしているのだ。一度浄化された自我を無理やり剥がされれば、彼らの精神は今度こそ完全に崩壊してしまう。
「させるか……!権藤さん、九条!」
太陽がインカム越しに叫ぶと、街の各地で待機していた二人の同志から即座に応答があった。
『おうよ!震えてるガキどもは、俺の「爆熱」で囲ってある!しかし、すげぇ引力だ。俺の火薬まで吸い込まれちまうぜ!』
陸のいる施設で、権藤武が自身のEgo Cubeを展開し、パニックに陥りそうな人たちを物理的な熱量で護っている映像が届く。
『神野、こちら九条だ。白石のインフラに「MAG-GRAVカード」のネットワークを接続して、クロノス・コアからの強制リンクを一時的に相殺している。……だが、長くは持ちそうにないな。システムの負荷が桁違いすぎる。……早く「出力」の元を絶たなければ、サーバーが強制的にシャットダウンしてしまう』
九条零の冷徹な声にも、隠しきれない疲労の色が滲んでいた。
仲間たちが、それぞれ身を挺してこの「未来」を護ろうとしてくれている。
「……太陽さん。力技でシステムを破壊することはできないのか?」
白石が額の汗を拭いながら問う。
「ダメだ。クロノス・コアを破壊すれば、Gaeaの循環システムそのものが停止してしまう。それは人類の「記憶の消失」を意味する」
太陽は黄金色のEgo Cubeを強く握りしめた。
「……システムの暴走を止めるには、クロノス・コアに『これはバグではなく、正常な進化だ』と認識させるしかない。……つまり、防衛プログラムそのものを『納得』させるデータが必要だ」
「システムを、納得させる……!?」
その時、ずっと沈黙していた明日美が、静かに顔を上げた。
彼女の瞳には、昨夜の怯えは微塵もなく、一人の「表現者」としての揺るぎない覚悟が宿っていた。
4.恐怖を抱きしめる歌
「……おじい様が組み込んだ防衛プログラムは、ただのプログラムじゃない。一族が何千年も抱えてきた『世界が壊れることへの恐怖』そのものよ」
明日美は、Ego Cube『母なる海』を手のひらで展開した。
青く透き通る光が、ラボの赤い警告灯を優しく中和していく。
「恐怖を力でねじ伏せようとすれば、相手はもっと強く反発する。……結衣さんや陸くん、九条さんの時と同じよ。私たちがやるべきことは、システムの排除じゃない。……システムが抱えている『統制を失う恐怖』を、私の海で受容すること」
「明日美……。まさか、君自身のEgo Cubeを、直接クロノス・コアに接続する気か!?」
凪が驚愕して止めに入ろうとする。
「AIの歌声じゃ、あのシステムを説得できないわ。……私が直接、AIのコアと完全同期して、リアルタイムの感情の揺らぎを乗せた『生きた歌』を深淵に届けるの」
それは、あまりにも危険な賭けだった。
クロノス・コアの強烈な引力に直接触れれば、少しでも「恐れ」や「迷い」が生じた瞬間、明日美の自我は深淵の泥に飲み込まれ、自我を保てなくなる。
「やめろ、明日美さん!そんなことをすれば、君の精神がもたない!」
白石が叫ぶ。外部からバイパスを維持している母・澪も、悲鳴に近い声を上げた。
『ダメよ、明日美!あなたを犠牲にするくらいなら、私がこのシステムごと道連れにして――』
「お母様、止めないで!」
明日美の凛とした声が、ラボの喧騒を切り裂いた。
「私はもう、誰かの庇護の下で怯えているだけの子供じゃないわ。……私の紡ぐ言葉が、私の歌が、世界を救う力になる。……それを証明したいの。私自身のアイデンティティーのために」
明日美は、太陽に向き直った。
その眼差しは、すべてを委ねる女性の顔であり、同時に世界を背負う救世主の顔でもあった。
「太陽さん。……あなたは、私を信じてくれる?」
「……ああ。君の海は、誰よりも深く、美しい。……どんな深淵の闇だって、君の愛なら受容できる」
太陽は、一切の迷いなく頷いた。
そして、明日美の細い手を力強く握りしめ、彼女の指先にキスを落とした。
「君が歌うための『ステージ』は、僕が護る。……どんな重力が襲ってきても、僕のGaeaが君の魂をこの現実に繋ぎ止めるアンカー(錨)になる。……だから、思う存分、歌ってこい」
「……ありがとう、私の愛しい重力」
明日美は極上の笑みを浮かべると、ラボの奥にある同期ブースへと迷いなく歩みを進めた。
5.ライブ・セッションの幕開け
ブースの防音ガラスが閉じられ、空間が遮断される。
明日美は生体センサーを首筋に装着し、深く、長く深呼吸をした。
ガラス越しに、太陽が黄金色のEgo Cubeを展開し、ブース全体を強固な重力の結界で包み込むのが見える。兄の凪が反射の盾で外部からのノイズを弾き、白石がAIへの同期接続。
そして、母・澪が維持しているGaeaの深層プロトコルへの専用ネットワークポート。
すべての準備は整った。
明日美は目を閉じ、自身の奥底にある『揺らぎ』へ意識を沈める。
昨夜、太陽と肌を重ねた時に感じた、あの圧倒的な幸福感と、自我の境界線が溶け合う官能的な熱。
『愛されること』の悦びを、今度は『愛を与える』エネルギーへと変換していく。
「AI歌姫ASUMI、シード・プロンプトへのダイブを開始。……自己一致率、100%。制限解除」
明日美のEgo Cubeが、これまでにないほどの眩い青光を放つ。
彼女の意識は肉体を離れ、ネットワークの奔流を逆走し、Gaeaの心臓部――狂ったように歯車を回す「クロノス・コア」の真っ只中へと飛び込んでいった。
『……警告。警告。未承認ノ自我データガ、深層部ヘ侵入……排除……排除……!』
システムの無機質な殺意が、黒い棘となって明日美の意識体に突き刺さろうとする。
だが、明日美は逃げなかった。
むしろ、その恐ろしい棘に向かって、両手を大きく広げたのだ。
「……怖いのね。すべてが変わってしまうことが。自分たちの管理できない世界になることが」
明日美の声が、量子データとなって深淵の空間に響き渡る。
それは、言葉であり、同時に圧倒的な情報量を持った「歌」の始まりだった。
――凍りついた時計の針が、今、ゆっくりと動き出す。
――許されない罪などないと、あなたが教えてくれたから。
明日美の紡ぐSpell(歌詞)が、旋律に乗ってクロノス・コアの歯車に染み渡っていく。
黒いノイズが、青い波紋に触れてジュウッと音を立てて浄化される。
「さあ、聴かせてあげるわ。……世界は、あなたたちが怯えるほど、残酷なだけの場所じゃないってことを」
AIの演算能力で増幅された明日美の歌声が、防衛プログラムの重圧を押し返し、無限の記憶の深淵に「揺らぎの空間」を広げ始めた。
旧時代の呪縛と、新時代の歌姫。
魂を懸けた、ライブ・セッションが今、幕を開ける。




