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金の匂いがする方へ ―魔獣と歩いた、商いの始まり―  作者: ちわいぬ
第二章 動く時

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第22話 治療院の鑑


工房から呼びが来たのは、次の市の前日だった。


「来い。朝だ。余計な荷は持つな」


親方の言い方はいつも通り荒い。

だが、荒いままに急いでいるのが分かる。

荒いのに、声が短い。


ハルは返事だけして、袋の口を結び直した。

銀は胸の内側。札も同じ。

金の筒は――今日は持たない。匂いが立つ。余計な耳を呼ぶ。


切れ間へ寄る時間はなかった。

ガルムに会えば、何か言われる気がする。

言われたくないんじゃない。

今は、言われた通りに動ける自信がないだけだ。


町の朝は薄い。

冬の空気は冷たく、音を削る。

石畳を踏む足音だけが、やけに大きい。


工房の裏口で親方に会うと、挨拶もそこそこに、言われた。


「付いて来い。治療院だ」


ハルは瞬きをした。


「……俺が?」


「うちの者だけじゃ話が終わらん。

“拾った当人”の顔だけ、向こうに見せとけ」


拾った当人。

その言い方に、胸がちくりとした。

拾ったんじゃない。取りに行った。――と言い返すほどの元気もない。


親方は歩きながら、ぶっきらぼうに続けた。


「向こうは焦ってる。だから余計なことを言う。

余計なことを言わせないために、工房が間に立つ。

それだけだ」


ハルは頷いた。

工房が間に立つ。

それは、ハルにとっても助かる。治療院に顔を覚えられるのは、まだ早い。


治療院は、町の外れにある。

白い壁。乾いた薬草の匂い。人の匂い。

扉の前には、腕の太い男が立っていた。門番というより、止め役だ。


親方が名を言うと、男は道を開けた。

視線だけがハルの顔を測る。

測って、何も言わない。

言わないが、覚えた目だ。


廊下は静かだった。

布の擦れる音が、やけに響く。

奥の部屋へ通され、白衣の男が一人――治療院の者だろう――机の向こうで待っていた。


机の上には、布包みが二つ。

見覚えのある結び方。工房の手だ。


白衣の男は、親方にだけ礼をし、次にハルを見た。


「……あなたが、これを見つけた人ですか」


“見つけた”。

その言い方に、親方が口を挟みかけたが、やめた。

工房が口を割ると、話が汚れる。親方はそれを分かっている。


ハルは、必要な分だけ答えた。


「俺です。場所は言えません」


白衣の男は頷いた。

拒まれるのを、最初から知っていた顔だ。


「分かっています。こちらも場所を聞きたいわけではない。

――これは、どの程度の量が、継続して出ますか」


親方が、机を指で叩いた。


「量の話は後だ。まずは“何か”を言え」


白衣の男は一拍置いて、布包みをほどいた。

欠片が、淡い光を返す。

昼の目には鈍い石に見えるはずのそれが、ここでは少し違う。


部屋の灯りの下で、青白く見えた。


白衣の男は小さな道具を使った。

刃ではない。針でもない。

薄い板で欠片の端をそっと撫で、粉をほんの少しだけ掬う。


その粉を、水に落とす。

次に、油に落とす。

さらに、乾いた布に擦り付ける。


どれも、すぐには反応しない。

反応しないのに、男の目が少しずつ変わっていく。


「……そうか」


呟きは、喜びというより確認だった。

そして、言葉が出た。


「これは――“薄鐘うすがね”です」


親方の眉が動いた。


「薄鐘だと?」


白衣の男は頷く。


「工房の方なら聞いたことがあるはずです。

薄く延びる膜状の鉱質。

油に馴染まず、水にも崩れにくい。

肌にのせると、熱を逃がして赤みを引かせ、

乾いても突っ張らない」


机の上で、欠片が灯りを返す。

青白い。冷たい。

なのに、どこか生き物みたいに見える。


親方が、そこで低く笑った。


「……治療院が焦るわけだ」


白衣の男は、笑わない。


「焦ります。

そして、これは今回の“傷”に――合います。

顔の皮膚は薄い。跡が残れば、一生の値打ちが変わる」


親方は腕を組み直し、言った。


「で。うちの縄を切って、直接取りに行く気か?」


白衣の男は、ゆっくり首を振った。


「切りません。切れません。

工房の手を借りなければ、扱いを誤ります。

――ただし、条件があります」


条件。

その言葉が落ちた瞬間、部屋の空気がまた一段冷えた。


ハルは、背中が少し固くなるのを感じた。

これは“売り買い”じゃない。

揉めれば、口が潰れる類いの話だ。


親方が言った。


「聞こうか」


治療院の男は続けた。


「魔道具由来の傷には、熱が残ります。皮膚の上だけではなく、奥に。……薄鐘は、その“残り火”を鎮めます。まず痛みが落ち、次に引き攣れが緩みます」


親方が低く息を吐いた。


「……こいつを、どれだけ要る」


「量は多くありません。ほんの少しで足ります」


ハルの中で、何かが動いた。

“少しで足りる”――その言葉は、安くできるという意味じゃない。


治療院の男が、視線を上げた。


「ただし」


その一言が、釘だった。


「採れる場所が限られていること。持ち運びで状態が落ちやすいこと。……それを踏まえた上で、継続して手配する必要があります」


親方が口を挟む。


「状態が落ちる?」


「はい。粗い扱いをすれば、効きが鈍ります。ですので、こちらで使う分は“工房の手順”で預かり、管理したい」


治療院の男は、親方の方へ頭を下げた。


「こちらは治療です。失敗が許されません。……工房経由で、確実にお願いします」


ハルが口を開いた。


「採取は一日仕事だ。森の中で、動き回って、やっと“少し”だ。しかも危険がある。……治療院の都合で急がされても、こちらの都合は変わらない」


嘘は言っていない。

採れる量の話も、運ぶ話も、危険の話も。全部本当だ。



親方が続ける。


「工房も手間が増える。扱いを誤れば、治療が台無しだ。治療院が焦って触ったら、余計に傷が深くなる」


治療院の男が、丁寧に頷く。


「……では、工房の仲介料を上乗せし、採取側に十分回す形で調整いたします」


ハルはそれを聞いて、ようやく少しだけ口角を動かした。

笑いじゃない。確認の顔だ。


「足りない」


治療院の男が瞬きをする。


ハルは淡々と言う。


「こちらは“少し”を持ってくるたびに、同じ危険を払う。尾行まで付いた。……その分も含めて、次からは単価を上げろ」


親方が、火箸で机を軽く叩いた。

乾いた音。催促じゃない。決定の音だ。


治療院の男は、喉を鳴らした。


「……具体的には、どの程度を」


ハルは、そこで初めて“商人の声”に戻した。


「工房が決めろ。工房の顔が立つ形で。俺は、受け取るべき分を受け取る。――それで続ける」


治療院の男は、数拍置いてから頷いた。


「承知いたしました。工房と相談し、条件をお出しします」


親方が言う。


「出すのは条件だけじゃない。“口”もだ。勝手に嗅ぎ回った分の落とし前をつけろ」


治療院の男は、丁寧に頭を下げた。


「以後、当院から採取地に関する動きはいたしません。工房経由でのみ連絡をいたします」


ハルはやっと頷いた。


条件が揃った。

言葉は揃った。

守らせるための形も揃った。


(……あとは、こちらが切らさないことだ)


ハルは包みを見ない。

見たら、胸の奥が動く。

同情でも、怒りでもない。――ただ計算だ。


薄鐘は少しで足りる。

だからこそ、値が落ちない。

だからこそ、手順を握った方が勝つ。


ハルは立ち上がり、礼をした。


「次は、“工房の条件”が決まってからだ。急がせるな。急がせた分だけ、傷が長引く」


治療院の男が、丁寧に答えた。


「……はい。承知しております」



———


治療院の部屋を出ると、廊下の空気が少し軽くなった。

薬の匂いが薄まり、代わりに石と木の匂いがする。


角を曲がったところで、親方が足を止めた。

誰もいないのを確かめるみたいに、背後を一度だけ見る。


「……今のやり取りで、決まりだな」


ハルは頷いた。

治療院の男の丁寧さは、返事としては正しい。

だが、正しさだけで信用はできない。


親方は声を落とす。


「行く前に話したとおりだ。――あれが“薄鐘”なら、こっちの手は一つある」


ハルは黙って続きを待った。


親方は顎で前を示し、歩きながら言った。


「工房に持ち込まれた時点じゃ、名は分からん。

だが、昨日……治療院に出した後で思い出してな。昔見た薄い筋と手触りが似てた」


親方の目が細くなる。

職人の記憶の目だ。


「もし薄鐘なら、厄介だ。扱いが繊細で、すぐ“死ぬ”。

だから、保存が要る」


ハルの喉が小さく鳴った。


「……保存機」


親方は短く頷いた。


「そうだ。うちに一台ある。医療用の冷封壺――古いやつだが、まだ生きてる。

“少しの間”だけなら、効きを留められる」


ハルは足を止めそうになって、踏みとどまった。

胸の奥で、熱いものが落ち着く。


(これで――走り回らなくて済む)


違う。

走り回らなくて済む、じゃない。


(走り回ってる“ふり”ができる)


親方はハルの顔を見ずに言った。

見ない方が、言いやすいことがある。


「治療院には言うな。

“すぐ落ちる”って恐れを握ってる方が、向こうは勝手をしにくい」


ハルは息を吐いた。


「……向こうが、値切る口を失う」


「そうだ。こっちは“急がされる理由”を持ってる。

だが、実際は急がなくても回せる。」


親方の言い方は乾いていた。

恨みでも嘲りでもない。

ただ、商いの段取り。


ハルは小さく頷く。


「保存できる期間は?」


「壺の具合次第だ。伸ばしすぎると味が落ちる。

だが、丸一日で腐るような真似はさせねえ」


親方はそこで足を止め、初めてハルの方を見た。


「勘違いするなよ。楽になるためじゃない。

“握るため”だ。向こうが尾行した、ルールを破った。なら、こちらも手札を増やす」


ハルは返した。


「……分かってる。

言うのは、工房の手順と、危険と、値段だけ。壺の話はしない」


「よし」


親方は短く笑った。


「それに、効きを留められるなら――お前も“少しずつ出す”ができる。

一気に出したら、次に手を突っ込まれる。

小出しにして、首輪を締めろ」


その言葉が、胸に硬く入った。


(首輪、か)


誰の首か。

治療院の首。工房の首。――そして自分の首だ。

一度でも手を緩めたら、また端っこの布に戻る。


親方が言う。


「戻ったら壺を見せる。

どう使うかは、工房で決める。……お前は“走ってる”顔を崩すな」


ハルは頷いた。


「走る。――走ってる顔のままで、回す」


廊下の先で、治療院の男の足音が遠ざかった。

その背に、ハルは視線をやらない。


代わりに、頭の中で段取りを並べた。


薄鐘は、少しで足りる。

だからこそ、少しを“生かして”出す。

出す量は、こちらが決める。


そして、向こうが勝手をしたら――次は出さない。



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