冷たい視察
婚姻式の日から2ヶ月。
レオルクスは一度もコトルナを訪ねようとしなかった。
ーーー用事があるわけでは無かったし、必要だと感じなかった。
そのため、夫婦でありながら、まだ一度も言葉を交わしてすらいない。
柔らかい陽射しの中、コトルナはいつものように本を開いて過ごしていた。
不意にドアが叩かれる。
公爵家に嫁いで、初めてのこと。
「はい…」
振り返らずに一言返した。
「…おい」
不機嫌そうな呼びかけに、慌てて立ち上がり頭を下げる。
この屋敷でコトルナに、こんなに横柄に話しかける人物は一人しか居ない。
「旦那様とは知らず、失礼を致しました…」
ーーーふん。と鼻を鳴らしてから話を始める。
「お前、馬には乗れるか?」
「一通りの制御は身につけておりますが…あまり得意ではございません」
「そうか。明日、領内の視察に行く」
「左様でございますか」
「お前も来い。日の出の鐘と共にここを発つ。それだけだ」
言い切って部屋を出ていった。
残されたコトルナは、再び閉ざされた扉を見つめていた。
理解ができなかった。
何の前触れもなく、いきなり視察への帯同を言い渡された。
分からない…分からないことが多すぎる。
溜息を吐きながら、セドリックを呼んだ。
「ーーーと言うわけで、視察への帯同を言われました。
旦那様は領内と言ったけれど、それ以上を言わずに帰ってしまわれて…」
セドリックが一瞬目を見張った…ほんの一瞬。
しかし、すぐに平静を装いいつも通りに返事を返した。
「かしこまりました。急ぎマルタとご用意致します。」
そう短く告げて、コトルナの部屋を後にした。
日の出の鐘が鳴る頃、コトルナは簡素なドレスに身を包み馬車に揺られていた。
車内にレオルクスの姿は無く、御者の隣で何か話し込んでいる。
二刻ほど揺られていただろうか…
いきなり止まり、扉が開かれた。
「降りろ。ここから歩く」
その道は馬車で進むには狭く、手入れもされていなかった。
軍靴で進むレオルクスと、低めだがヒールのブーツを履いているコトルナの間はどんどん開いていく。
ーーーやがて、小さな村の入口に辿り着いた二人を真っ白な髭を湛えた老人が出迎えた。
「遠いところをありがとうございます、テルミア公爵様。」
「ああ。」
「…そちらの御婦人は?」
「針仕事の手がたりないんだろ。」
「ですが高貴な方のお手を煩わせるわけには…」
「気にするな。いつも通り、女たちは教会にいるか?」
「…はい。」
老人がまだなにか言いたげに口をもごもごしていたが、レオルクスは歩き出した。
ーーどうやら、コトルナを連れてきたのは針仕事の手伝いをさせる為らしい。
勝手知ったる…なのだろう。
レオルクスが村の奥に見えるちいさな教会に入っていく。
それに老人とコトルナが続いた。
「まあまあ坊っちゃん!」
一人の老婆がレオルクスにいち早く気付き、手を止めて歩み寄ってくる。
「おう、変わりないか?」
「いつも通りですよ。なかなか雨が降らないから作物がーーーあら?」
少し遅れて教会に入ってきたコトルナに視線をやる。
伏し目がちで不安そうな表情を隠しきれていない。
「王国のお嬢さんだね。…こんな辺鄙な村にどんなご用で?」
「俺の妻だ」
「あらぁ…坊っちゃんの奥方様でしたか」
「コトルナです……」
妻という一言が、静かだった教会にざわめきを呼んだ。
「俺はジジイ達と灌漑工事の進捗を見てくる。
婆さん、こいつのこと頼んでいいか?」
「ーーーーはいはい、わかりました。」
老婆の少しの間……考えを廻らせての返事を聞き届けてから、レオルクスはその場を後にした。
「さて、奥方様…立ち話もなんですから、こちらにお掛け下さい」
そう言ってコトルナに一つの椅子を用意し座るように促した。
おずおずと座ったのを見届けてから、ポツリポツリと話が始まった。
少し離れた場所から、針仕事をしながら村の女達が耳を澄ましている。
老婆によって語られたのは、コトルナの感じたレオルクスとはかけ離れた人物像だった。
先代の公爵とその奥方…両親に大切に育てられた幼少期。
母を病で亡くし、そのすぐ後に始まったスヴァローグ帝国とヴェレス王国の国境争いで、父親も亡くした青年期。
そして、帝国最年少の公爵として奮闘している現在。
国は違えど、同じ公爵家の子息ーーーだと思っていた。
「坊っちゃんは、人との関わり方も、お仕事も不器用なんです。今日の視察だって、工事の様子を知りたいだけなら人を送れば済むことでしょうに…。奥方様、貴女のこともです。どのような理由を聞いて来たかは存じませんが、きっと連れてきたかったのですよ」
「私を連れて来たかった?」
「ええ…。坊っちゃんは、本当に関心のない人間を連れて歩く人ではありませんよ。大方、私に会わせるためでしょうね」
「あの…あなたは?」
「私は坊っちゃん付きのメイドでした。引退して、故郷のこの村に戻りましたがね」
「そうだったんですね」
「さて、お話はこれくらいにして、お昼ご飯でも用意しましょうか。奥方様には坊っちゃんの好みをお教え致しましょう」
さっと糸の始末をして立ち上がった。
「お名前を訊いても?」
コトルナも慌てて立ち上がり声をかけた。
「エマとお呼びください」
口元に優しい笑みを称えながら、ゆったりとした口調で応えた。
レオルクスの好物は簡単だった。
牛肉のシチューと香辛料をしっかり効かせた串焼き。




