02.その正体は……
一呼吸置いてから、カエデは顔を伏せたまま仰々しく話し始める。
「〝魔王〟様、魔素溜まりが新たに二つ発生しました。Eランク冒険者でも、この街から徒歩で二日もあれば、たどり着ける範囲です」
「……何度も言っているけど、妾は〝元〟魔王よ。呼ぶ時は先代とでも付けなさい」
「カエデにとっての魔王様は、リーゼロッテ様ただお一人のみ。カエデには魔王様は魔王様であって魔王様以外ありえません」
何度言っても変わらない押し問答。
全く生真面目なカエデに、妾は軽く肩を窄める。
「まあいいわ。魔素溜まりは、ついこの間――三年ほど前に、三つほど発生したと記憶しているのだけど。少し魔素溜まりの発生周期が早くないかしら?」
「おっしゃる通り。ここ十年ほど魔素溜まりの発生頻度が早まってます。今のカエデでは大規模な調査を行うことが出来ないため、当事象が近隣だけの事象なのか、世界的なのか判断することができません」
抑揚のないカエデの声に混じる、微かな揺らぎ。
魔素溜まりについて、世界規模で情報を集めることが出来ずに悔いているのだろう。
妾は小さく肩を窄める。
昔から、冷静沈着と評価されがちなカエデだが、内面はそうではない。ちょっとしたことで落ち込みやすい。
もう魔王軍四天王筆頭ではないことを自覚して欲しいものだ。妾もを立場に見合った働きで評価をしているというのに。
完璧を求めすぎるのは、カエデの美点であり欠点でもある。
「よい。情報は正確な方が価値は高いけど、たかだか辺境の道具屋店員が世界規模の情報など集められるはずないでしょう。近隣の情報だけで十分よ」
これでカエデの気が晴れないことは分かっているけど、フォローをしておく。
「で、魔素溜まりが迷宮を出現させる魔素濃度に達する可能性は、どれくらいあるのかしら?」
「数十年以上放置していれば、迷宮を出現させる可能性がわずかばかりあるかと。ですが、この地域に見合わない強さの魔物が発生する可能性は極めて高いでしょう」
「まあ、それは当然の話ね。この辺りは駆け出しの冒険者が多いから。Dランクの魔物が出現しただけで、てんやわんやした話はよく耳にするから。Cランクの魔物が出現すれば壊滅的な被害になるんじゃないかしら」
妾は思わず眉を顰めてしまう。
Cランクの魔物――ホブゴブリンがゴブリンを率いて村を襲撃して廃墟になった、とつい最近、店を訪れた冒険者から聞いたばかりだ。
人族を襲うという単純な目的で統率された魔物はランク以上の脅威となり得る。
元々は、人族の勢力圏を簡単に拡大させないための雑魚魔物で、運用コストも低い。数を用意したいときには重宝する魔物だけど、管理を離れて野生化すると厄介極まりない。
野生化すると、命令をまともに聞かず、駒としては使えない。
しかし、数だけは多いので、野生化した魔物が計画外の被害を人族に与えることも多く、頭痛のタネとなっていた。
妾の前の魔王が人族の勢いを脅威に感じ、大量の雑魚魔物を世界中にばら撒き、管理が出来ずに大量に野生化させていたため、魔王を引き継いだ当初は、ゴブリンなどの野生化した魔物を減らすことに、どれだけ労力を費やしたか分からない。
神々の相手や公務で、大陸でも吹き飛ばして鬱憤晴らしでもしようかと思った時に、野生化した魔物の討伐依頼を冒険者ギルドに出すことを閃いた当時の妾は賞賛されて良いと思う。
妾は雑務が減る、冒険者は経験値とお金が手に入る、癪だけど神々は人族が強くなるで、皆得という完璧すぎる案だった。
「今も定期的に野生化した魔物を間引きさせるための討伐依頼が冒険者ギルドに出ているみたいだけど、誰が行っているのかしら?」
「不確かな情報ではありますが、土の元四天王が定期的に行っているようです」
「土の四天王――あの子、勇者に倒されても死んだと報告を受けた気がするのだけど?」
「ギリギリのところで死を免れたようです。姿を隠す前に、『傷を癒やし、力を蓄え、再び魔王様のもとへ駆けつける』と申しておりましたが……」
カエデが言い淀む。
理由はすぐに思い当たる。
妾が神々と派手にドンパチやらかして迂曲曲節、今に至るというわけで、妾のもとに駆けつけるタイミングは皆無なわけよ。
「あの子の忠誠心は嬉しく思うけど、致し方ないわ。まあ、今後もあの子なら、定期的に冒険者ギルドに討伐依頼を出し続けてくれるでしょう。あとは縁があれば、あの子と顔を合わせることもあると信じておきましょう」
「そうですね。当時、志願した風に任せず、乗り気ではなかった土に任せると魔王様が申された時、カエデは少し心配してしまいました。さすが魔王様。慧眼に感服しました」
「まあ、志願したことは嬉しく思ったけれど、飽き性で継続性が乏しい子に任せるのは不安しか無かったから……」
確実に着実に野生化した魔物の数を減らしたかったのよね、妾がキレて大陸を吹き飛ばす暴挙に出る前に。
と心の中だけで付け加えておく。
でも、実際のところ、あの子でなければ、冒険者ギルドに支払う依頼金を準備することが難しかったのもある。あの子は貴金属やら宝石やら人族が欲しがる物資を用意することが得意だったのよね。
こほん、と咳払いをして妾は話を戻すことにする。
「魔素溜まりだけど、手の届く範囲は面倒を見ることを継続よ。いつも通り魔晶石を設置して、魔素を吸収させ、魔素濃度を下げなさい」
「御意。ただ、魔晶石が残り七つしかございません。そろそろ買い出しをご検討していただいた方が良いかと」
「買い出しか、気が重くなるわね。品質の悪い安物では役に立たないから。またドワーフたちに頼み込まないといけないわね……」
はぁー、と妾はため息をつく。
魔王時代なら、多少の無理も通ったが、辺境の道具屋として、偏屈者――ドワーフを相手に商売の話をするのは骨が折れる。
お金の問題はあるが、信頼やら信用やら、偏屈どもを捻じ伏せる手札が今の妾は心許なさすぎるから。
妾は表情を引き締め直し、カエデに指示を飛ばす。
「魔晶石については妾の方で動くわ。カエデは早急に魔晶石を魔素溜まりへ設置した後、いつも通り冒険者ギルドへ魔素溜まりの情報を流しなさい。定期的に冒険者が巡回して魔物を狩れば、魔素の影響で存在値を上げてランクアップする魔物もそうそう発生しないでしょう」
「委細承知いたしました」
手の届く範囲の魔素溜まりを管理する方針だけど、原則間接的なことしか出来ない。
妾が率先して動けば、一番効率的なのだけど、そうもいかない理由がある。
それが世界の理たる――
〝魔王システム〟
倒されても何度も蘇る魔王と、次々と聖霊に導かれて現れる勇者たちを、永遠と戦わせ続ける仕組み。
神々の暇つぶしのための仕組み。
妾が神々の想定していない行動をとった結果、システムは不具合を引き起こし、まともに作動しなくなって数百年。
そのおかげで妾はシステムの管理外の存在となっている。
下手に妾が世界に関与してしまうと、魔王システムが再び正常に動作し始めるかもしれない。
そんな神々が喜ぶことをやるつもりは毛先ほどもない。
妾が己のチカラを封じているのも神々に捕捉されて魔王システムに再度組み込まれることを回避するため。
(魔王システムを完全に破壊する術が見つかればよいのだけど……)
そんなことを考えながら、僅かに滲み出していたチカラの根源をカラダの奥底へ押し込んでいく。
何十も重なり合った膜に包まれていくように、感覚が鈍くなっていくことに、ため息がこぼれてしまう。
私は椅子から立ち上がり、パチンと指を鳴らす。座っていた椅子がふわりと宙に舞い、元の位置へ戻る。
同時に店を包んでいた人払いの結界を解除する。
「ふぅー、今日は天気も良いし、まだまだ客がきそうね」
「そうですね。で、店長、話は変わるのですが――」
ゆらり、と立ち上がる店員。
ニッコリと微笑みながら私を見るが、目が一切笑っていない。
同時に私の頬を冷たい汗が一筋伝う。本能が目の前の存在を脅威だと認識している。
「この注文書はなんですか? カエデが口を酸っぱくして言いましたよね。需要と供給を踏まえて注文を受けることが大事だと」
「で、でも、良かったのよ。相場より三割も高く買い取るって……」
「だからといって、この辺りで需要のない上級回復ポーション百本の注文を受ける必要はないですよね?」
「ざ、材料を集めて発注すれば、利益八割くらいになるはずなのよ。そんな美味しい話を蹴るなんて勿体な――」
「上級回復ポーションの材料が、この辺りで簡単に手に入ると思っているんですか? そもそも上級回数ポーションがこの辺りで流通してると思っているんですか?」
カエデのひときわ冷たい声。
気がつけば私は床に正座をして、彼女に小一時間ほど説教をされていた。