01 最強異能とひきにげパンチ
「通りまーす通りまーすすいませーん!」
人混みを走り抜ける時のコツ、その一。
いかにも仕事です、みたいな感じでこういう風に叫んで、なるべくすまなそうな顔をしながら、後ろは絶対、振り返らない。
午後六時を回った渋谷、センター街は平日とはいえ、かなりの混みよう。それでも僕は、自分にできる全力で走り抜けていく。体にまとわりついてくる八月のじっとりした熱さも、今は構ってられない。
流行ってるらしい獣人系異能ファッションに身を包んだ集団の間をすり抜け、何に使うかよくわかんないアンケートをとってるおばさんを躱し、異能生産された肉がウリのバーガー屋の前で自転車を止めたウーバーの配達員バッグにそっと手を添えしなやかに押しのける。
一方。
「きゃあっ!」「おい!」「うわっ、なんだよ!」
そんな僕、青葉太陽十六歳、両親を亡くしたばかりのかわいそうな高校生を追ってきてるヤツはどうやら、人混みの間を駆け抜ける時のコツを知らないらしい、振り向かなくても悲鳴や、怒号が聞こえてきて、位置を教えてくれる。距離は大体五十メートルぐらいかな。よし本格的に撒けるぞこれなら……!
「はいはーい通りまーす!」
センター街の奥、通りがさらに細くなるところにさしかかる。人通りが減るからさらにスピードアップ。で、足の縁をうまく使いつつ、街灯に手をかけ急ターンで脇道へ。ここら辺なら暇つぶしに何度も歩いてるから、細かい道の一本一本、頭の中に入ってる。
左、右、階段を駆け上がってさらに左、妙な名前のラブホテルと、なんでこんなトコにあるのかわからない武道用具専門店の横を駆け抜けたら、公衆トイレにしか見えない落書きだらけの潰れた風俗の前を過ぎて……よしっ!
ラブホテル、風俗、風俗に近いような感じの飲み屋、普通の飲み屋、そんな建物が建ち並ぶ渋谷の裏通り。下り坂のどん詰まりに、なぜかぽっかり、四畳半ほどの公園とも言えないような公園がある。ベンチとテーブル、パラソル、それから自動販売機があるだけの謎スペース。
自販機の横に隠れ、追ってきてるであろう相手をやり過ごす。
通りがかっただけじゃまず見えないし、そもそも数回曲がった時にもう、僕の姿は見失っているはずだ。あいつは転移系異能だったけど、絶対に未登録の無免許なはず。それを街中で使うなんてのは、絶対にできないだろう。街中での未登録で、無免許異能、それも転移系異能の発動、なんてのは下手したら、どこかの国の軍事行動だと思われて大騒ぎになってもおかしくない。だからここで少し時間を潰したら、後は近くの喫茶店で夜まで時間を潰して……その後は……。
…………その、後は?
と、僕はそこで気付いてしまった。
僕にはもう、逃げ場所がないんだ、ってことに。
どれだけ逃げようが……行く当ては、どこにもない。
「……え」
そう気付いた瞬間、思わず口から声が出てしまった。
もう僕には、帰る家がない。
守ってくれるオトナもいない。
おまけに世界有数のテロ団体が僕を狙っている。
あれ、これ……詰んでる?
……いやいやいや……そんな、大げさな言葉でしか視聴者の興味をひけないアホなゲーム実況者じゃあるまいし軽々しく、詰んだ、なんて言葉を使ってちゃだめだぞ僕……ゲームが詰むってことはバグみたいなもんでそんなの製品にそうそう残ってるわけ……。
と、頭の中で関係ない妄想を連ね、状況のシビアさを和らげようとしてると。
「オマエ……なんで逃げられると思ったんだ?」
突如、目の前に男があらわれ、言った。
百八十センチを超える大きな体を高そうな青のストライプスーツに包み、部下がメンタルを病むまで延々鬼詰めしてそうな浅黒い肌とツーブロック。顔には呆れと怒りが半々ぐらい。
「なっ……」
僕の喉首を掴み、宙に持ち上げ、自販機に叩きつける。
身動きがとれない。いや、とれるんだけど、どれだけ宙であがこうが、ぶらつく足で蹴りつけようが、まるで電柱に張り手をしてるみたいに、男はびくともしない。
「ああ……オレの転移は空間タイプと思ってたのか。残念だったな、人着タイプだよ」
国家戦略資源人材として扱われるクラスにウルトラレアな転移系異能。大体九割は行ったことある場所に行く空間タイプだけど……この男はどうやら、知ってる場所じゃなく、知ってる人の前に転移するタイプの、さらに超レアな系統だったらしい。けど……。
「ま……街中で、そんな、異能を……いいのか、よ……」
巨眼がこんな異能行使を見逃すはずはない。空間に響き渡った異能紋がすぐに照合され、マイナンバーと照合、そこから未登録の無免許ってわかって、あと数十秒後にでも警察か自衛隊の部隊が即時対応転移を……。
「ああ……これだからガキはイヤなんだ。使うってことは、使っても問題ない仕組みがあるってこった。オレたちがマンガの悪役みたいにアホの集まりだと思ったのか? 協力者は日本のどこにでも、腐るほど、いるんだよ」
にやにや笑いながら勝ち誇る男。その顔と、口調の端々に、僕が子ども、ガキであることに対する「ナメ」みたいなものが伝わってきて……僕はカチンときた。
「でも……十分以上、僕と、追いかけっこしてたってことは……そんなにホイホイは使えない、わけだ……それでも使った、ってことは……それなりに、避けたい手段だった、はず……」
「……あァ? だからなんだよ」
「あはは、でも使っちゃった、ね」
僕はなるべく、十六歳のガキにこんな顔されたらムカついてしょうがないだろう、って笑みを浮かべた。男の眉が、ぴくんっ、と跳ね上がる。人を煽るなら任せとけ。
「たぶん、そんなにホイホイ使える手段じゃないんだろ、すっげー怒られるんじゃないの? 僕に逃げられそうになった上、街中で異能を使いました、なんて……マンガの悪役ならたぶん『始末』されるような、失敗だ……あはは、あんたのとこは、どうなんだ、ふふ、マンガの悪役がいる、悪の組織とは違うから、失敗しても、暖かく受け入れて、もらえるのかな……始末書とか、書いて、減給……? あはは……」
煽ってみると男は目を丸くして、少し顔が赤くなって、忌々しそうに舌打ち。
「クソガキが。なんとでも言え、オマエはもう絶対、逃げられねえんだよ。オマエが地球の裏側に逃げようが、オレはオマエの前に転移してこられるんだからな、わかったか?」
……実際、それはそう。
でも、僕にはまだ、できることがある。
「なあ、じゃあ、取引しようよ」
「……はあ?」
……いや、今の僕なら、できることがある。
それどころか……なんだろうが、できる……はずだ。
「どんな願いでも一つ、叶えてやる」
言っててちょっと、笑いそうになる。
「その代わり、僕は自殺したことにして、逃がしてくれ。悪い取引じゃ、ないだろ」
好きな望みを叶えてやるから、見逃してくれ、なんて……。
まるきり、マンガの悪役だ。
「クソが」
けど、男は吐き捨てると僕を地面に投げ捨てた。コンクリートの地面に背中から思い切りぶつかり、思わずその場で丸まってしまいたくなる衝撃が体を走る。息が詰まる。
「まだ立場がわかってねえようだから、言ってやると、だな」
「ふぐっっっ……!」
ぐりゅんっ。
先の尖った革靴の爪先が、僕のみぞおちに落とされて、ぐりぐり、踏みにじられる。うーん、逆効果だったみたいだ。
「ボスと違ってオレは優しくねえから、はっきりさせてやるがな」
「ぐっ……ひっ……ぎゅっ……」
肺から空気が絞り出され、いかにも哀れな声が出てしまう。自分で聞いてても、なんて情けない声だろうと思う。でも、しょうがないだろ、十六歳の少年が、こんな、出勤前に毎日筋トレしてプロテイン流し込んでます、みたいな、うつ病とかは単なる甘えだとか思ってそうなオトナに、勝てるわけないだろ。
どくんっ。
けど、そう思うと僕の心臓が一つ、高鳴った。
「どれだけ最強の異能を手にしようがな、生まれてからずっと無能として生きてきたんなら、単なる無能なんだよ。性根に染みついた無能根性ってのは洗ったって消えねえんだ。クソが、臭うんだよ。くっせえ卑屈な根性が透けて見えてんだよ。えへへ~皆様のお情けで生かしてもらってますぅ~ありがたやぁ~、ってな。そういう無能はな、黙って使われてりゃいいんだ。無能がなにやったところで、なぁーんにもなんねえんだからって、まだわかんねえのか? ああ? なあ、わかったか? あ? 返事は?」
ぐり、ぐりぐり……っ。
どすんっ、どすんっ。
「ひっ、がっ……あっ……う……」
「わかったか、って聞いてんだよ無能、オイ、返事」
「じ……じこ……」
「オレはさ、オマエみたいなガキを数十人単位で切り刻んでやったこともあんだよ、機嫌を損ねさせたらどうなるかわかってんのか? オイ、返事。オレの気に入るように、丁寧に返事をするんだよ、オマエは、オイ、なあ?」
踏みつけが止まって、男が僕の顔を覗き込む。
だから、僕はにやにや笑いながら言ってやった。
「丁寧な、自己紹介、どうも」
僕の記憶がたしかなら。
この男だって、もともとは無能だったはずだ。
僕と同じように、バカ強い異能を、与えられただけの。
……いやはや。
辛い目にあってきた人ほど他人に優しくできる――なんて大嘘が、未だにはびこってるのはどういうわけなんだろう? そうじゃなきゃ僕らみたいな、辛い目にあってきた人は自我を保てないから? まったく、余計なお世話ばっかりの世の中だ。
数秒して言葉の意味を飲み込んだ男が、顔を真っ赤にして脚を大きく振り上げた。
それが振り下ろされる前の刹那――。
どくんっ。
また心臓が高鳴った。
頭の中で声がする。
使え。
使っちまえ。
そういう場面だろ。
ここで僕が最強の異能に目覚め、そして――
相手をぶちぶちにぶち殺して、それがトラウマになったりして、ちょっと影のある異能少年になって、ビルの屋上に腰掛け意味深なセリフを言う中性的なライバルとやり合ったりしながら、ツンデレ気味の金髪ツインテヒロインとつかず離れずの関係を築きつつ、最終的には世界の敵的なヤツとバトルを繰り広げ、この惑星の危機を救う――歴史の彼方に埋もれた古文書――ムカシの異能マンガ、異能ラノベさながらの活躍を――。
どくんっ。
心臓が、また一つ跳ねる。
そして僕は、生まれて初めて、それを決意した。
異能を振るう決意。
ここがきっと、僕の人生の分岐点だ。
ここから僕の、本当の物語が始まるんだ。
十六年間、無能として生きてきて、でもここからは――。
――そして。
「ひーきーにーげー……」
どこかから、声がした。
男が眉を上げ、振り向く。
「あ……?」
ちょうど公園の入り口。
それが、迫ってきてた。
ウーバーのバッグを背負った、女の子が。
下り坂なのに、自転車立ちこぎの、猛スピードで。
「……パーーーーーーーーーンチ!」
叫び声と共に急停止した自転車から飛び出し、スピードそのままに宙を飛んできた女の子が、男の側頭部を思いっきり、殴りつけた。
男の頭から、みゅごんっ、みたいな、一生忘れられないだろうヘンな音が響いて、吹き飛んだ彼はそのまま、自販機の横に叩きつけられ、そのままずるずる、地面に倒れ込んだ。
「あいたたたた……ねえ! 君、大丈夫!?」
僕はまだ、何が起こったのかわからなかった。
目の前には……ウーバーのバッグを背負った女の子。いかにも痛そうに手をぷらぷら振りながら、もう片方の手を僕に差し出していた。
そして、僕は思った。
……あ、こっちだった。
ここが、本当の分岐点…………な、気がする。
この手をとるか、とらないか。
それで、僕の人生がまるごと、全部、変わる気がする。
だから、当然。
「だ、大丈夫……」
そう言って、彼女の手を取り、立ちあがった。
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一日三回更新、07:10、12:20、19:30。
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