第四話 港街ルル・マリス
潮風が頬を撫でる。
広がる青い海、活気に満ちた港。ルル・マリスの町は、白い石造りの建物が並び、陽気な声があちこちから響いていた。
イクリは市場の露店を眺めながら、ふと鼻を鳴らした。
「…へぇ、なかなかいいもん揃えてんじゃねぇか」
市場には、見たこともないような魚や貝がずらりと並んでいた。
透明な甲殻を持つ「蒼殻のオウロガニ」、黄金色のウロコが輝く「陽炎魚」、そして水晶のように透き通った身をした「幻海鱗の卵」…などなど。
ユリウスはごくりと唾を飲み込みながら、まるで獲物を狙うような目でそれらを見つめていた。
「…腹が減った」
「さっき飯食ったばっかだろ、底抜けか?」
「だって美味そうだろ…」
イクリは呆れながら、ユリウスの腹の虫が鳴る音を聞いた。
「…チッ。しゃーねぇな」
イクリは露店でオウロガニを指差すと、店主に頼んだ。
「そいつ一匹くれ。あと調理場、借りていいか?」
「あぁ? 兄ちゃん、料理できんのか?」
「こいつよりはな」
イクリはユリウスを顎で示しながら、不敵に笑った。
ユリウスは若干不満げだったが、空腹に勝てず黙って見守ることにした。
——数十分後。
港の広場に、香ばしい香りが漂い始める。
イクリが作ったのは、「蒼殻のオウロガニの香草焼き」。
殻ごと焼かれたカニは、ほのかに甘い香りを放ち、黄金色に輝く肉がほろりと剥がれる。
「ほらよ」
イクリが皿を差し出すと、ユリウスは目を輝かせた。
「おお……!」
「熱いからな、慌てんなよ」
——その忠告は、完全に無視された。
ユリウスは迷いなくカニにかぶりつく。
「…っ!!」
口の中に広がる濃厚な旨みと、香草の爽やかな香り。
ほどよい塩気とカニの甘みが絡み合い、焼かれたことで殻の香ばしさまで加わっている。
「うまい…。」
ユリウスは目を閉じて味わいながら、呆けたように呟いた。
イクリは腕を組んで、満足げに鼻を鳴らす。
「はは、食い意地張ってんな。ま、料理人冥利に尽きるけどよ」
「お前、料理人だったのか?」
「違ぇよ。戦場で生きるには、自分のメシぐらい自分で作れなきゃな」
「…なるほど」
ユリウスはカニを食べながら、少しだけ尊敬の目を向けた。
——しかし、和やかな時間は長くは続かなかった。
遠くで突然、悲鳴が上がる。
「ぎゃああああっ!」
「なんだ!?」
イクリとユリウスが反射的に立ち上がる。
広場の先で、巨大な魚のような影が暴れ回っていた。
「荒海のバルダーン」——港を荒らす魔物。
船を沈めるほどの力を持ち、潮の流れを自在に操る。
市場の人々が逃げ惑い、町の漁師たちが必死に武器を構えるが、まるで歯が立たない。
ユリウスは剣を抜き、イクリは軽く指を鳴らした。
「…仕方ねぇな」
「腹ごなしにはちょうどいい」
そして——
戦いが始まった。
バルダーンの巨体が市場を蹂躙する。
その体長は五メートルを超え、鋼のような鱗が全身を覆っていた。 何より厄介なのは、背びれから発する異様な波動——まるで潮流そのものを操るかのように、周囲の水が異常な動きを見せる。
「チッ…海の魔物は面倒くせぇんだよ」
イクリが舌打ちしながら屋根の上に飛び乗る。 足場を確保しつつ、バルダーンの動きを観察する。
対してユリウスは、既に剣を抜いていた。
「水を自在に操る能力か…だが、その範囲は?」
ユリウスは冷静に敵の力を見極めようとする。
バルダーンが咆哮し、鋭い尾を振るった。
——瞬間、潮が暴れ、刃のように飛ぶ。
「っ、くそっ…!」
ユリウスは即座に剣を構え、防御に徹する。
イクリはその攻撃を難なく回避し、屋根から屋根へと軽快に跳ぶ。
「のろすぎんだよ」
イクリは笑みを浮かべながら、バルダーンの背後に回り込んだ。
手にした短剣を逆手に持ち、一気に飛びかかる。
——だが、バルダーンの鱗は硬かった。
刃が弾かれる音が響く。
「…チッ、無駄に硬ぇな」
イクリは即座に距離を取り、着地する。
バルダーンが再び潮を操り、無数の水刃を生み出す。
「…こいつは、まずいな」
ユリウスは一瞬で判断した。
街人の避難は済んだのか、街の損壊も最低限に留めたい。
このままでは、無駄に時間を食う。
「なら、強引に突破する!」
ユリウスは剣を強く握りしめ、足元に力を込めた。
そして——
「はぁぁぁっ!!」
地面を蹴り、一気に距離を詰める。
ユリウスの剣が閃き、襲いかかる潮を一刀両断。
バルダーンの攻撃が止まる。
「…ッ、今だ!」
イクリが即座に動く。
屋根から飛び降り、見定めていたバルダーンの首元へ拳を叩き込む。
「潰れろ!!」
——だが、ギリギリのところでバルダーンが体を捻った。
攻撃は直撃せず、わずかに浅く当たっただけだった。
「…チッ」
イクリが後退しようとしたその時、バルダーンの口が大きく開く。
——強烈な水圧の弾丸が放たれた。
「っ…!!」
イクリが咄嗟に防御の構えを取る。
だが、次の瞬間——水弾は真っ二つに裂かれた。
「…は?」
イクリが目を見開く。
そこには、ユリウスの剣があった。
「—閃光の斬撃」
ユリウスがバルダーンの正面へと立ち、鋭い剣撃を繰り出す。
光が迸り、バルダーンの額を貫く。
次の瞬間——
バルダーンが、沈黙した。
「おい」
イクリが不満げにユリウスを睨む。
「トドメ、持ってくなよ」
「…でもお前は今死にそうだった。」
ユリウスは淡々とした口調で謝るが、全く反省している様子はない。
イクリは「あんなんじゃ死なねぇよ」と舌打ちしながら、腕を組む。
「まあいい。…こいつは食えるのか…?」
イクリは呆れたようにため息をついた。
「お前、戦い終わったばかりだぞ…」
「戦いの後は腹が減る。」
——こうして、港町の平和は取り戻された。
そして、その夜。
町の広場では、大きな宴が開かれた。
塩焼きにしたバルダーンの尾肉のステーキ、オウロガニのスープ、陽炎魚の炙り… 次々に振る舞われる豪華な海の幸。
イクリは鮮やかな手つきで料理を仕上げ、ユリウスはひたすら食べ続ける。
町の人々はそんな二人を見て、微笑んだ。
「——また来てくれよ!」
「お前たちは、この町の恩人だ!」
イクリは少しだけ照れ臭そうに鼻を鳴らし、ユリウスは満足げに頷いた。
こうして、束の間の平穏な日々を過ごした二人は——目的地、聖都への道を向かうことになる。




