03 姉と妹、あと大家さん
「おかえ……お姉ちゃんその人だれ……?」
ざしゅっっっ。
ジャックナイフターンを大げさに決めて停車すると、そんな声が僕たちを出迎えた。僕はただもう、よろよろ、荷台から降りてその場にどっかり、尻餅をついてしまった。
渋谷から自転車で十分少々(ただし、あのスピードで)。一軒、例の十九キロを届ける配達を挟んでたどり着いたのは、こんな都心にこんな地区があるなんて、と少し信じられなくなるぐらい、ボロくて古くて小さい家が建ち並ぶ住宅街……というよりもう、スラム街、と言いたくなるような場所だった。場所的にはかなり高級住宅地のはずなのに……ムカシのヤンキーマンガ主人公が住んでいてもまったく違和感がない感じの街並み。
そして自転車が止まったのは、中でもとりわけ古いアパートの前。
木造二階建てのそれは、戦争前からありますって言われても、なるほど、と頷くしかないほどボロい。大きく、志水荘、なんて書かれてるのもまた、時代を感じてしまう。
「ただいまー! この人はね、ワケアリの人! 拾ってきちゃった!」
自転車から降りた女の子……神楽一絵さんは、駆け寄ってきた女の子の頭をわしゃわしゃと撫でた……が、撫でられた子、たぶん神楽さんの妹さんは、僕をまじまじ見ると、思い切り顔をしかめた。
「……お姉ちゃん……また……?」
声にはなぜか、怒りが満ちている。
姉と同じ明茶色の髪を二つくくりにして、ちょっと古ぼけた紺色のジャンパースカートにブラウス、という、著作権フリーのイラストに描かれてそうな子どもっぽい見かけとは裏腹……表情は大人びて、そして、怒っていた。
「え、あ、だって、ほら、なんかね、怖そうな人に襲われて困ってるっぽかったから、ね、ほら、あのー、大家さんだって言ってたでしょ、困ってる時は助け合いだ、って、ワケアリのヤツがいたら助けてやんな、って」
「この間言ったでしょ!? 小学生じゃないんだからそういうのやめてって!」
「だ、大丈夫だよー、そんなに心配しないでも……」
「この間のワンちゃん、月に五千円ぐらい食べるんだからね!? 猫ちゃんも! あと虫! キモイ虫ぽいぽい拾ってこないで!」
「か、カブトムシもカナブンもキモくないもん! ピカピカしてかっこいいもん! それに私、月に三十万円稼いでるもん! いいじゃん!」
「貯金しなきゃなんでしょ!? それに、なにより、人! 人をそんなに簡単に拾ってきて、ヘンな人だったらどうするの!? 危ないでしょ!? ただでさえお姉ちゃん美人でおっぱい大きいんだからもっと気をつけてっていつも言ってるでしょ!」
「へ!? え……えーと……ねえねえ太陽くん、君って……ヘンな人で、危ないの……?」
まだ体中が自転車の振動でぶるぶる震えているような気がして、腰が抜けて立てない僕に、真顔でそんなことを尋ねてくる。知るかバカ、という内なる声を抑え、僕はただ、喉から押し出すように呟いた。
「……君、よりは、まとも、だよ……」
異能も使わず、計七十キロ近い重荷を載せ、自転車のクセして車と併走するぐらいかっ飛ばし、息一つ切れてないどころか元気満々って様子の神楽さんと比べたら……満月の晩には月光に肛門を晒すと体調が良くなると信じてる人だって、それなりの普通人、ってことになると思う。
「ほら! ヘンな人じゃないって! 危なくないよ太陽くんは!」
「おばか! 自分でヘンな人って言うヘンな人はいません!」
「じゃあわかんないじゃんヘンな人かどうかなんて!」
「怖そうな人に襲われてる人は大体ヘンな人でしょ!」
「だ、だめなんだよ! そういう決めつけをしたら!」
「私たちもそのヘンなことに巻き込まれるかもしれないでしょ!」
ぎゃあぎゃあぴいぴい、姉妹が互いに目を三角にして、うるさくやり合い始めたところで。
「なんだいなんだいうるさいねえ!」
がらららっ、と勢いよく開いた一階の窓から、老婆が顔を出し、ことさらうるさく言った。
※※※※※※※※※※※※
ずずず……っ。
差し出されたお茶を啜りながら僕は、ようやく人心地がついて、ほっと一息。日本茶なんてほとんど飲んだことなかったけど、こういう時はありがたかった。風に振るわされ、まだぶるぶるいってる気がする体が、じんわり、落ち着いていくのがわかる。
「それで? あんた、どういう事情なんだい?」
神楽さんがまた人を拾ってきた、と知った老婆は、面白そうな顔をして僕と神楽さんを部屋に招いてくれた。妹さんは少し不満げな顔をしながらも、自分の部屋に戻っていった。
聞けば、このお婆さんが志水浮子、この物件……と言うのもはばかれるボロアパートの大家にして、オーナーらしい。
「えーとね、太陽くんはなんかね、スーツの人に追いかけられてて、それでついてって、そしたら首締められてたから、必殺技でどーん、で、それで、ワケアリみたいだからここに連れてきたんだよ」
「ほうほう、なるほどねえ、それで?」
小学生が映画のあらすじを説明するみたいな神楽さんの口ぶりにもまったく動じず、大家さんは片眉だけ上げ僕を見た。下手したら百歳以上に見えるしわくちゃの顔は、威厳と迫力に満ちていた。
「あ……その……すいません、あの、話すのは、いいんですけど……」
「なんだい、追っ手がここにも来るかもしれないって? 安心しな、来やしないよ、ここはね、お上だろうが悪の組織だろうが、絶対にわからないようになってるからね」
そう言うと老婆はいかにも意味ありげに、ニヤニヤ、笑った。
「へ?」
「ふへへ……アタシはこの東京のあちこちに、先祖伝来の土地を計千坪ほど持っているという、最強の異能者だからね……ふへへ……」
……たしかに、最強の異能者だ。
「冗談はおいといて、アタシの異能でね、アタシの土地の中の情報は、感知も探知もなにもできないようになってる。嬢ちゃんにも毎日、アタシの店子ならそういう効力が発揮される力を込めた装具を貸してあるから、誰もここまでは追ってこられないよ、ま、安心しな」
異能の力を込めて、他人に異能の効力を分け与えられたり、その他いろいろ、魔法みたいな力を発揮できる装具。持つのは免許制だし、安くても新車ぐらいの値がするはずだけど……都内に土地を千坪持ってる最強異能の持ち主なら、それも問題にならないか。にしても、なるほど、自分の土地や店子、って限定付きながら、かなり強めの対抗系異能……このお婆さん、すごい人なのかもしれない。
「あーその……EQ、って……ご存じですか? イコライザーっていう、テロ組織……」
「反異能主義、人間主義の連中だね。アタシの三番目の旦那が戦後すぐにハマってたよ。すべての異能を禁止しろ……だなんて、どうするかは知らないけど、アタシにはできると思えないがね。ないもん作ろうってのはいいが、あるもんなくそうって社会運動は大抵クソさ。アタシは嫌いだね、そいつらがアンタを追って来てんのかい?」
良かった。一般常識が通じる人だ……。
ちらり、神楽さんを見てみると、お茶菓子に出された大判焼きをむぐむぐと食べるのに熱中してて、何も気にしてなかった。うん、まあ、いいや。っていうか、そうか、このお婆さん、戦争中も普通に生きてたんだ……。
自分が教科書でしか知らない時代を現実に生きていた人がいる、っていうのは、妙に不思議な感じがした。考えてみれば当たり前なのに。
「ええと、詳しく説明すると、長いんですけど……どこから話せばいいか……」
僕はぽりぽり、頭をかいてしまう。
「ふぇんふぅ、ふぇんふふぃふぃふぁーい!」
口に大判焼きがまだ詰まってるせいで、もごもごとしか聞こえなかったけど、一絵さんが言った。一応口の手前を抑えてるけど、そのせいで余計聞き取りづらい。なんていうか……うん、感情に忠実な人だね彼女は……。
「一絵、あんたモノ口に入れながら喋るんじゃないよはしたない……ま、でもそうだね、時間はあるさ、たっぷり聞かせとくれ」
そう言われて僕は、喋り始めた。
僕が、世界最強の異能を持ってしまうようになる、その経緯を。
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一日三回更新、07:10、12:20、19:30。
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