歌子と憶え屋!
1日が始まった! 別のほうに目を向けてみようっ!
新しい日を迎えて、憶え屋も通常業務に戻っていた。 客が出入りしていて、カウンターでは職員と座った客が楽しそうに話している。
憶え屋は、昨日の混乱で大活躍だった。 そのおかげで契約者が激増したらしく、ユメはがっぽり儲かってワハハと笑いが止まらないらしい。
そんなユメはというと、今は店の廊下を歩いているようだ。 仕事中のようだ、裏口から表へと出てくる廊下を歩いてくる。
……しかし、なにか様子がおかしい。 少し表情を曇らせて、息苦しそうな顔をしている。 儲かってガハハと笑っているはずだが……何かあったんだろうか?
店の表のほうから、廊下を通って職員が歩いてきた。 生身の職員だ、記録を取りに記録室へと行くんだろう。
すれ違いざまに、ユメは何かを頼みたいように話しかけていく。
「ちょっといい?」
「ごめん、後で」
職員は、顔も見ずに通り過ぎていき、スタスタと店の奥へと消えていく。
どうしたんだろう? ちょっとだけ険悪な空気を感じる。 2人の間に、何かあったんだろうか?
ユメは残念そうに肩を落とすと、今度は店の表のほうへと出ていった。 カウンターで、数人の職員が客の対応をしている様子が、目の前に広がる。
カウンターで客の対応をしている職員の一人に近づいていき、ユメは同じように話しかけていく。
「ちょっといい?」
客と楽しそうに話していた職員は、話すのを中断して振り向いた。 面倒くさそうな顔をして、煩わしそうに言ってくる。
「後にして。 ……見て、分かんない?」
客の対応をしている最中なのは、見て明らかだ。 仕事の邪魔をされたからか、職員の人は不機嫌そうだ。
ユメは理解したように小さく頷くと、身を引いてその場を離れていった。
廊下を逆戻りして、ユメは店の奥へと戻っていく。 落ち込んでいるようだ、重い足取りで歩いて記録室を通り過ぎ、そのまま店の裏のほうへと向かっていく。
裏口から憶え屋の外に出ると、景色には目もくれずに憶え屋の壁に身を傾けていった。 憶え屋の壁に寄り添うようにもたれて、ユメは苦しそうな表情を浮かべて目を閉じる。
……はあ、しょうがないか。 口座を確認したいだけなんだけど、それだけでも生身の人に頼まなきゃいけない。
最近は使う頻度が高くなってきて、いまは3分おきに使ってる。 それでも足りなくて、もっと回数を多くしたいんだけど……。
10分に1回を超えたあたりから、嫌な目で見られるようになったな……。 客の後ろに並んで使おうとしたら、さらに変な目で見られるし……。
機械じゃなくて人がやるサービスだから、こういうことは避けられない。 順番待ちはあるし、社長だからと言って好き勝手に使うことは出来ないし……いや、結構好き勝手に使ってるんだけど……。
自分が作ったサービスだけど、私の願いは十分と言えるほどには達成できてない。 いつでも見たい情報を見て、自分の思いついたことをメモする。 難しいことだとは、全く思わないのに……。
「あれ、ユメ?」
ふと、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
後ろを振り返ると、歌子が裏口の近くに立っていた。 すっきりした顔だ、寝起き直後なんだろう、寝癖がちょっと跳ねている。
「……あぁ、歌子」
「あれ? ……どうかした?」
元気なく挨拶を返すと、歌子は何かを感じ取ったようだ、表情をうかがうようにしながら近づいてくる。
歌子はいつも、他人のことを気にかけてくれる。 自分のことじゃないのに、なんでそこまで人のために出来るのかってぐらい、他の人を気遣ってくれる。
私たちが幽霊だからっていうのもあるけど、それに甘えてもしょうがない。 心配をかけるわけにはいかないんだ。
ユメは避けるように目をそらすと、歩きだした。
「いや、別に」
「ちょっと待って!」
すれ違っていったユメを、歌子が呼び止める。 元気のない様子に違和感を感じ取ったようだ、歌子は考えを巡らせた。
……なにか、変だ。 ユメはふだん思ってることを、あまり口にしない。 生身の人にして欲しいことがある時も、私に遠慮して我慢してることもある。
見た感じ、今はユメは何かにイライラしてる。 表情がこわばっているし、変に眉毛がピクピクしてるし……。
うーむ、何かな……?
「……あ! もしかして、またなんか思いついた? 代わりに、書き留めようか?」
反応をうかがってみると、ユメは表情を動かさず、立ったままじっと床のほうを見つめている。
……ありゃ、違うのか。 思いついたことをメモ出来なくて、イライラしてると思ったけど。
なら、他には……?
「じゃあ、どこかの口座を確認したいとか?」
今度はほんの少し、ユメの口の端がピクッと動いた。
……これだ、これが正解だ! フフン、私の推理力を舐めるんじゃないよ。
納得して歌子は頷くと、ユメに近づいていきながら話す。
「あっそうだ! それね、ちょっと考えてたんだけど。 ……私がやってるみたいに、石ころでやったらいいんじゃないかって」
「……え、どういうこと?」
石ころで、何をやるって? ユメは、意味が分からずに聞き返す。
歌子は目の前まで歩いてきて立ち止まり、説明を始めた。
「店の裏のここ、空いてるじゃん? ここに色んな口座のことを書いた石ころを、置いとけばいいんじゃないかって。 そしたらすぐ、確認できるでしょ?」
口座の内容を石ころに書き写して、店の裏に並べて置いておく……。 そうすれば歴史所に並んでいる石板のように、憶え屋の口座記録もいつでも確認できる……ということだろうか。
しかしそれだと、ふだん私が見ている口座の内容を、全部書き写すことになる。 それに新たに情報が口座に追加されていくたび、石ころにも追加して書き写していく必要がある。
それを、ぜんぶ歌子一人でやるってこと……?
「……でも、それ、たくさん書く必要あるけど」
そんなこと、とてもじゃないけど出来るわけがない。 第一、歌子はふだんの仕事から忙しいのだ。 昨日の夜だって、帰る途中に道端でぶっ倒れたと聞いたし……。
しかし歌子は、軽く手を振って答えた。
「いいの、いいの。 大変なのは、最初だけだし。 ちょっと待ってて、時間が出来たらやるから」
そういって返事も聞かずに、憶え屋の中へと消えていく。 ユメはその場に突っ立って、呆然とその後姿を見つめた。
……本当にやってくれるの? いくら歌子が働き者といっても、無理があるだろう。
でも、口座の内容をいつでも確認できるなら、こんなに楽なことは無い。 いちいち生身の職員の人に頼まなくていいから、毎度のように嫌な目で見られることもなくなるし……。
ユメは苦しそうな表情を浮かべたままで、考え続ける。 考えれば考えるほど、抵抗する考えが芽生えてくる。
……あぁどうしよう、歌子だったら本当にやるだろう。 でも、こんなに頼るようなことをしていいんだろうか?
今までも私は幽霊だからといって、散々頼みごとをしてきた。 他の人たちも頼んでるし、この街ではそれが当たり前だから、しょうがないって思ってたけど……。 でも幽霊だから物をさわれないから、仕方がないこともあるし……。
ごちゃごちゃと考えていると、私はその場に突っ立ったまま動けなかった。 ただ立ち尽くして、歌子が消えた裏口を見つめていた。
歌子は憶え屋の中を進み、記録室に来た。
憶え屋では、客が言うことを、生身の職員がかわりに紙に記録する。 その紙の記録を、置いて保存するための場所だ。
部屋の中には本屋みたいに棚が並んでいて、記録用の紙束がぎっしりと入っている。 棚の前にはテーブルが置かれていて、その上にも紙束が広げられて置かれているのが見える。
憶え屋では、記録をするのに液体の墨を使う。 習字をするように筆を手に持って、液体の墨につけて、紙に文字を書いていく。
だから、それが乾くまでしばらく置いておかなければならない。 すぐに棚に戻すと、文字がぐちゃぐちゃになってしまうから、その前のテーブルの上でいったん乾かして、時間を置いてから棚に戻すのだ。
歌子が歩いていくそばには、テーブルがずらりと棚に沿って並んでいた。 その上には、書かれたばかりの、乾かしている途中の紙が並んでいる。 あとは乾いたら、目の前の棚に入れるだけなのだ。
「あ、歌子」
中で仕事をしていた人が、部屋に入ってきた歌子に気づいた。 職員の人だ、紙に筆で記録を書き込んでいる途中のようだ。
「ちょっと、直接見ていい?」
歌子は部屋の中へ入っていきながら、聞いていく。 職員はどうでもいいように、いいよと返事をした。
いま歌子がいるこの憶え屋は、本社のようなところだ。 歴史所のすぐ近くにあって、最も利用する憶え屋だ。
昨日の混乱の最中にも、実はちょっとだけ憶え屋を利用していた。
でも混乱で大変な時に、ここの憶え屋の職員は動き回って手いっぱいで……。 なんとなく気を使って、記録室に自分で入って書き込むようになったのだ。
この部屋には個人情報や機密情報なども溢れてるから、勝手に入るなど、現代の日本ならありえないだろう。 でも、古代人の彼らは気にしてないようだ。
歌子は慣れた様子で歩いていくと、一つの棚の前で立ち止まっていった。 指でさわりながら、目当ての紙束を取り出していく。
「えーっと……」
呟きながら、紙をパラパラとめくっていく。 その辺に置いてあった墨に、筆を浸すと、紙をめくっていた手を止め、筆を持ち上げて直接書き込み始めた。
幽霊の人は紙をさわれないから、カウンターで読み上げてもらわなければいけない。 だが生身の体を持っていると、こんな風に直接口座を見たり、書き込んだりすることも出来るのだ。
「……歌子ー」
書き込んでいると、どこかから名前を呼ぶ声がした。
……あれ? 聞きなれた声だけど、なんか違う。 元気なんだけど、のっぺりと引き延ばされたような声だ。
顔を上げて見ると、小春が来ていたのが目に入った。
「あ、小春」
「……何してんの?」
記録室を横切って歩いてきて、小春は手元の紙束を覗き込んでくる。 歌子は目を落として、再び書き込んでいきながら答えた。
「もっと、いろんな話を募集してみようかなって思って。 ……ちょっと、工夫できることも、ありそうだし」
いろんな話? ……工夫?
……都市伝説のことだろうけど、なんだか意味深な言い方だ。 憶え屋の口座を使って、歌子はなにか企んでることでもあるんだろうか。
目の前の小春は、しかしどうでもよさそうだ。 興味がないように聞き流しながら、自分の話を始める。
「ふーん。 ……あ、いやな男、知ってる?」
「え?」
歌子は書き込み終わり、顔を上げた。
……いきなり、何の話? ……いやな男?
小春はいつもの元気な調子だが、ぼうっとしているようにも見える。 目の前にいるのに、こっちを見ずに別のほうを見ながら話している。
「もう、凄い嫌な男がいたのよ」
「え、誰? ……なんの話?」
「でもあいつ、憶え屋の職員には、向いてそうなのよねー。 ……それに、暇だろうし」
小春は独り言をいうように、斜め上を見ながら呟いている。
……どこ見てるの、小春ー。 おーい。 手をフリフリと目の前で振って見せても、まるで反応がない。 ……うーん、どうしたんだろう。
一応、小春の言いたいことを解釈してみる。 1人の男と出会って、すごい嫌な人だったけど、その人が憶え屋の職員に向いてる……ということだろうか。
私が知らないうちに、小春のまわりで変なことがあったのかも。
詳しくは分からないが、強烈な印象を残した男の人がいたんだろう。 もしかして、昨日降霊されたばかりの人だったりするんだろうか。
「ここの職員をやる人が、見つかったってこと?」
「うん、そう」
小春は、空気に向かって頷く。 誰と話してるんだろう。
「ふーん。 ……じゃあ、探して来たら? ユメには、言っとくよ」
私が歩きだしながら言うと、小春は磁石のようにつられて動いてきた。 顔は別のほうを向いてるのに、体だけこっちにくっついてくるから、変な感じだ。
「うーん。 ……そうね、探してくるわ!」
記録室の外へと歩いていると、いきなり小春がいつもの調子に戻った。 ニカッと笑って、気持ちがはっきりしたような顔だ。
小春は私を追い越して走りだし、記録室を勢いよく出ていった。
あいつよあいつ! あいつを探しましょ! ……え? ほら、あいつよ! (小春)




