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金の匂いがする方へ ―魔獣と歩いた、商いの始まり―  作者: ちわいぬ
第二章 動く時

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第29話 仕事の音


家へ戻る。


ユマは戸の前で待っていた。手を洗う桶がすでに出ている。刃物も並んでいる。人が増えると、家が作業場になる。


「おはようございます。今日はこれですね」


ユマが獲物を見て、すぐ顔を上げた。


「腐る順でいきます。肉を塩。脂は火に。皮は剥いで干す。骨はあとで」


「任せる。俺は樹脂を工房へ入れてくる」


「わかりました。あ、骨は細いのが取れそうです。針にできますよ。留め具も」


当たり前みたいに言う。


ハルは一瞬だけ笑いそうになって、すぐ口を閉じた。笑うほど余裕はない。だが、そういう提案が出る家になったのは確かだ。


オウが荷車の柄を肩に乗せ直す。


「工房まで走るか」


「走る。今日は短く済ませたい」



工房へ。


樹脂の袋を渡し、受け取りはさらっと済ませる。親方は余計な話をしない。

治療院と揉めている最中だからこそ、言葉は削る。


代わりに、目だけが動いた。


机の端に、小さな包みが置かれている。ハルが預けた“匂い”の欠片だ。まだ開かれていない。触れられていない。


親方はそれを見てから、ハルを見た。


「……動けるうちは動け。判定は向こうが出す」


「はい」


それだけで、胸の内側が少しだけ軽くなる。何が軽いのか自分でも分からない。言葉が少ないほど、重いものが残る。


家へ戻ると、煙の匂いがした。


小鍋で脂がゆっくり溶けている。ユマが木べらで混ぜ、塩が肉に擦り込まれていく。作業が進んでいる音がする。


オウは骨を押さえ、力任せにならないように刃の角度を変えている。見よう見まねだが、乱暴じゃない。


「これ、手が痛くなるな」


「痛くならないやり方にします。力だけだと刃が欠けます」


ユマが淡々と言った。


オウが鼻で笑い、言い返さない。言い返せないのだ。正しいから。


ハルは作業台の端に立ち、帳面を開いた。


今日の分。工房の分。店の分。


次の五の日に並べるもの。


防水油。塩漬け肉。皮の端切れ。骨針。留め具。


数が増えると、頭が落ち着く。落ち着くほど、預けた欠片のことを思い出す。


あれが判定され、名がつけば、たぶん値段もつく。


値段がつけば、欲がつく。


欲がつけば、口が増える。耳が増える。目が増える。


ハルは帳面の端を指で押さえた。


折れない。折れないように、動く。


それだけだ。


昼が近づくころ、戸を叩く音がした。



短い、仕事の音。



ハルが戸を開けると、工房の小僧が立っていた。

息が白い。


「親方が。……今日、治療院から人が来た。夕方までに顔を出せって」


ハルの喉の奥が、また乾いた。


判定か。

薄鐘の続きか。

どっちにせよ、こちらの手は止まる。


ハルは短く頷いた。


「分かった。夕方、行く」


戸を閉めて振り返ると、ユマが手を止めずに言った。


「行ってきてください。ここは回せます」


オウも、骨を押さえたまま一度だけ顔を上げた。

黙っている。

だが、逃がさない顔をしている。


ハルは火の具合を見て、鍋の匂いを嗅いだ。


作業は回っている。


回っているのに、心の奥だけが、まだ落ち着かない。


夕方までの時間を、埋めるように手を動かした。


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