第二話 旅の始まり
聖都エリシアへ向かう道は、夜の闇に沈んでいた。
イクリとユリウスは、朽ちた街道を歩いていた。聖都へ続く"巡礼の道"だった場所だが、今は廃れ、旅人もほとんど通らない。
イクリは手持ち無沙汰に煙草を咥え、ユリウスの横を歩く。
「なぁ、一つ聞いていいか?」
「なんだ」
「お前、なんでそんなに落ち着いてんだ?」
イクリは煙を吐き出しながらユリウスを横目で見る。
「異端のオレと手を組むとか、聖都のヤツらが知ったら発狂モンだろ。処刑されんじゃねぇの?」
「そうだな。」
「…おい」
「だが、それがどうした?」
ユリウスはまったく動じていなかった。まるで"当然のこと"のように、冷静な口調で続ける。
「俺は俺の意思で動いている。上の連中がどう思おうと関係ない」
「テメェ、それ本当に聖職者か?」
「俺は所詮人間だ。」
イクリは呆れたように鼻を鳴らす。
「お前、マジで面白ぇな。」
夜風が吹き抜け、草木を揺らす。
ふと、ユリウスが足を止めた。
「…来るぞ」
「あー?」
次の瞬間——森の闇の中から、"何か"が飛び出してきた。
黒い影。巨大な四足の獣。赤く輝く眼。
「魔獣か…!」
イクリは瞬時に身体を翻し、魔力を手に集める。
「はっ、いいねぇ…暴れるか!」
魔獣が咆哮とともに飛びかかって来る。
巨体に見合わぬ素早さ。四肢の筋肉が弾けるように動き、鋭い爪が夜闇を裂く。
だが——
「ハッ、遅ぇよ」
イクリはその一瞬で見切っていた。
足元の小石を軽く蹴る。躍動感とともに身体を傾け、わずかに魔獣の攻撃をかわす。
魔獣の爪がイクリの頬をかすめるかと思われた——が、イクリは"それすら読んで"いた。
「——月影掌」
イクリの拳が魔獣の顔面を狙い撃ち抜いた。
空を裂く音…。
次の瞬間、魔獣の巨体が弾け飛び、地面を転がった。地面を引き裂きながら、数メートル先で止まる。
イクリは肩を回しながら舌打ちする。
「ちっ、これでまだ生きてんのかよ。頑丈な野郎だな」
魔獣は呻きながら立ち上がった。片目が潰れ、口から血を吐いている。それでも、まだ戦意を失ってはいなかった。
「しぶといのは嫌いじゃねぇ…けど、いい加減大人しく——」
イクリが止めを刺そうと、一歩踏み込んだ、その時だった。
「——聖光貫破」
凍りつくような静寂の中、ユリウスが剣を振るった。
純白の魔力が放たれ、一直線に魔獣を貫く。光の軌跡が一閃した次の瞬間——
魔獣は断末魔の叫びを上げることなく、塵となって消えた。
完全な、消滅。
「……………………。」
イクリはしばし呆然と立ち尽くし——そして、バッとユリウスを睨みつけた。
「おいコラ、オイシイとこ持ってくんじゃねぇよ!!」
「もうちょっとでトドメだったのに、てめぇ…! ふざけんなよ、マジで!!」
ユリウスは平然と剣を納め、イクリを一瞥した。
「敵を倒すことが目的だ。貴様がどう思おうが関係ない」
「関係あるわ!! 戦士たる者、最後のトドメってのはなぁ…!」
イクリがぶつぶつ文句を言っていると、ユリウスがため息をついた。
「…そんなに悔しいなら、次は譲ってやる」
「はぁ!? そういう問題じゃねぇんだよ!」
「行くぞ。」
「テメェ、マジでムカつくな…!」
イクリの文句は止まらなかったが、ユリウスはすでに歩き出していた。
不満げに煙草を噛み、乱暴に火を灯す。
それでも、イクリはユリウスの後を追った。
森を抜けた先に、小さな川が流れていた。
「おー、水場じゃねぇか。ちょうど喉乾いてたんだよな」
イクリは嬉々として川に駆け寄ると、そのまましゃがみ込み、水を両手ですくって飲み始めた。
ユリウスはそんなイクリを見て、ため息をつく。
「…お前な、もう少し警戒しろ」
「んだよ、水くらい好きに飲ませろっての」
イクリは顔を上げ、不満げにユリウスを見た。
「オレが誰かに毒でも盛られるとでも? こんなとこで?」
「毒の有無ではない。夜の森では、どこに魔獣が潜んでいるかわからん」
「チッ、いちいちうるせぇなぁ……」
文句を言いながらも、イクリは川辺に腰を下ろし、腕を組んで空を見上げる。
月が静かに輝いていた。
「…それにしても、静かだな」
「当然だ。今は深夜だ。夜行性の獣以外は、休んでいる時間だろう」
「そっか」
イクリはぼんやりと夜空を眺めながら、指で水面をなぞった。
静かな夜。森の奥では虫の声が微かに響いている。
こういう時間は、嫌いじゃない。
「…なあ、ユリウス」
「なんだ」
「お前さ、夜にこうやってちゃんとのんびりしたことあんの?」
ユリウスは一瞬、考え込んだ。
「…ないな」
「マジかよ」
イクリは呆れたように笑う。
「いつも剣振ってるか、鍛錬してるか、筋トレか、そんなとこか?」
「…そうだな」
ユリウスは素直に認めた。
「俺は戦士だ。戦うために生きている」
「戦うために生きる、ねぇ…。」
イクリは興味深そうにユリウスを見た。
「そんで、お前の"戦い"の先には何があんだよ?」
「…未だわからない。」
「へぇ?」
「だが、戦わねばならないことだけは確かだ」
ユリウスはそう言うと、剣の柄を軽く叩いた。
「お前こそどうなんだ。お前は何のために戦う?」
その問いに、イクリは肩をすくめた。
ユリウスが黙って先を促すと、イクリは夜空を見上げたまま、にやりと笑った。
「オレもわかんね。…でも、なんか戦わなきゃいけねぇ、そんな気がするんだ。」
ユリウスはじっとイクリを見つめる。
だがイクリは、それ以上は何も言わなかった。
「…ま、戦うのは嫌いじゃねぇしな」
イクリは伸びをすると、川辺にごろんと横になった。
「おい、寝るのか」
「当たり前だろ。せっかく休める時間があんのに、無駄に起きてるのはアホのすることだ」
「…はぁ」
ユリウスは再びため息をつきながらも、結局その場に腰を下ろした。
イクリは目を閉じ、微かに笑みを浮かべる。
「…夜は、嫌いじゃねぇ」
森の中で、静かな時間が流れた。
だが——それが束の間の休息でしかないことを、二人はまだ知らない。




