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金の匂いがする方へ ―魔獣と歩いた、商いの始まり―  作者: ちわいぬ
第二章 動く時

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第24話 値が立つ


工房を出たあとの空気は、冷たかった。

手のひらに残るのは熱じゃない。袋の軽さだ。


少量。

その言葉の通りの袋を渡しただけで、背中に視線が貼りつく。――欲の目だ。


路地を抜け、角を二つ曲がったところで、若い男が追いついた。


「親方が呼んでる。……今すぐ来い」


ハルは喉の奥に残っていた乾きを飲み込んだ。

こういう“今すぐ”は、だいたい良い話じゃない。けれど、悪い話とも限らない。


——


工房の裏口を開けると、炉の匂いが鼻を打った。

親方は腕を組んだまま、こちらを見ている。


「治療院が来た」


一言で胃が縮む。


「工房を通すって話だったんじゃ……」


「通した。だからここに来た。だが――」


親方は口の端だけを上げた。


「“通す”ってのは、顔を立てるってことだ。

立てた顔を踏んでいいって意味じゃない」


ハルは黙る。

踏まれたのは、たぶん自分のほうだ。場所を嗅がれるのが一番まずい。


親方が続けた。


「向こうは欲が急いてる。理由も急いでる。

……令嬢の顔だ」


その言い方が、やけに具体的だった。


「顔?」


「火傷じゃない。術が走った。

魔道具が暴れた時の“痕”だ。薄くない。深い」


親方は炉のほうを見たまま言う。


「年は十六。伯爵家のひとり娘。

春に社交の席に出る。――“顔が売り物”の時期だ」


ハルは息を止めた。

十六という数字が重い。若い。若すぎる。

そして、顔の痕は戻らない。


親方は淡々と続ける。


「婚約話も動いてる。相手は釣り合いの家だ。

傷が残れば、話は狂う。狂えば、家が怒る。家が怒れば、治療院も飛ぶ」


「……だから急いでる」


「そうだ。急ぎは金を呼ぶ。

だが、急ぎでこちらを踏んだ。そこは“値”にする」


ハルは思わず言った。


「工房が儲けるのか」


親方の目が細くなる。


「お前が儲ける。でないと、次が来ねえ。

命を削って取る物を、こっちの口銭だけで吸ったら、誰も持ち込まん」


その言い方に、嫌な安心が混じった。

親方は冷たい。だが、商いの理は外さない。


「条件は三つだ」


親方は指を折った。


「一つ。治療院は、工房を通してしか喋らせねえ。

森の話は一切聞かせない。お前に直接会わせない」


「……二つ目は」


「二つ。量は“お前が決める”。

向こうが何枚金を積もうが、出せる分だけ。出せない日は出せない。

“遠い・少ない・探せない”を、口でなく契約で固める」


ハルは頷いた。

出しすぎたら終わる。出せば場所を嗅がれる。嗅がれたら、薄金そのものが死ぬ。


「三つ」


親方は最後の指を立てた。


「踏んだ分の上乗せだ。

今回の件、治療院は“余計な足”を出した。――そこは金で黙らせる。

黙らせる金は、こっちの懐じゃなく、お前の手間賃に回す」


ハルの胸の奥が、かすかに熱くなった。

味方、じゃない。

だが、商売の味方だ。


「いくらになる」


親方は帳面を指で叩いた。


「この袋一つで、治療院から金が動く。

工房の取り分を抜いても、お前に金貨が落ちるように組む」


金貨。

ハルは反射的に革袋の底を思い出した。

金貨は軽く鳴かない。鳴かないからこそ怖い。


「……何回も求められる」


「求められる。だから“刻む”」


親方は短く言い切った。


「お前は遠いと言え。大変だと言え。探せないと言え。

その通りだからな。

向こうが焦るほど、値は立つ。だが――欲を見せるな。

欲を見せた瞬間、足が出る」


ハルは唾を飲んだ。


「足が出たら」


「口を切る。治療院じゃなく、お前の口が切れる。

だから、工房の縄を切られたらこっちも食えん。――そういう話だ」


ハルは、ゆっくり頷いた。

工房と自分は別だ。けれど、別でい続けるには、結局“筋”が要る。


「……じゃあ、俺はどうする」


「次は五の日だろ。市場が騒ぐ。

薄鐘の話は、工房で止める。お前の屋台には匂いを持ち込ませねえ」


親方はそこで言葉を切り、視線だけ寄越した。


「森は、遠いんだろう」


「遠い」


嘘じゃない。

あの距離は、人の足だと一日が潰れる。

しかも“薄いもの”を探す。持ち帰るのは袋ひとつ。割に合わない。


「だから、次の納めは間を空ける。

その代わり――値を厚くする」


親方は言った。


「治療院が欲しいのは、量じゃない。時間だ。

痕が固まる前の、薄い時期。そこに当てる。

だから“少量でいい”。少量で足りるように、向こうは処方を組む」


ハルは頭の中で、勝手に算盤を弾いた。

少量でいいなら、出し方を刻める。刻めるなら、守れる。


「……分かった」


「帰れ。口を閉じろ。

次の袋は、お前が決めていい。――だが、決めるなら段取りも決めろ」


ハルは工房を出た。

外の冷気が頬を切る。息が白い。


(遠い。きつい。探せない)


全部、本当だ。

だから言える。

だから値が立つ。


路地の奥で、ガルムの影を思った。

森の足は、自分だけのものじゃない。――一年の約束がある。


ハルは革袋を握りしめ、歩き出した。

次は、工房へ出す袋じゃない。


“出す分”を決めるための袋だ。

決めるのは、向こうじゃない。自分だ。


静かな冬の町を、ハルはひとりで戻った



冬の町は、腹の底まで冷える。

けれど今日は、冷えの中に、薄い熱が混じっていた。


工房が“値を立てる”と言った。

立つのは、あちらの面子じゃない。ハルの手間賃だ。


薄鐘――薄いのは量じゃない。

稼ぎの厚みが、まだ薄い。だから、鳴る。


銀貨が数枚、革袋の底で擦れるだけで、心臓が跳ねる。

金貨みたいに黙って重いのは、まだ先だ。

今は、鳴る金でいい。鳴ってくれ。鳴るうちは、数えられる。



家へ戻ると、作業場の隅に道具が寄せてある。

縄。布。小瓶。刃。

この頃、家の中の“散らかり方”が変わった。

貧しさの散らかりじゃない。仕事の散らかりだ。


炉の灰を手で払って、帳面を開く。

親父の字はまだ硬い。読みづらい。だが、少しずつ目が慣れてきた。


「……刻め」


親方の声が、変に残っている。

刻む。出す量を刻む。口を刻む。言葉を刻む。


ハルは革袋を開け、今日の分の銀貨をいったん掌に出した。

鳴る。

小さく鳴る音が、今の自分の背丈に合っている気がして、少しだけ笑ってしまう。


その時、戸が細く叩かれた。


「……ハルさん」


声は小さい。けれど、はっきりしている。

リツだ。約束の時間じゃない。


ハルは一瞬、身構えた。

“急ぎ”は良い話じゃない。そう教わったばかりだ。


戸を開けると、リツは手を胸の前に揃えて立っていた。

息が少し白い。


「すみません。ギルドから、伝言です」


「……今?」


「はい。工房に、治療院の人が出入りしてるって。

あと、工房の窓口が――“次に来る時、顔を見せろ”って」


ハルは黙った。

顔を見せろ。つまり、これから“人が増える”。


口が増えれば耳が増える。

ガルムの言葉が、今夜はやけに現実だった。


「分かった。ありがとう」


リツは頷いて、踵を返す。

その背中を見送ってから、ハルは戸を閉めた。


(付けてくる)


治療院が工房を通すと言いながら、足を出した。

なら、次はもっと分かりやすく足が出る。



薄い稼ぎは、鳴る。

鳴る金は、誰かを呼ぶ。


ハルは革袋を縛り直し、筒を机の端へ置いた。

明日――森に入る段取りを、今日のうちに切る。


遠い。きつい。探せない。

全部、本当だ。

だからこそ、値になる。


値になるなら、逃げるわけにはいかない。


治療院は、決め事を踏んだ。

工房を通すと言いながら、獣道の手前まで付けてきた。


理由はある。

貴族家の令嬢――十六。顔に傷。魔道具の事故。

誰だって、可哀想だと思う。思わされる。……思うべきだ、と。


でも、喉の奥で何かが硬くなる。


向こうは、しっかり飯を食っている。

冬でも指先に脂が残るような布を着て、息が白くならない家に戻る。

“税で買った正しさ”を、疑いもしない顔で。


俺は端っこだ。

乾いたパンの端を水でふやかして、腐りかけた野菜を削いで、腹に押し込んだ日が続いた。

不甲斐ないのは分かってる。何もできなかったのも、逃げてたのも。


――でも、だから何だ。


嫁に行けない?

傷が消えない?

それで死ぬわけじゃないだろ。

それでもあいつらの暮らしは、壊れない。壊されない。


尾行されて、同情心が薄れた。

自分でも分かるくらい、薄くなった。


薄鐘だ。

鳴ってるのは哀れみじゃない。金の気配だ。


……現実は、そんなもんだ。


ハルは息を吐いた。吐いた息の白さを見て、頭を冷やした。

怒りは腹にしまう。

言葉にしたら、口が汚れる。

汚れた口では、値が取れない。


「――少量だ」


自分に言い聞かせるように呟く。

取れても全部は出さない。

遠い。危ない。見られている。

だから、出すのは“袋ひとつ分”。薄鐘が鳴る分だけ。


残りは、底に沈める。

次の一手のために。


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