菊重
この地は決して、限界集落とやらではない。ないのだが、先はないだろうとずっと昔から言われていたという。
それでも、春花の実家の旅館などは一部の愛好家から秘湯と呼ばれて客足は絶えず、これで公共交通機関があれば賑わうのにね、とヒトビトのため息を誘っていた。
けれど近年は意欲的な人間が役所勤めをしているようで、少しずつ様子が変わってきていた。例えば、若い移住者が増えただとか。本数は少ないものの、コミュニティバスが走るようになっただとか。SNSで流れてくるお洒落な風景は、春花が知らなかった故郷の別の顔を見せてくれる。
それらを見ていて、カメラに興味を持ったのは自然なことだったのだろう。
「だけどさぁー、バエバエバエバエって、本当に煩い!」
「由果、ホントに嫌いだねぇ」
あたしも蠅は嫌いだけどー、とコーヒースタンドのアイスラテを飲みながら友人が零す。
所構わず他人の迷惑も顧みず、映えるぅ! と言いながらスマートフォンを構えまくるヒトビトには、友人もうんざりしているらしい。ネットスラングで吐き捨てるあたり、相当だろう。
「食べ物くらい普通に食べさせてよ! せめて! 写すなら自分のだけにして!」
「うっざいよねぇ。おまえのために頼んだんじゃねぇっての」
あとあれも嫌、と彼女は軽く顔をしかめる。
「魔改造し過ぎて気持ち悪い自撮り? 奇形プリクラかよっつーの。ホント無理」
「だから、あたしに写真頼みに来たの?」
「うん。由果の写真好き。なんかさぁ、変に凝った撮り方しないのに、あたしの良さみたいなの引き出してくれるもん」
記念に残したい写真があるから撮ってほしい、と友人が連絡してきたのは昨日のこと。短大時代からつるんでいて、今でもたまにやり取りはしていたけれど、こうした呼び出しは初めてだ。
詳しく話しを聞いてみれば、友人の曾祖母が百歳になるのだという。曾孫たちは彼女のことが大好きで、この機会にみんなで写真を撮りたいと盛り上がったのだそうだ。
最初は写真館に頼もうと話しが進んでいたらしいが、曾孫の一人が随分前に春花が撮った友人の写真を見つけて、これを撮ったのは誰だと問われたらしい。
「みんなひっどいんだよぉ。二割り増しで美人に見えるって」
「それはひどい」
「ひぃばぁちゃんが可愛いって褒めてくれたからいいんだけどさ」
いいのかよ、と笑って春花は気軽に頷いた。
「わかった。カメラ持ってお邪魔するね」
「何枚か撮ってもらって、フォトブック作りたいんだよね。ほら、ネットで調べると出てくるでしょ? そんで、集合写真を一枚、フォトフレームに入れたいの。お願いできる?」
報酬に、かかった費用も足して払うからさ、と拝み倒されて、春花は少し考えてしまったのだ。フォトブックはいい。近頃のサイトはテンプレートが凝っているため、簡単に良い物が出来るだろう。しかし、フォトフレームはどうしようか。
わざわざフレームもこちらに頼んでくるのだから、市販のよくある物をそのまま使うのも躊躇われる。更に、そのフォトフレーム入りは、曾祖母の家へ飾りたいらしい。歳を重ねたおばあちゃまのための物なら、曾孫たちの顔が良く見えるようにした方が良いだろう。大きめに出力したものを使いたい。
それでは、どうすべきか。
悩みに悩んで数日後。撮影を終えて写真の選別も終えた頃、春花は素直に助っ人を頼むことを決めて、日浦家を訪れたのだった。
「というわけで、彼方兄ちゃん。助けてください」
深々と頭を下げる春花に、日浦は軽く眉を持ち上げた。
「その友達もわざわざ頼むんだから、由果のセンスでいいんじゃないか?」
「それが困るの! 被写体としてカメラ構えるなら、あれこれ構図も浮かぶんだけど。それに、大事なお誕生日のプレゼントだよ? おばあちゃまに喜んでもらいたい」
撮影時にお会いした老婦人は、友人が大好きだと言うのがわかるくらい、柔らかな雰囲気をした素敵な女性だった。おっとりとした物言いは上品で可愛らしく、春花も大好きになってしまったのだ。だから絶対に、素敵な物を用意したい。
亘には相談した? と尋ねられ、彼女は付き合って長い恋人を思い出し、ため息をつく。絵付け師として修行中の小日向家の次男は、確かにセンスがいいのだけど。
「そりゃ、亘くんは絵心あるけどさぁ。畑が違うって困らせちゃって。そしたら弘兄ちゃんが、彼方兄ちゃんに相談すればって」
費用請求できるからきちんとお支払いします、と再度頭を下げると、日浦は一つため息をついた。
「まぁ、いいけど。今はそれほど忙しくないし」
「ほんと? 有難う! あのね、あのね、写真データも持ってきたの」
急いで鞄からタブレットを取り出し、ビューアーを起動する。
どうぞ、と日浦へ正面を向けて差し出すと、指を差しながらフォトブックへ使用した写真を示していく。
撮影場所は、古い洋館風の洒落たレストランだ。事前に店主へ許可を取って、食事会の前に見事な庭で撮らせてもらっている。当日は天気もよく、ロケーションとしては最高で、春花もカメラを構えながら楽しませてもらっていた。
「フォトブックは曾孫たちとおばあちゃま全員分だって言うから、結構いろいろ撮ったの。一枚見開きで集合写真を使ったんだけど」
手許で見る物だから、顔がよく見えるものがいい。思い思いに写ってもらった写真は和気あいあいとした雰囲気のものばかりを選んでいる。その合間にオフショット的なものも挟んでいるから、きっと楽しんでもらえるだろう。
「それで、フレームの方はお澄まししたのがいいかなと思って、そういうのも撮って」
一応、全身で入れているが、解像度を大きめに撮っているから、トリミングも可能だ。バストアップでも耐えられるような構図にしてある。おばあちゃまのふんわりとした雰囲気がよく出た、春花のお気に入りだ。囲む曾孫たちも、いきいきと良い顔をしている。
一通り目を通した日浦は、微笑ましそうに目許を緩めた。
「良い写真ばかりだな。人柄がよく出てる」
「有難う。それでね、大きさをどれくらいにして、どんなフレームにすればいいかなって」
「飾るのは、洋室? 和室? どういう状態で飾るのか、壁掛けか、何処かに置くのか。そういうのでも選択肢変わるぞ」
おおう、と目眩を堪えるように額へ手を当て、春花は「そっかー……」と呟く。
「わかった、聞いてみる」
「フレームから直接見える飾り方も、余白にマット入れてやるやり方もあるし。写真家の個展なんかはパネルで飾るけど、あれじゃなくて絵と同じつもりで考えるといいかもな」
しかし絵画ではないから、あまり立派すぎると宜しくない。現代作家のリトグラフくらいの主張が飾り易いかもしれない、とつらつら語られて、春花はふんふん頷きながらスマートフォンへメモを取っていく。序でに、リトグラフの画像を検索して小首を傾げた。
色々眺めてみれば、基本的に幅広く縁を残した中抜き台紙を入れて、フレームは細めでシンプルなものが多いようである。田舎育ちとしては、額入りの写真というと遺影が浮かんでしまうけれど、あれと差別化するためにもいいかもしれない。
「こういう、余白作るといいかもね? ちょっと画面が明るく見えるかも」
「なんなら、マット作ってやろうか。白かパールで紋様刷っても面白いかもな?」
遠目で見れば目立たないが、近くで眺めれば目に入る。そういうのも有りなのか、と彼女は目を輝かせた。
「いいかも! それも、ちょっと聞いてみるね!」
「紋様もある程度、目星つけておくか? 何か希望ある?」
「じゃぁ、菊。おばあちゃまの名前、菊子さんっていうの」
「図案としても目出度いからいいな。敷き詰めるタイプの方がいいか」
ちょっと待ってて、と席を立ち奥へ向かう。戻るのを待つ間に友人へ確認のメッセージを送ると、少しして詳細を送ってくれた。
飾りたいのは曾祖母の部屋。まだ矍鑠としているが、後々を考えて数年前にリフォームした際に、居心地の良い洋室になったそうだ。壁は柔らかい鶸色のアラベスクで、床はダークブラウン。凄くお洒落なの、というのが友人の弁である。更に送られてきた、新築当時の写真が凄かった。当人がお洒落なご婦人だったから納得できるが、予想外にも程がある。
これはどうしたものか、と眉根を寄せて唸っているうちに日浦が戻ってきて、不思議そうに首を傾げた。
「どうした?」
「美菜に、何処に飾るか聞いてみたの。そうしたら、予想外に素敵洋間だった」
送られてきた写真を見せると、日浦はあっさり頷き抱えてきた冊子を捲る。これは先日、什器を新調する際に作った、工房保管の版木を網羅した見本帳だそうで、全ての版木から見本を刷り出すのはなかなか骨だったらしい。
「それなら、花模様選んだの正解だったな」
「えええ、大丈夫? 彼方兄ちゃんのお仕事、和風だし」
小日向兄の助言を素直に受け入れたのも、自然と和室を想像してしまったからだ。春花にとって日浦家は、実家の襖の修繕をしてくれる職人さんの家であり、実家はひねりのない鄙びた温泉旅館である。
春花の危惧を受け流し、この辺りは、と開いてみせてくれたページは花盛りだった。
簡略化された丸っこい花や、図案化されたお洒落な花。洗練され過ぎて花なのかと首を傾げたくなるのもある。しかし、連続して紋様が敷き詰められた、その華やかさといったら。黒一色で刷られているというのに、色が溢れているようにも見える。
「うわぁ、奇麗! 可愛い!」
「バカにしたもんじゃないだろ。如何にも和風ってのは、意外と少ないんだよ。おまえが思い浮かべるのは、友禅柄が殆どだ」
「あ、これ! これ可愛い!」
びしっと指差した図案を目にして、日浦は「ふぅん」と頷いた。
「悪くないな。あんまり和に突出したイメージではないし。フレームは木製だろうな。床材の色に合わせた方がいい」
部屋に調和するように、と取り出した帳面へ、ざかざかとラフを描く。流石に美大卒なだけはあって、ラフだというのに驚くほど完成品がありありと浮かぶ。
「彼方兄ちゃん、上手いね……」
「これで飯食ってるからなぁ」
今回はサービスで材料費だけにしてやるよ、と言われて、慌ててそれは駄目だとかぶりを振る。春花は田舎育ちだ。周りに職人さんも多くて、その仕事の大変さもわかっているつもりである。
甘えられない、と告げる彼女に軽く片眉を持ち上げた日浦は、ぽつりと今回かかる技術料を告げて、その金額に顔を強張らせた春花へ、生温かい眼差しを向けた。
「報酬もらえるって言うけど、先払いじゃないんだろ。懐、大丈夫か?」
「うぐッ。でも、それはちょっと。あの、支払いは報酬受け取った後でいいですか」
「それは構わないけど、おまえ相変わらず甘え下手だなぁ。というか、先方の予算はどうなんだ?」
あ、と声をあげれば「確認」と短く指示されて、慌ててスマートフォンへ手を伸ばす。現状をあれこれ報告して、幼馴染みの経師屋さんにお仕事頼むかも、と付け加えると、なんとも軽く「幾らかかる?」と返ってくる。続けて、曾孫たち全員でお金を出すから、余程の高額でなければ大丈夫だとも。
日浦に暫定で見積もりを出してもらい、恐る恐る書き込んで、序でに日浦が描いた仕様書を添付して沙汰を待つ。
返答が来たのは、その日の夜も更けた頃だった。
◇◆◇
待ち合わせのカフェへ慌てて駆け込むと、出入り口からほど近い席に座っていた友人が軽く手をあげた。ごめんね、と手を合わせながら駆け付けて、テーブルの上に鎮座する紅茶のポットを確認すると、やってきたウェイトレスにコーヒーを頼む。
やれやれと荷物を足下の篭へ置き、腰を落ち着けて嘆息すると、頬杖ついた友人が顰めっ面で口を尖らせた。
「事故ッたっていうから、びっくりしたんだけど」
「大したことないの、自損だし」
充分に余裕をみて家を出発し、鼻歌を歌いながら駅へと車を走らせていたら、山からいきなりウリ坊が飛び出してきただけだ。びっくりして思わずハンドルを切り、用水路に片輪落としただけである。
なんだなんだと様子を見に集まってきた、ご近所にお住まいのヒトビトや、耕耘機で丁度通りかかったおっちゃんに救出してもらって、事なきを得たものの。車道へ無事復帰するまでに、少し時間がかかってしまったのだ。お蔭様で電車を逃してしまい、遅れる旨を連絡したのである。
「すげぇ、田舎にも程がある」
「田舎あるあるよォ」
「ウリ坊は平気だったの?」
「うん、そのまま逃げちゃった」
「命拾いしたねぇ、お互いに」
無事だったからこその軽口を叩きあい、春花は「お待たせしました」と持ち込んだ紙袋を差し出した。
「フォトブックの見本と、フォトフレーム……というより、額になっちゃったけど。フォトブックは、それでいいなら美菜の所に追加で発送手続きするだけ」
「ありがと。確認するね」
にこやかに受け取った友人は、早速ポットたちを脇に追いやる。紙袋に手を突っ込んで、文庫サイズの白いフォトブックを取り出した。その表紙は少し思うところがあって、当初から変更している。今では、パッと見ではフォトブックと判らないかもしれないが。
見本として発注した一冊が届いて春花も驚いたのだが、なかなか手触りのいい紙が使われており、発色もとても奇麗だ。友人も興味深げに矯めつ眇めつしている。
「すごいね、紙も結構いいし。なかなか奇麗……やだ、こんなとこまで撮ってたの? やっばい!」
けらけら笑いながら中身を確認して、友人は満足そうに頷く。
「うん、やっぱり由果に頼んで良かった。これ、人数分送ってね」
ほっと胸を撫で下ろして頷く春花を他所に、友人は紙袋から薄い紙箱を取り出した。
大きさは、小さめの賞状程度の横長型をしている。これは流石に既成の箱を利用しているそうだ。向きを確認しながら丁寧にテーブルへ置いて、そっと蓋を外した友人は、わぁ、と目を輝かせる。
「え、なにこれ。え、見せてもらった絵よりすごくない?」
最終的に日浦の意見も聞き、初めに選んだ写真をバストアップでトリミングして使用することにした。幸せそうに微笑む老婦人を囲んだ誰もが、少しだけお澄まししながらも愉しげに笑っている。
それを飾るのは、ダークブラウンの細いフレーム。色味は重めのわりに、意外なほど繊細に見えた。写真を囲むマットは、柔らかな印象のオフホワイト。そこに、ほんのりとパールを帯びた同じ色で、花柄を描いている。
使用した版木は菊重。
折り重なった菊の花が敷き詰められた華やかなもので、現代のファブリックに使われても違和感がないのではないかと思われる紋様だ。
元々マットは、カバーガラスに作品が触れないように保護するためのものだったらしい。貼り付いて大惨事になることもあるから、と遠い目で言う日浦に、何となく古いアルバムのカバーフィルムに貼り付いてしまった写真を思い出した。
あれは幼い頃の出来事で、母が若い頃に撮った物だったか。剥がれた印面に呆然としていた姿も思い出せば、確かに大惨事と言えるだろう。
閑話休題。
今回はガラスを使用せず、UVカット加工した樹脂板が填められているそうだ。近年は色褪せ防止のため、こうした物に変えられていることも多いらしい。
「すごーい。なんだっけ、襖作る人って言ってなかった?」
「そうだよー。なんかね、他にも掛軸とか屏風も作る人なんだって」
「売り物みたい」
「そりゃそうよ、普段は画家の額装もやってるんだって。日本画って、掛軸だけじゃないみたい」
今回のことがあって、初めて経師屋という仕事についてきちんと理解した。彼らは結局、美術に携わる人なのだ。
曾ては生活のすぐ傍らにあった、今では美術品と括られてしまった物たちを仕立てる人。
そう考えれば、やはり日浦へ相談したのは正解だったのだろう。小日向兄は、その辺りも承知のうえで、助言をくれていたらしい。
へぇ、と相槌を打った友人は、何やら気づいた様子で目を瞬かせた。
「あれ? これって、フォトブックの表紙とおんなじ柄?」
「そう。菊って長寿の意味があるんだって。おばあちゃまのお祝いだから、そのほうがいいと思って」
表紙用の画像も、ぼんやりとした春花の案を聞いて、日浦が用意してくれたのだ。こちらは全面埋め尽くしてはおらず、うっすら青を帯びた淡いグレーの線が、繊細に表紙を彩ってくれている。
実は飾り文字のタイトルも日浦作で、本当に器用な人だなと感心した次第だ。
「この柄、可愛い。これで手帳とか欲しくない?」
「だよねぇ! 見本帳見せてもらった時、絶対これだと思ったの! ていうか、手帳かぁ。それは思いつかなかった」
思わず感心した春花に、友人はにんまり笑う。
「メモとか、一筆箋でもいいけど。あ、絵葉書も可愛いかも? 紙物がいいなぁ。絶対好きな人、他にもいるし」
なるほど、と頷いて思案する。
これは、日浦にも小日向兄のように副業をやってもらうべきだろうか。今だって、小日向兄の作品管理と発送をやっているのだ、大した手間でもない。
しかし、彼はあれで忙しいのだ。流石に無理かもしれないが。企画だけしてもらって、小ロット印刷に回してしまうという手もある。
春花がそんなことをちらりと考えている間に、丁寧に蓋をして箱とフォトブックを紙袋へ仕舞った友人は、少しだけ心配そうに眉尻を下げた。
「代金振り込んできたけどさぁ、あれで本当に足りる? こんなすごいの作ってもらって、釣り合わない気がする」
「うん、大丈夫。端材と在庫紙で丁度取れたらしいから、問題ないって」
それから、と鞄を探り、ケースに入った記録媒体を取り出す。
「今回撮った写真、全部DVDに焼いてきたから、これも渡しておくね。解像度高めに撮ってるから、このまま写真屋さんに持ち込めば奇麗に銀塩焼いてくれるよ。使わなかったオフショットも結構あるし、インデックス作ってあるから」
「いいの? 有難う! うん、やっぱり間違ってなかった」
何やら頷いて記憶媒体を受け取った彼女は、それを丁寧に鞄に仕舞うと、封筒を取り出して恭しく差し出す。
「今回の報酬です。満場一致で金額決定したから、黙って受け取ってね」
言い種に首を傾げ、受け取った封筒の中を覗き込む。そうして、見えた紙幣とその厚みに固まった。
「受け取ってね!」
にんまり笑って念を押す友人を、ぎしぎしと錆び付いた絡繰人形のように見遣って、指折り理由をあげるさまを見つめる。
「ほら、出張してくれたでしょ? で、すんごいカメラでいっぱい撮ってくれたしー、和やかな空気作ってくれて、みんなも緊張しなかったって。それで、フォトブックの手配と、職人さんの仲介してくれたし、こうして撮った写真全部くれるし? 下手すると、写真館でお願いするより至れり尽せり。プロじゃないって言っても、腕は確かだもん。写真館へ支払うつもりで用意してた代金、そのまま持ってきたの」
「え、いや。でも。経師屋さんに支払った代金……」
「写真館ではこんなのやってくれないでしょ。自分で額装頼んだらこのくらいだろ、て一番上のお兄ちゃんがさ?」
受け取ってね! と笑顔でだめ押しされて、春花はぎこちなく頷いた。
「……わかった。有難う」
「こっちの台詞ですー。いい仕事した人は、きちんと対価を貰わなきゃ。ていうか、曾孫何人いると思ってんの。個人負担は微々たるもんよ」
友達だからって乞食するつもりなんてないんだからね、と笑って額を突つかれて、春花も苦笑を浮かべる。
見た目はイマドキの女の子のくせに、こういうところはきちんとしているのだ。だからこそ、こうして気持ち良く付き合えるのだけど。
思えば、撮影で集った曾孫たちも、気持ちの良い人柄のヒトたちだった。きっと一族みんな、あんな感じなのだろう。育った環境というのは大切だなぁ、と改めて思う。
大人しく封筒を鞄へ仕舞っていると春花のコーヒーが運ばれてきて、友人は「さて」とにんまり笑って手を合わせた。
「お仕事の話しは終わり! ケーキ頼んじゃおっかな」
「あ、そうする? ここはシフォンだったよね」
「そう! ムース挟んだシフォンケーキ。美味しいの」
友人が「季節のシフォン」と頼むのに倣い、そのまま取り留めのないお喋りへ移行する。
間もなく運ばれてきたシフォンケーキは、よく見る何等分かに切り分けられた一切れへ切り込みを入れて、ムースクリームと季節のフルーツを挟み込んだものだった。その周りでフルーツが彩りを添えており、明らかに映えを意識した一皿である。
奇麗に盛り付けられた皿に歓声をあげて、スマートフォンを構えることもなく幸せそうに頬張りながら、思う存分喋り倒して彼女とは店先で別れた。
足取り軽く駅までの道を歩きながら、じわじわと今更ながらに実感してきて、にまにまと口元が緩む。
趣味で、お金を稼ぐことが出来た。きちんと認めてもらえた。
そのことが思いの外嬉しくて、早く誰かと分かち合いたいとそわそわする。自然と歩みは早くなって、駅へ駆け込むとホームでスマートフォンを取り出した。電光掲示板を見上げれば、乗る予定の電車がすぐに来るようで、通話を諦めてメッセージを打ち込む。
そうしているうちに電車が滑り込んできて、彼女はそのまま乗り込んだ。
後日、おばあちゃまから素敵な手紙を頂いて、春花は大はしゃぎで日浦家へ押し掛けた。素敵な写真と、素晴らしい経師屋さんとのご縁を有難う。そう書かれていた手紙を見せて、同封されていた日浦への手紙を差し出す。
受け取って一読した彼は、穏やかに笑ってそれを春花へ差し出した。断って文面を覗き込めば、丁寧な礼状のようである。それに付け加え、また仕事を頼むかもしれないことと、その際は曾孫と春花を介することになる旨が書かれている。
「そういえば、こちらの連絡先教えてなかったな」
「あー、そうだね。彼方兄ちゃん、名刺持ってる? 次に美菜と会う時に渡しておくよ」
じゃぁ頼む、と戸棚へ手を伸ばし名刺入れを引っ張り出すと、一枚渡された。厚地の和紙らしい手触りのそれは、なかなか味のある風情だ。
「おお、カッコイイ。あ、そうだ。亘くんと話してたんだけどさぁ、彼方兄ちゃんもアプリで何か売ってみない? 具体的には紙物の雑貨」
美菜が菊重の手帳欲しいって言ってたんだよね、と小首を傾げる。果たして日浦は、嫌そうに眉をひそめた。
「そんな時間あると思うか?」
「いや、企画とデザインだけでいいよ! 弘兄ちゃんのもやってるんだから楽勝」
それマージン貰ってるか? と訝しく尋ねられ、彼女はきょとりと目を瞬かせる。
「手間賃くれるよ? いらないって言ったんだけど、それは駄目って弘兄ちゃんが」
「……だったら、それを仕事にしろよ、おまえ」
他にもクリエイター集めてセレクトショップでもやれば、と促されて、春花は瞠目する。
「……それは考えてなかった。でも、そう簡単には」
「チヨにも声かければ? あいつ、個人的にイラスト描いて遊んでたりするから、それ使ってグッズ企画するとか」
「え、え、待って。ちょっと考えさせて!」
悲鳴まがいの声をあげて頭を抱えた春花が、尾野から出資を受けてセレクトショップを立ち上げるのは、また別の話。取り敢えずの目標は、店鋪を持つこと、らしい。
〈了〉