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二人の旅路



 あの日からどれだけの月日が流れたのか。


 グレースにとってもはや時間に意味はない。時間が彼女へ救いを齎さない事を理解しているからだ。

 より良い未来が訪れるビジョンが浮かばない。ただ絶望だけが続く道を歩き続けなければならない。


「……ふふっ」


 自然と零れた嘲笑。

 グレースの心身はとっくに限界を迎えており、その瞳に色はない。



 少し離れた場所に緊張した面持ちで周囲を警戒する女性がいた。


 彼女の名はイェッテ。かつてはセリアという名ありで、勇者パーティーの一員だった女性だ。

 今は名を捨て、グレースと共に冒険者まがいの事をしている。


 いや、させられている。

 少なくとも、イェッテにとって今の状況は望んだものではない。自ら選択した道ではない。そう考えている。



 周囲を警戒しつつ、グレースに視線を向ける。

 イェッテから見ても、今のグレースは普通ではない。まるで壊れた人形のような異様さを感じた。


 美しかった銀髪はくすんでしまい、肌にも艶がない。一見すれば老婆のようにすら見える風貌。

 口元には歪な笑みを浮かべ、虚空を眺める瞳は虚ろで、生気が感じられなかった。



 ほんの数週間前の出来事だ。


 イェッテとグレースはかつての戦友にして婚約者だった勇者アランの元を訪ねた。


 今は貴族階級となり、ヴォルチェ領の領主にもなっているアラン=ヴォルチェだが、彼も元は純朴な少年だった。

 貴族家ではないものの、勇者候補の一人としてそれなりの支援を受けて育ったアランと、寒村の孤児出身であったイェッテではその境遇が大きく異なるが、それでも出会った当初のアランとイェッテに決定的な身分の差はなかったはずだ。


 それこそ、少し目が合っただけ赤面してしまうほどに初心な少年。それがアランだった。

 平凡な容姿、柔らかい物腰、裏表のない真面目な性格で少々お人好し。


 きっとアランであれば、自分とグレースを見捨てはしないだろう。

 他の男性に身を捧げ貞操を失ったとはいえ、自分達にはまだ魔法の才がある。そして一児を妊娠しているとはいえ、まだ子供を産める若さもある。


 精一杯頼み込めば、かつて純朴であった少年(アラン)であれば許してくれると思っていた。

 妾にでもしてもらえば、この境遇から救われる。その希望を抱きアランへと縋った。


 しかし、アランから返答はなく、代わりに強烈な殺気を向けられただけ。

 勇者として魔王と死闘を繰り広げたアランと自分たちではレベルが桁違いだった。旅を共にしていたはずなのに経験値が違い過ぎた。

 膨大な戦力差から生じる威圧。そして放たれた殺気はイェッテとブレースの意識をいとも簡単に刈り取った。


 気が付けば、イェッテはグレースと共にヴォルチェ領から放逐されており、領内への立ち入りを禁止された。



 悪いのは誰?


 相変わらず壊れた笑みを浮かべるグレースを尻目に、イェッテは自問自答する。


 私を利用するだけして見捨てたムルデル枢機卿。

 教育係だったのに庇ってくれなかったオルトマンス大司教。

 この過酷な任を押し付けて来たグレースの父であるミューレン侯爵。


 許せない。許せない!


 イェッテの握った拳が怒りに震える。

 

 私はただ、自由が欲しかった。

 真実の愛を求めただけ。何も悪い事はしていないはず。


 愛していた。

 魔王討伐の旅の途中で巡り合った男性クレマン。


 彼を愛していた。でも全ては偽りだった。

 クレマンの全ては嘘で出来ていた。クレマンという名ですら偽りだった。私への愛も当然、偽りであり、存在の全てが虚像。


 憎い。この手で殺したいほどに。


 イェッテは自分が他人へ殺意を抱くような人間ではないと考えていた。しかし彼女は今、本気の憎悪を抱いている。


 枢機卿、大司教、侯爵、国王、クレマン、そして勇者アランとその妻。


 誰もが自分を捨てた。

 自分には何も残されていない。いや、残されたのはある。


 お腹の子と、壊れた人形(グレース)が。


 今のイェッテにとっては負の遺産であった。



 そんな時、イェッテの魔力網が何かを拾った。

 周囲を警戒する為に張り巡らせた魔力の網。宿代も捻出できないイェッテとグレースは野宿する事が多かった。


 見知らぬ男の家に泊めてもらう事も考えたが、魔王軍の残党狩りという過酷な任務の中で子を身籠る事は避けたい。

 既にイェッテの腹にはクレマンの子が宿っているが、ただでさえ両足を欠損しているグレースまでもが妊娠してしまうと、身動きが取れなくなる。


 このところ戦果が乏しい為か、ミューレン侯爵からの支援が届かない。


 遂に私達を切り捨てたのだろうか。



 再び憎悪で染まりそうになった思考を追い払う。


 今は魔力網に引っかかった何かを探知しなければならない。それは魔物か。あるいは……。




 ドクンと鼓動が脈打った。


 イェッテの魔力網に掛かった者を探知すると、その魔力波長は人のものだった。

 その数はおそらく8人。魔力の量から鑑みて強くはない。騎士や兵士ではなさそうだ。


 今は夜更け。

 8人はイェッテ達を取り囲むように少しずつ近付いて来ている。


「行商人や村人ではない……では……」



 ――盗賊。


 おそらく盗賊であろうとイェッテは考えた。

 暗殺者にしては気配の消し方がお粗末過ぎるし、騎士や兵士程の力は感じない。


 8人は今も尚、じりじりと距離を詰めて来ており、その狙いは明らかにイェッテとグレースだ。



「はぁ……はぁ……」


 心臓が早鐘のように打ち、イェッテの全身から汗が噴き出す。


 盗賊程度なら、グレースとイェッテの敵ではない。

 攻撃魔法を得意としていないとはいえ、勇者と共に戦ったイェッテであれば盗賊には負けない。たとえ片腕を欠損していたとしても、必死にメイスで応戦すれば勝利は可能だろう。



 しかし撃退してどうなるのか。

 また明日から過酷な魔物討伐任務を続けるのか。それはいつまで?



「ごめんなさい、グレースさん……」


 イェッテは急ぎ、自らの服を脱ぎ捨てた。


 相変わらず虚空を見つめたままのグレースとイェッテの距離は離れている。

 焚火の前に座っているグレースから夜闇に紛れたイェッテの姿を視認する事はできないだろう。そもそも、虚空を見つめたままのグレースの瞳がイェッテの姿を映すことはないはずだ。


 脱ぎ捨てた服に、魔物の血液を染み込ませる。

 そして岩にその服を擦り付け、ズタズタに引き裂いた。


 これならきっと、服を剥がれ、攫われたように見える。

 グレースであれば、魔法で盗賊を始末できるはず。でもそれでどうなると言うのか。


 また今日と変わらない地獄が待っているのなら。

 もし明日から違う未来が望めるのなら。


 私は物語を紡ぐ――。


 盗賊の襲撃に遭ったグレースは魔法で彼らを返り討ちにした。しかし仲間であるイェッテは不意を突かれて攫われ、行方不明。



「――っ、はぁはぁ……」


 息が荒く、胸が苦しい。

 長年連れ添った仲間を見捨てて逃げる罪悪感と、この地獄から解放されるかもしれないという希望から来る高揚感。


 私には自由なんてなかった。

 だから許されるはず。この程度の自由は許されなければならない。



 自分を必死に正当化しつつ、イェッテは静かに闇へ紛れた。

 最後に一瞥したグレースはやはり虚空を眺めて笑っていたが、どこかその笑みに柔らかいものを感じた。




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