02 バカと自転車
「えーと……あのー……勢いで殴っちゃったけど……だ、大丈夫、だよね、この人……?」
我に返ったのか、ぐったりしたままも動かない男を見て、女の子は不安そうに言った。
「……死んでても……むしろ褒められる、かもな……」
オマエみたいなガキを数十人単位で切り刻んでやったこともある、なんて自慢してきたようなヤツは、なるべくならそうであってくれ、死んでてくれ、と願いつつ、げほげほ咳き込みながら、僕は女の子をよくよく見つめた。
……とはいえ。
「え、あ、や、うそ、そういう、そういう感じの話だったのこれ……?」
ウーバーの人、だった。
白と赤のサイクルジャージに、白と赤のヘルメット。背中にはもちろん、あの黒いデカいバッグ。身長は百六十センチの僕より少し小さいぐらい。年はたぶん、同じぐらい。明茶色の長い髪をポニーテールにして、ヘルメットの後ろから出して背中の真ん中あたりにぷらぷら揺らしてる。いかにも元気いっぱいな明るい美少女って感じで、ちょっと目を見開くぐらいかわいい上に、ウーバーをやってるからか、現実で見てるのにすでにフォトショップされてるみたいな体型で……おいおい、今はそんなこと考えてる場合じゃない、ムカシのラノベ主人公じゃないんだから。
どういう話と理解したのかはわからなかったけど、おろおろする女の子は恐る恐る、男に歩み寄って顔を覗き込む。指を立てて頬を突こうとするので声をかける。
「あ、や、やめてくれ……そいつが、起きると困った……ことに……んげほっ……」
口の中には鉄の味。まだ頭がくらくらする。
「さっき……のは、君の、異能……?」
「へ? あ、違うよ、さっきのは……ほら、あれ」
そう言って女の子は、公園の入り口、芸術的な感じでサドルとハンドルを地面につけ、まったく上下逆になっている自転車を指さした。
「…………あれ?」
「うん! ほら、自転車でさ、急に止まると体が前に、ぴょーんってなるでしょ? それを利用した私の必殺技、ひきにげパンチ」
すごいでしょ、みたいな顔で鼻の下をこする女の子。
…………はい?
「私、こういう下り坂ならマックス四十キロは出せるし。それで、君が掴み上げられてたから、助けなきゃ、って! ブレーキは必殺技用のつけてるから私の愛機、あ、名前はね、ばかっぱや号。速いよ~~?」
僕も自転車で走ってる時、前輪に傘を刺され、その場で縦に一回転する感じで転んだことがあるからわかるけど……それを、意図的にやったってのか、この子は? どういう運動神経……あとネーミングセンス……ダメだ、突っ込んでたら日が暮れる。
「そ……そうか、それはすごい……」
「でしょー、あ、ねえ、君、なんで追われてたの? ほら、センター街から追っかけられてたよね? それで、おもしろそー! と思ってついてきたんだけど」
「…………あー……それは……」
どうやらこの子は、あの時押しのけたバーガー屋の前にいた人だったらしい。
けど、頭をかきつつ考え込んでしまう。
……悪の秘密結社に最強の異能を授けられ、世界滅亡のために働かされそうになっていたところを逃げ出した……なんて言って、信じる人はどれぐらいいるんだろう? それでも、ここは彼女に話すしかない。
「EQ、イコライザー……って、知ってるよね」
「ううん」
「そう、その……」
へ?
「あ……ほら、あの……反異能の、テロリスト団体……」
「えー……聞いたことないけど……有名なの? 配信者?」
「いやいや、世界中で指名手配されてるじゃん、異能社会を滅ぼすって……ほら、あの、人間主義とか言ってる……交番に指名手配書あるし、教科書にだって載ってなかった? ほら、十年前に異能免許センターを爆破して百人単位の死傷者を出したって……」
「あーごめんねー、私、小卒だから……」
えへへー、と、照れたように笑う女の子。笑顔はなんともかわいかったけれど、小卒、って聞いたことない単語に僕は驚愕した。
「は、はぁ!? ぎ、義務教い……そ、そんなヤツいるかよ!?」
「あはは、世の中いろんな人がいるんだからー、先入観で人を決めつけたらダメだよ、なに? ひゅーまにずむ? よくわかんないけど……じゃあ、この人悪い人?」
「そ、そうだよ」
「やっぱりね! わかってたんだ私には! じゃあ……」
大きな胸の下で腕組みして、いかにもうむむ、と難しそうな顔をして考え込む。そして数秒後、ぱぁっ、と顔を輝かせて言った。
「じゃあ、君はいい人だ!」
……そして、僕は気付いた。
この子は、僕を追ってきてた男より、ヤバいかもしれない。
「ねえねえ、じゃあどうする? おまわりさん呼ぶ?」
それは、マズイ……けど、それをどう彼女に理解させたらいいんだ?
「あれ、呼ぶのマズイ感じ?」
「それは……そう、なんだけど……」
「…………あ! わかった!」
ぽん、と大きく手を打って、また言った。
「ワケアリの人だね、君は!」
どう答えたらいいかわからず微妙な顔をしていると、女の子はくすくす笑いながら、手慣れた手つきで自転車を一回転させ、普通に着地させる。音と地面の衝撃で男が目覚めるんじゃないかと思ったけど……まだ、ぐんにゃりしたまま。
「ようあんちゃん! ワケアリなんだろ? 乗りな!」
なにか、いかにも気風の良いドライバー、みたいな感じで言う……が、格好はまったく、ガチ勢っぽい自転車の人なので、まったく合ってない。けど気にした様子はなく、ひらりと軽やかに自転車に跨がり、冷蔵庫だって運べそうな頑丈っぽい荷台を親指でさす……が。
「……どこに?」
ウーバーのバッグを背負ったままの自転車二人乗りは、物理的にムリだ。
「あはは、ごめんごめん、悪いけどいったん、君が背負ってて」
少し顔を赤くして笑い、バッグを降ろす。
僕はバッグに手をかけ、持ち上げる。
何はともあれ、この場は離れた方がいい。車じゃないのが残念だけど……いや、自転車の方が好都合かもしれない。幸いにしてたぶん、この子はちょっとバカだけど親切で、今はそれに甘えて……それに、二人乗りでノロくても、男の転移能力を躱すにはむしろその方が……。
「っておんんんっっもっっ!?」
軽いだろうと思って持ち上げたウーバーバッグは、中にコンクリでも詰まってんのかってぐらい重かった。思わず転びそうになってしまう。
「あはは、今それ、十九キロあるからねー」
「な、何が……誰が、何を、喰うんだ、よ……?」
ふらふらになりつつも、なんとか荷台に腰掛ける。いくら時速四十キロで飛び出してパンチしたとしても、身長百八十以上でガタイのイイあの男があっさり気絶するなんて……そういう異能か? って思ってたけど……単純に、この重さが加わっていたからか? あいつ、マジで死んでんじゃないか……?
「あ、水だよ水。二リットルペットボトル八本と、五百の麦茶が六本」
「は、はぁ……って、君、配達中、なのか……?」
「人助けに優先する配達なんてないでしょー」
「さっき……面白そうだからついてきた、とか、言ってなかったっけ……?」
「人生色々~! それはさておき出発進行! サドルの裏持っててね! 飛ばすよー!」
言うが早いか地面を蹴り上げ、自転車をこぎ出す。僕の体重がだいたい五十キロ、それプラス十九キロあるはずなのに……自転車はまったく、スムーズに動き始めた。ようやくわかったけど、そういう異能なんだ、きっと。この子は運転系異能だ。二人乗りに関してもオッケーが出るタイプの。
「な、なあ……その、あいつが目覚めたら、追ってくるかもなんだけど……」
「あはは、私に追いつける徒歩の人なんていないから大丈夫だよー」
……そう。
僕と荷物をプラスしてるってのに自転車はもう、かなり恐怖を感じるぐらいのスピードになってた。どう考えても街中、まだそこまで混雑してるわけじゃないとはいえ、歓楽街を走るスピードじゃない。
「じゃ、じゃなくて! あいつ、転移系異能があるんだって!」
「あ、知ってる! なんか一瞬で行けるやつでしょ!? いいよねー、あれ、私もそういうのあったらなー、って、ずっと欲しいんだけどー、配達ちょーーーラクちんなのにね、ああいうのあったら」
「ちょ、うわ、あぶなっっ!」
会話しながらも大通りに繰り出し、当たり前のように車道の片側を走り、路駐の車を縫うようにかき分け、自転車はさらに加速していく。とろとろ走ってる原付なんかは当たり前みたいに追い抜いていく。っていうか、普通に自動車と併走している。人力で出せるスピードにはもう、まるで、思えない。
「大丈夫大丈夫、私、もう三万回は配達してるけど、事故ったこと六回しかないもん!」
「結構事故ってんじゃねーかよ!」
「五千回配達するまで事故らないってことでしょ、もう、計算しなよ」
「なっ……!」
突っ込む間もなく、自転車はさらに加速。
「あ、やっばい! 危ないかもだからぴったりくっついて!」
童貞らしく顔を赤らめ、女子に密着する心の葛藤を数千文字分は連ねたかったけど。
……前方に目をやれば。
歩道の端で手を上げてる人を見たタクシーが、死ね、とばかりにこちらの進路に被さってきて……止まった。距離はもう、十メートルもない。
「うそ、だろ」
どう考えても、事故る距離とスピードだった。
前傾姿勢で彼女の体にくっつき、腰にぎゅう、と手を回す。ぴったりした薄いサイクルジャージ越しに感じる柔らかな感触も、暖かさも……今はただ死の恐怖にかき消される。
けど。
……ぎゃりぃぃぃぃ!
すさまじい音を立てて自転車が急カーブ。
歩道の端、縁石に乗り上げ、がたぁんっ、と大きな音。
前輪が痙攣したように持ち上がり、浮く。
その瞬間、僕たちはたしかに、宙を浮いていた。
下腹のあたりにあの、ヒュッ、とした感触。
背筋が凍って、そして……。
「へいへいへーーーーい!」
女の子は軽やかに叫び、自転車を着地させ、再び車道へ。
僕はもう生きた心地がしなくてただ、目を瞑ってた。運転系異能はハンドルを握ると人格が変わる人が多いというけど、これは……自転車じゃなく、レースゲームでリッタークラスのバイクがショートカットありでタイムアタックしてるみたいな動きだ。
「な、なあ! そういう異能なんだろうけど! もうちょっ、安全運転!」
「あはははは!」
再び車と併走するスピードを出しながら、けど、女の子は笑った。
「な、なにがおかしいんだよ!?」
「そんな使える異能のある人が、ウーバーなんてやってるわけないじゃーん! これは私の筋肉と技術! すごいでしょー! 韋駄天ウーバーと呼んでくれてもいいよ!?」
……二重の意味で、嘘だろ。
けど、納得はできる。
つまり……この子は。
マジで、イカレてる。
路駐の車を避けるため一瞬だけ歩道へ、そしてまた車道へ、信号無視した歩行者を僅か数十センチで避け再び加速、螺旋を描くような自転車の動きで体がシェイクされ、舌を噛みそうだ。
「は、はぁ!? い、いや! 追われてるんだから、目立つのは!」
「あはは、それもだいじょーぶ! 私もワケアリ! だから分かんないよーになってるから!」
「なってるって、へ、え、な、なんで……!?」
「なんかー……なんだっけ……あれ、なんでだっけ? ねえ、なんで大丈夫なんだっけ!?」
「僕が知るわけないだろ!」
「ん! まあだから大丈夫だから!」
下り坂にさしかかって、ますますスピードが増す。体にあたる風の勢いは、さながらジェットコースターか何かに乗ってるみたい。そんなスピードを二人乗りの自転車で、しかも運転してるのはなんかとんでもなくイカレたバカ、という状況。命の危険、ってやつが、あの男に追い詰められていた時より遙かに感じられ、僕は大声で叫んでしまう。
「なにが大丈夫なんだよ!?」
「あ、大丈夫じゃなかった!」
「はあ!?」
「名前!」
「なに!?」
「なーまーえ!」
「なんの!?」
「あははは、君、名前も知らない人の車に乗っちゃってるんだよ! 大変だよ、売り飛ばされちゃうよ! だからお互い自己紹介! 私、神楽一絵、十六歳! 君は!?」
「車って……くそっ、取る手……間違えた……」
「クルマッテ? クルマッテ・クソットルテさん!? やばっ、外国の人!? なますて! すらまっぱぎ! たろふぁ! えーと、あ、たしでれ! どれか合ってた!?」
「なっ……何人だと思ってんだよ僕を!? 青葉! 青葉太陽! 十六歳!」
「なーんだ、タメの日本人じゃん! よろしくー!」
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一日三回更新、07:10、12:20、19:30。
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