第1話 霧島ユウマの日常① ――探偵の目
朝の教室。
霧島ユウマは、窓際の席でぼんやりと校庭を眺めていた。
春の風がカーテンを揺らし、
まだ眠そうなクラスメイトたちの声が遠くに聞こえる。
「……今日も平和だな」
そう呟きながら、ユウマは机の上に置いたノートを開いた。
表紙には、黒いペンでこう書かれている。
《観察メモ》
ユウマはスキルも特殊能力もない、ただの高校生。
だが、ひとつだけ人より優れたものがある。
観察力。
祖父が元刑事だった影響で、
小さい頃から“人の癖”や“嘘の見抜き方”を叩き込まれてきた。
そのせいで、ユウマは人の行動の“違和感”に敏感だった。
今日の観察メモには、すでに数行が書かれている。
・風間レン、今日も財布を机に置きっぱなし
・白川ナギサ、寝不足。目の下にクマ
・姫野アリサ、髪を結ぶ位置がいつもより高い
・教室の空気が少し重い(湿度?)
「……湿度は関係ないか」
自分でツッコミを入れながら、ユウマはペンを走らせる。
そんな時だった。
「おはよ、ユウマ」
声をかけてきたのは、
クラスの優等生・姫野アリサ。
長い黒髪を揺らしながら、柔らかい笑みを浮かべている。
「おはよう。今日も早いね」
「うん。……あ、ユウマくん、また観察メモ書いてるの?」
「まぁ、癖みたいなもんだよ」
アリサはくすっと笑う。
「ユウマくんって、探偵みたいだよね」
「探偵ってほどじゃないよ。ただの趣味」
そんな会話をしていると、
教室の後ろから騒ぎ声が聞こえた。
「おい! 誰だよ、俺の財布盗ったの!」
声の主は、クラスの人気者・風間レン。
ユウマはため息をついた。
(……またか)
レンは悪い奴ではないが、
財布を机に置きっぱなしにする癖がある。
アリサが心配そうに言う。
「ユウマくん……また、見てあげるの?」
「まぁ、放っておくと面倒になるし」
ユウマは席を立ち、レンの机へ向かった。
「レン、財布ってどこに置いてた?」
「ここだよ! 机の上!」
ユウマは机の上を見て、すぐに違和感に気づいた。
(……埃の跡が不自然だな)
机の上には薄く埃が積もっている。
だが、財布が置かれていたはずの場所だけ、
四角い跡が残っていない。
ユウマは言った。
「レン、財布は“ここ”には置いてないよ」
「え? いや、置いたって!」
「置いたなら、ここに四角い跡が残るはずだよ。
でも埃が均一に積もってる。
つまり、財布は“最初からここに無かった”。」
レンは目を丸くした。
「じゃあ……俺の勘違い?」
「たぶんね。昨日、体育館で落としてたよ」
「え、マジで!?」
「ほら、昨日の帰り、体育館で転んでたろ。
その時にポケットから落ちてた」
レンは頭をかいた。
「……お前、なんでそんなこと覚えてんだよ」
「覚えてるんじゃなくて、見てただけ」
アリサが微笑む。
「やっぱりユウマくん、探偵みたい」
ユウマは肩をすくめた。
「ただの観察魔だよ」
その日の放課後。
ユウマは帰り道で空を見上げた。
「……なんか、今日は空が変だな」
雲の流れが妙に速い。
風向きも一定しない。
アリサが隣で言う。
「ユウマくん、どうかしたの?」
「いや……なんでもないよ」
アリサは少し心配そうに眉を寄せた。
「最近、ずっと空を見てるよね。
何か気になることでもあるの?」
ユウマは曖昧に笑った。
「ただの気のせいだよ。
……でも、なんか嫌な予感がするんだよな」
アリサは静かに言った。
「ユウマくんは、いつも正しいから……ちょっと怖いね」
ユウマは苦笑した。
「俺は探偵じゃないよ。
ただの高校生だよ」
そう言いながらも、
胸の奥に小さなざわつきが残っていた。
風が、妙に冷たい。
空の色が、どこか薄い。
まるで――
世界が何かを隠しているような。
夜。
ユウマは自室で観察メモを開いた。
今日の最後の一行に、こう書き足す。
・空の揺れが大きい。風向きが不自然。
・校舎の影が、夕方にしては長すぎる。
・アリサの表情が、いつもより硬い。
「……気のせいだよな」
そう呟いて、ノートを閉じた。
だがその瞬間――
窓ガラスが、かすかに震えた。
ユウマは息を呑む。
「……地震?」
違う。
揺れ方が不自然だ。
まるで、
空間そのものが歪んでいるような――
ユウマは窓の外を見た。
夜空に、
一瞬だけ“光の線”が走った。
「……なんだ、今の……?」
胸騒ぎが、強くなる。
だがユウマはまだ知らない。
この“違和感”が、
異世界への転移の前兆だったことを。
そして――
彼の平和な日常が、
あと二日で終わることを。




